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水瓶

ファンタジーや日々のこと

月は今でも明るいが

2015-08-30 09:31:33 | 雑記
日本人の宇宙飛行士の人って、なぜお父さんが休日に家族をショッピングモールに連れて行くみたいに
宇宙ステーションだの操作するような人ばっかりなのか不思議です。なんかみんな雰囲気似てません?

写真はみなとみらい、帆船日本丸の近くのマリタイムミュージアムに展示されている船の模型。
今日はSF読書ノートです。ル・グインとJ・G・バラードもKindleで出してくれえ!

アーサー・C・クラークの「楽園の泉」「都市と星」と続けて読みました。
「楽園の泉」は宇宙エレベーターを実現しようとする科学者兼技術者が主人公の話です。
宇宙エレベーターというのは、ずいぶん前にソ連の科学者が考えた、すごく高い所まで届くエレベーターのことです。
「都市と星」は、遠い未来の地球にぽつんと残った、文字通り閉じた都市の話。
(サイバネティクス理論を応用実現した都市だそうです。頭に思い浮かべただけで見たい景色が見られたり、
食べたいものが食べられたりする、なまけ者の夢のような都市です。いいなあ。
どちらもこれぞクラーク!といった感じで面白いです。
・・・のですが、続けて読んでたら何か物足りなくさびしい……。え、なんで?なんで?

クラークの小説というと、二つ三つ専門分野の知識を持ったような学者だの技術者だの天才みたいな人たちが中心で、
そういう人たちは当然のようにずば抜けて知性的で理性的で冷静で、わずかな欠点といえば自分の名を後世に残したいという、
比較的罪のない、欠点とも言い切れない野心がちっとばかり強いぐらいです。
平均的な人たちも脇に顔を出しますが、それとてすごく理性的で、話せばわかるような人ばかり。
敵役すらけしてバカではないという。つまりクラークの小説には

自分に似てる人がぜんぜん出て来ない・・・!!!

そう、クラークの小説にはバカな人が出て来ないので感情移入がほとんどできないのです。
そうか、それでさびしかったのか……!
クラークはバカな人が書けなかったのか書くのがいやだったのか、ほんっと出て来ません。
でもだからこそ読みやすい、というか私がクラークを好きなのはまさにそういう所ではあるんですが、
クラークの考える未来には、私みたいな人間は淘汰されちゃってるのかと思うとやっぱさびしい。ぐっすん。



上記の「楽園の泉」「都市と星」、後に書きます「火星年代記」にも扱われていますが、地球の滅び方って重要ですよね。
今まで映画や小説、マンガとか合わせたら、いったい何回ぐらい滅んだんだろうというぐらい地球は滅んでるけれど、
どう滅ぶかの描き方は、すごく大事だと思います。
核戦争とか宇宙人が攻めて来るとか彗星がぶつかるとか。自転が止まりそうというのもあったっけ。あとマグマが冷えるとか。
ていうかむしろ今までよく滅んでないな………大量絶滅はあったけど、まだ人間全部いっぺんには滅んだことありませんよね。
映画にしやすいようなドラマティックな滅び方なら比較的短期間で済むけれど、
滅ぶぞ滅ぶぞとも思わないまま、じわじわだんだんと衰退してゆく滅び方もあるんじゃないかと思います。
で、なんかえらくヘンだけど妙にリアルかも、と思い出したのが、ヴォネガットの「ガラパゴスの箱船」。
南米の経済危機から始まって人類が退化してオットセイみたいな生き物になって海で繁殖する、という滅び方です。
何がどうしてこうなった???
・・・ええと、生き物としては繁栄してますが、人類としては滅亡といっていいかな、と。
さすがヴォネガットといおうか。でもこれで話の感じがつかめたあなたはすごい!



ブラッドベリの代表作「火星年代記」ってどんなだっけ?と思ってKindleで買って読んだんですが、
クラークとちょうど対極にあるのがブラッドベリかも、と思いました。
wikiによるとクラークは1917年、ブラッドベリは1920年生まれでほぼ同世代ですが、この二人はとても対称的です。
ブラッドベリはSFだけでなく、ファンタジーや怪奇小説的なものも多く書いてますが、科学には弱かったと言われていて、
たとえば火星に下りた宇宙飛行士たちが焚き火でハムエッグ作ったり、ハーモニカやアコーディオンを演奏し始めちゃったりする。
なんか宇宙というよりは、アメリカ入植開拓史のようで、作中でもそうなぞらえています。
そんなだから、やっぱりブラッドベリのSFは今読むとさすがに稚拙で古くさいなあ、、とか思いながら読み進んでいる内に

いや、それがどうした!

