里山悠々録

里山の家と暮らし、田んぼや畑、そして水墨画のことなどを記録していきます

藪ツバキと侘助ツバキ

2023年04月03日 | 

我が家の周辺には藪ツバキが多数自生しています。
裏山にあるこの木は一番の大木で、この木が元になり増えていったのではないかと推測しています。


幹もかなり太くなっています。


うまく撮れていませんが、今がほぼ満開です。


すべての藪ツバキが一斉に咲けば見応えがあると思いますが、かなり個体差が見られます。
すぐ側にありながら一斉に咲き揃うことはないようです。
早いものは年内から咲き、遅いものはまだ満開になっていません。
これは我が家の前、幹線道路そばにある藪ツバキ。


植えたわけではなく、自生したもの。
知らぬ間に定着し、よほど条件が合ったと見え生長が早く大きくなりました。
日当たりも良いためか花数が非常に多い。


今年は3月半ば頃にはほぼ満開になっていました。


今年はとりわけ花数が多く、これでもすでにかなりの数が落花しピークは若干過ぎています。


藪ツバキは汚れて醜くなることもありますが、今年は比較的汚れが目立たないようです。


但し、ここは場所が場所だけに放置できず、このまま大きくなれば始末が悪い。
今は適当に剪定していますが、何れバッサリとせざるを得ないかもしれません。
これは近くにある侘助ツバキ。


3月20日くらいから咲き出し、満開までもう少しと言ったところ。


このツバキは伯母から生前もらい受けたものと聞いています。
伯母は仮に今存命なら110歳を越えます。今となっては真偽は確かめようがありません。
小生は長い間やぶ椿と思っていましたが、確かに藪ツバキとは明らかな違い見られます。
以前にも少々調べたことを記していました。
かつて、このツバキが侘助なのかどうか確信が持てずにいましたが、今は侘助と結論づけています。


侘助は「侘助」という人物が朝鮮から持ち帰ったことで、名付けられたと言われ、侘助の条件の一つはツバキの1種「有楽椿」(太郎冠者)の子孫であること、もう一つは雄しべの先端の葯が退化して花粉を作らないことの2点だと言います。
確かに本来そうなのでしょうが、これは狭義の意味での侘助と考えることもできます。
実際にはほかに講武侘助、陸奥侘び芯、紺侘助など一般的に侘助扱いされているものが多くあり、それらは藪ツバキからの選抜だと言います。
こちらは広義の侘助と言うべきものなのでしょう。
この我が家の侘助の特徴としては以下の通りです。
近くの藪ツバキよりはるかに樹齢は古いのに藪ツバキのようには生長しない。


花の咲くのが明らかに遅く、花色がやぶ椿のような深紅ではなくピンクがかっている。


花は藪ツバキより小振りで 引き締まり、完全に開花してもやぶ椿のようには開かない。


学術的な分類ならいざ知らず、我々レベルは一般的に侘助と扱えればそれで良しです。
この侘助ツバキは独断で広義の意味での侘助と結論づけました。



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