森かずとしのワイワイ談話室

平和・人権・地球・子育て・教育・くらし・そしてまちを語る

島崎譲さんを偲ぶ会

2012-07-14 21:33:46 | 議員活動
 今日は、昼間前に蒸し風呂状態の武蔵が辻に立った。サタディ社民党の声だ。街宣車前の歩道に女性が立って聴いておられる。私は車から降りて、佐藤栄佐久講演会のチラシを私ながら、話を伺った。彼女は、開口一番に「選挙で今の政権を変えたら、消費税法を廃止することが出来るのか。」と言った。そして「野田首相は嘘つきだ。嘘つきに政治を任せられないと。」まくし立てた。「私ら一生懸命働いて、税金収めてきたけど、もっと出さんといかん人おるがやろ。社民党は、今度の消費税増税に反対しとるがやね。私消費税反対にしか票はいれんわ。頑張ってね。」「原発なくても電気大丈夫なんやろ。あんなもんやめてもらわんと。」全く同感であって、頑張りますとしか言う必要がなかった。固く握手して、再び私は街宣車の上に上った。激励はある。確実に。

 さて、午後は、海みらい図書館。フェアトレードショップアジール塾が岩手宮古市の女性団体を招いて、「東日本大震災、被災地支援私たちに何が出来る」と題する市民集会が開かれた。アジールの皆さんは、震災以降、募金活動はもとより、避難所の女性たちのために毛糸を集めて送っている。この手仕事をつくり、予約販売方式で生活の糧を支援するというニットネットワークプロジェクトから現地女性グループとの交流が生まれ、金沢での集会となった。宮古市からやってきた三人の女性は、ニットネットワークプロジェクト愛編む宮古事業協同組合の中枢メンバーだ。津波の脅威から九死に一生を得た方々ばかりだ。心に深い傷があろうに、このニットネットワークに出会って、心が解放されたと、人生の幸せを嬉々として語った。素朴だが凄い言葉が次々と繰り出された。
 宮城県に代表されるような大手資本が主導する復興のまちづくりとは全く異質で、規模も比べるべくもないが、地域で生きる人々の等身大の人間としての復興のひとつの姿を目の当たりにして、感銘を受けた。いかにもアジールらしい市民への仕掛けでもあった。

 夕刻から、元衆議院議員島崎譲さんを偲ぶ会に出席した。私が成年の頃の大先輩たちが一同に会した。島崎代議士とはいくつかの接点があった。私が弱冠24歳で県教組金沢支部執行委員を買って出たとき、平和教育担当者を志願し、平和教育学習会を野田中学校体育館で開いたことがある。その講師に島崎ゆずるさんを招いたのだ。演題は「平和教育の前提」。平和教育実践の目的性は、平和を巡る情勢認識無しにあり得ないと、島崎さんは国政の状況、特に軍事増強の具体的情勢を話された。あのときの光景は今も鮮明だ。
 この年1983年の冬、衆議院議員選挙があったと思う。執行委員として参加した冬の円光寺ロータリーでの打ち上げ集会も鮮明に思い出される。そして、社会党シャドーキャビネット文部大臣として、日の丸は容認し、君が代は反対するという島崎見解が出たときだ。金沢の教育労働研究会に島崎さんがやってきた。いっぱいやりながら、私は「納得がいかない。歴史的経緯を無視し、教育の統制を認めるのか。」と食ってかかった。島崎代議士はにっこりとほほえんで、こんな議論が好きだ。またやろうとおっしゃった。今にして思えば、若輩の跳ね上がりを楽しむ心境であったのだろう。
 そしてそして、奇遇にも、島崎さんの窪地元後援会長だった、吉田外儀さんとの出会いだ。吉田さんは『太平洋戦争と我が家』を著し、教職員に手渡したいと、多部数を寄贈された。戦争責任を深く自覚し、戦争体験を継承するために晩年を賭けられた。励ましも頂いた。きおれも島崎さんのご縁である。

 あれから、政界再編が活発化した。島崎さんは社会党を離れた。今の民主につらなる再編に身を投じたのだ。この評価はここではすまい。政治のリセットが求められている。そのタイミングはそう遠くない。

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