と思ってしまう。これがブラッドベリ!

あっさり淡々としたクラークに対して、ブラッドベリは詩情あふれる熱っぽいノスタルジーがたっぷりで、
苦手な人は苦手だろうし、好きな人でもずっとブラッドベリばかり読んでいたら胸やけしてくるような所があるけれど、
それでも「火星年代記」が名作だと言い切れるのは、たんに叙情的なだけではないからです。
ブラッドベリの小説に出て来るのは、クラークの小説には出て来ないような人たちがほとんどで、
私はブラッドベリ描く人々の中に、沢山のありえる自分を見ることができます。
感情的で、時には勇気ある選択をすることもあるけれど、考えなしに行動したり、わかっていながら愚かなことをしたりと、
クラークの人類ならクリアするだろう障壁を、ブラッドベリの人類は越えることができません。
ブラッドベリの描く火星がどんなに実際とかけ離れていようと、
クラークよりもブラッドベリの方がリアルに感じられるのはそこなんです。人。

多分ブラッドベリは、その世代でも保守的といえるような部分もあって、物事に対する常識や感覚が現代とは少し違うけれど、
大切に思うものが同じなら、細かな違いについては「それがどうした!」と思えます。幹がまっすぐならいいじゃない?
「それがどうした!」と思えるなら、五十年前、百年前、さらにもっと前の創作物にも感動できるんですよね。

「火星年代記」は、バラバラに書きつづっていた作品を後で一つにつなげたものだそうで、
オムニバスというんでしょうか、一つ一つを短編として読むこともできます。
まるでポーの復讐のような、残酷ながら胸のすく「第二のアッシャー邸」、火星に移住した神父が見た奇蹟「火の玉」、
フロンティア前夜の恋人たちを描く「荒野」、そして老夫婦が出会った火星人とは…?「火星の人」。
ブラッドベリの描いたまるで妖精のような火星人は、いったいどこから生まれて来たんだろう。。
ちなみに記事のタイトル「月は今でも明るいが」は、特に気に入った章のタイトルです。
文明がアクセルなら文化はブレーキだ。

ブラッドベリの庭は垣根が低くて子どもでも入りやすい、一度入ると大人でもしばらく留まってしまう、そんな庭です。

ヴォネガットとアシモフと

2015-08-08 08:54:27 | 雑記
あまりの暑さにぎりぎり歯ぎしり・・・してるわけではなく、横浜人形の家の入口にあるくるみ割り人形です。
くるみどころか頭蓋骨も割れそうなほど巨大です。
あんまり暑くて頭の働きもよくないんですけれど、昨日へまをやらかしたので、それを忘れるために一生懸命ブログ書きました。
いやあ、ここまで暑いとぼーっとしちゃいますよね。。でも気を抜きすぎないように気をつけなきゃ。しょんぼり。


キューバの人形(左端だけグリーンランド)。
ここ一週間の暑さは、こういう妖怪みたいなものが頭の中を踊り狂いそうな感じでした。
あ、なんか妖怪知っとるけに似てるのがいるな。。。

オールディスの「地球の長い午後」、あきらかにこの本の影響と思われるおっそろしい夢を見てから中断してます。
本の中の悪夢のような世界が本当の悪夢になっちゃあたまらん…!



アシモフの「鋼鉄都市」、続けて「裸の太陽」を読みました。この二作の主人公は同じ刑事です。
ミステリ仕立てのSFですが、どっちの話も犯人が法的にきっちり断罪されなくて、
けれど後のことを考えた時に、いい方に向かうと思われる解決の仕方をします。
主人公の奥さんの名前はジェゼベルといって、ユダヤ教の預言者を迫害したイスラエル王妃からとった名前で、
主人公の名前イライジャは、ジェゼベルに迫害された預言者エリヤのことだそう。
このことにまつわる夫婦の会話に、アシモフのユニークな見方が出ているようで面白いです。

解説によると、アシモフはロシア系ユダヤ人で、幼い頃に、ソ連になったばかりのロシアからアメリカに移民して来たそうです。
ソ連になってからユダヤ人にはいづらくなったそうで、その頃はまだ、亡命とかしなくても外国に移民できたんだそうです。
そういえばアシモフという名前はロシア風ですね。もふもふ。



