窯元日記復活

郡山城外堀、土塁発掘現地説明会に行ってきました

郡山城外堀、土塁発掘現地説明会に行ってきました。往復7000歩ぐらいです。近くには秋篠川、羅城門跡などもあるところです。
現在は埋められている外堀が掘られて,そばで土塁があるなんて知りませんでした。生活用水が土管を使って外堀に排出される構造になっているようで、連結した土管が長く伸びています。土管は常滑製で赤い方が「赤焼あかやけ」釉の塗られている方が少し新しく幕末頃の「真焼まやけ」が併用されているようです。
赤膚焼も何点か出ているようです。比較的明治以降でしょうか。「金波楼茶用」と書かれたものもありますが,遊郭で使われた?でしょうか・・。「大鐘大仏餅」と書かれた,火打皿もありました。灯明皿も印は無いですが赤膚焼でしょう。江戸頃の唐津焼や古伊万里の片も出ていました。

朝日新聞から→「排水施設の構造わかる遺構発掘 郡山城の外堀跡付近
2020/11/11 10:00

郡山城の城下町から外堀に延びていた排水施設。多くの土管がつながれていた=2020年11月10日、奈良県大和郡山市北鍛冶町、伊藤誠撮影
(朝日新聞デジタル)

 奈良県大和郡山市は10日、郡山城と城下町を取り囲んでいた外堀跡付近の発掘調査で、外堀の内側に築かれていた近世の土塁(御土居(おどい))や、素焼きの土管をつないだ排水施設が見つかったと発表した。排水施設は現在も機能しており、市は「当時の土木技術や土管の製作技術の優秀さを示している」と評価している。
 都市計画道路の建設に伴う発掘調査。現場は外堀の東端部分にあたり、調査面積は計約240平方メートル。土塁は幅約15メートル〜約18メートル、高さは約2・5メートルあり、出土品などから17世紀前半に築造され、18世紀前半に大がかりな修復が行われた可能性が高いという。
 土管をつないだ排水管は2カ所で確認され、土塁の中を直角に貫くように通した暗渠(あんきょ)。土管は常滑焼(愛知県)とみられ、江戸後期〜幕末に製造されたもの。2カ所とも造り替えた形跡があり、使われなくなった古い方の排水管が残っていた。土管1本の長さは約49〜64センチ、直径は約14〜19センチ。一部は漏水防止のため、土管の継ぎ目部分をしっくいで固めてあった。
 排水管は、城下町の家々の生活排水などを外堀に流すためのものだが、現在も雨水が流れていることが分かっている。市都市計画課文化財保存活用係は「排水施設が160年から200年もの間、現役で機能しているのは驚き。土塁の状態も良く、郡山藩がちゃんと維持管理をしていたのだろう」としている。
 (伊藤誠)」



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