めっきり肌寒くなってきた。風邪はお召しではないだろうか。ご自愛を。
夜間もあくせくした今週後半は、パソコンにも座れなかった。26日は、市長選山出事務所の開設、山出市政の政策公約である「市民へのお約束」の発表があり、午後は、金沢市泉鏡花文学賞の授賞式があった。この授賞式では、元映画監督の篠田正治が鏡花文学賞を受賞した。『のススメ』文化芸能は被差別の人々から生み出された。この系譜を評論にまとめた力作だそうだ。芸術家らしいぶっきらぼうだが洒脱な語り口で、敗戦を境にして死ぬことから生きることへと人生の価値観が変わったこと、人生の終着はまだ先だと決意表明があった。会場がざわめいたのは、夫人の女優岩下志麻が同伴で現れたときだ。あらかじめ予想して岩下志麻目当てに授賞式会場財前列に席を占めた知人にも会った。私は、迂闊というか、突然の遭遇にあれあれという感じだったが・・・。その日の夜は、市政連活動報告会で、教職員の仲間たちに半年の政治活動を報告した。
昨日27日は、生活保護の支援をした市民で精神的なケアが必要な方があって、信頼する心療内科に付き添った。人生の軌道の中で、自分に居場所と自信が持てなくなることの苦悩が赤裸々に語られた。「自分らしく生きればいい」そこから生きる意欲が湧いてくる。通院によって、その気持ちの転換と安定が得られるよう祈りたい。
今日28日は、市民上映運動で勧められた『アンダンテ』を鑑賞した。ひきこもりに苦しんできた女性が、自然農業の担い手と出会い、農作業と農村家庭の温かさに触れて自分を取り戻していくストーリーだ。
原作は厳しい葛藤を描いているようだが、農村を舞台とした映像画面は、登場人物の素朴さもあって、心温まるものだった。村人総出で撮影協力がされたという。機会があったらご覧あれ。
ところで、私は明日から中国を訪問する。戦争末期に石川県七尾市の七尾港に399人の中国人が強制連行されていた、その生存者と1995年以来調査と交流活動を続けてきた。高齢化する被害者の切なる思いを叶えたいと、2005年から戦後補償裁判を提起し、その支援活動を行ってきた。度々報告してきた。
最高裁でいずれの同種裁判でも共通した「サンフランシスコ講和条約の枠組み論」という中華人民共和国政府が関与できなかった講和条約の枠組みが日中関係をも規定するという珍妙な論理によって、個人の賠償請求権も消滅したと棄却された。7月の不当なる上告棄却をもって裁判は終結したので、弁護団と支援会の代表者計6人が訪中し、被害者聯誼会に報告し、今後の運動について意見を交わす。(河南省鄭州市 確か半日デモがあった市)
私には、この中国との戦後賠償問題への国のスタンスは、尖閣諸島の領有権主張にも通じる論理があると思っている。つまり、近代に入ってからの日本の帝国主義が、敗戦で断罪され、支配層妥協の産物としての米中心の戦後体制を構築する際に、最大被害を被った中国人民(当時の共産党政府も)が蚊帳の外に置かれ、賠償権も部分的には領土主張も否定されて今日に至っているということだ。
貧しい農村のおじいちゃん達や遺族に手渡せる土産は、強制連行の事実とその非人道性を裁判所は完膚無きまで認定したということだ。それだけに、なお、賠償されないことへの憤りは強いものになるだろう。私たちは、財政負担も含め、最大限闘ったが、期待には十分添えなかった。被害者の側の声には真摯に耳を傾けてきたい。
夜間もあくせくした今週後半は、パソコンにも座れなかった。26日は、市長選山出事務所の開設、山出市政の政策公約である「市民へのお約束」の発表があり、午後は、金沢市泉鏡花文学賞の授賞式があった。この授賞式では、元映画監督の篠田正治が鏡花文学賞を受賞した。『のススメ』文化芸能は被差別の人々から生み出された。この系譜を評論にまとめた力作だそうだ。芸術家らしいぶっきらぼうだが洒脱な語り口で、敗戦を境にして死ぬことから生きることへと人生の価値観が変わったこと、人生の終着はまだ先だと決意表明があった。会場がざわめいたのは、夫人の女優岩下志麻が同伴で現れたときだ。あらかじめ予想して岩下志麻目当てに授賞式会場財前列に席を占めた知人にも会った。私は、迂闊というか、突然の遭遇にあれあれという感じだったが・・・。その日の夜は、市政連活動報告会で、教職員の仲間たちに半年の政治活動を報告した。
昨日27日は、生活保護の支援をした市民で精神的なケアが必要な方があって、信頼する心療内科に付き添った。人生の軌道の中で、自分に居場所と自信が持てなくなることの苦悩が赤裸々に語られた。「自分らしく生きればいい」そこから生きる意欲が湧いてくる。通院によって、その気持ちの転換と安定が得られるよう祈りたい。
今日28日は、市民上映運動で勧められた『アンダンテ』を鑑賞した。ひきこもりに苦しんできた女性が、自然農業の担い手と出会い、農作業と農村家庭の温かさに触れて自分を取り戻していくストーリーだ。
原作は厳しい葛藤を描いているようだが、農村を舞台とした映像画面は、登場人物の素朴さもあって、心温まるものだった。村人総出で撮影協力がされたという。機会があったらご覧あれ。
ところで、私は明日から中国を訪問する。戦争末期に石川県七尾市の七尾港に399人の中国人が強制連行されていた、その生存者と1995年以来調査と交流活動を続けてきた。高齢化する被害者の切なる思いを叶えたいと、2005年から戦後補償裁判を提起し、その支援活動を行ってきた。度々報告してきた。
最高裁でいずれの同種裁判でも共通した「サンフランシスコ講和条約の枠組み論」という中華人民共和国政府が関与できなかった講和条約の枠組みが日中関係をも規定するという珍妙な論理によって、個人の賠償請求権も消滅したと棄却された。7月の不当なる上告棄却をもって裁判は終結したので、弁護団と支援会の代表者計6人が訪中し、被害者聯誼会に報告し、今後の運動について意見を交わす。(河南省鄭州市 確か半日デモがあった市)
私には、この中国との戦後賠償問題への国のスタンスは、尖閣諸島の領有権主張にも通じる論理があると思っている。つまり、近代に入ってからの日本の帝国主義が、敗戦で断罪され、支配層妥協の産物としての米中心の戦後体制を構築する際に、最大被害を被った中国人民(当時の共産党政府も)が蚊帳の外に置かれ、賠償権も部分的には領土主張も否定されて今日に至っているということだ。
貧しい農村のおじいちゃん達や遺族に手渡せる土産は、強制連行の事実とその非人道性を裁判所は完膚無きまで認定したということだ。それだけに、なお、賠償されないことへの憤りは強いものになるだろう。私たちは、財政負担も含め、最大限闘ったが、期待には十分添えなかった。被害者の側の声には真摯に耳を傾けてきたい。