私はカート・ヴォネガットも好きなんですが、この人はドイツ系アメリカ人で、ドイツ移民の多いアメリカの町で生まれ育ったそうです。
なので、WWⅡの時には、町ごとちょっと警戒されるというか、ちょっと嫌な雰囲気になったそうです。
ヴォネガット本人は、アメリカ兵としてドイツの地に初めて足を踏み入れ、捕虜になり、
連合軍によるドレスデン爆撃に巻き込まれ、かろうじて生きのびてアメリカに帰って来る。
その経験をもとにして「スローターハウス5」が書かれます。
最中よりもむしろ終わった後になってどんどん深まってくるような体験があると思うけれど、
きっとそういう体験だったんじゃないかと思います。

ヴォネガットの小説には「人として許されないようなことをしてしまった人の一生」を扱ったものがいくつかあります。
たとえばナチスの関係者や、ベトナム戦争で、まず生きて帰ってこれないとわかっている死地に赴かせる兵士を沢山育てた教官、
将来を期待され人望の篤かった友人をごく個人的な嫉妬心からか破滅に追い込んでしまった人、
何の罪もない妊婦を、遊びのようにして射殺してしまった少年、などなど。
私がヴォネガットを好きなのは、そういった人々にスポットを当てる所です。
どうやったら、そういう許しがたい人たちが救われるんだろう?という目で、後の、さらに後の話まで追いかける。
そうしてヴォネガットは、そういう難しい物語の終わらせ方がとても上手です。どれも後味はふしぎと悪くない。

移民のように、足場がしっかりしていないなかで暮らすと、不安がつきまとったり、つらい思いをしたりするだろうけれど、
アシモフやヴォネガットのようにユニークで、けれどやさしい物の見方、考え方は、
そういうぐらぐらした足下で育って来たんじゃないかと思います。
特定の「そこ」にいなくてもいい。あなたはそうでなくてもいい。
読者への条件が少ないというか、条件の難しい人を受け入れるというか、
それが、アシモフやヴォネガットが色んな国で読まれてる理由の一つかなあとも思います。
ヴォネガットは晩年に「国のない男」というエッセイを書いています。
ニューヨークで幸せに暮らしていたようだけれど、やっぱりそういう気持ちがずっとあったんだなあ。。。
でも、しっかりした足下がないことは不幸だけれど、長い目で見た時には悪いことばかりじゃない。ですよね?


アルメニアの人形。アルメニアは内陸の国です。海に囲まれた日本とは逆ですね。
人形の家では時々入れ替えや並べ替えをしているようで、その時々によって、目に止まる人形が違ったりします。
で、帰ってどういう国かなと地図やwikiで調べたりして、それが面白かったりするんです。
たぶん、人形なのがいいんじゃないかな。

トワイライトゾーン

2015-07-28 19:29:50 | 雑記
先週の土曜日、夕暮れ頃に歩きまわったみなとみらいの写真です。
ついでに最近読んだ本についてちょぼちょぼと。

Kindle買ってからはじめて電子書籍じゃない本を買いました。ブライアン・オールディス「地球の長い午後」。
遠い未来、自転を止めて永遠に続く昼と夜の面に分かれた地球と、地球の重力から離れて惑星となった月。
まるで肉食獣のように進化して繁栄した植物のジャングルに、退化してわずかに細々と生き延びる人類と、
特殊な進化を遂げたいくつかの昆虫種。
まだ途中なんですが、このおっそろしい動植物たちの食うか食われるかのすさまじい戦いが微に入り細に入り描かれてまして、
結構グロくてげんなりしそうな所もあるけど、いや~面白いコレ!クセも強いけど!

とにかくリアリティなんかクソくらえ!みたいな奇々怪々かつ魅惑的なイメージがふんだんに出て来ます。
地球と月の間に渡したツルを行ったり来たりする巨大蜘蛛のような植物ツナワタリとか。ぶっとんでるよこの人ぁ。。
ルソー描くジャングルの葉陰にひそんでた何かが、真っ昼間の強く激しい太陽の下に思いっきり飛び出して来た感じ。
ワイルド&ハードです。きっと今の夏のように暑かろうて。。。




コスモワールド遊園地のディスクOのレール。
座席のついた円盤がぐるぐる回りながらバナナ状のレールの上を行ったり来たりする、
乗り物に酔いやすい人(森のなかまとか)には地獄のようなアトラクションです。


アイスワールドは今が一番稼ぎ時でしょうか。ヒヤヒヤ!





オーソン・スコットカードの短編集「無伴奏ソナタ」。作者を見いだした編集者が序を書いていて、
「出版社はとにかく短編集やアンソロジーを出したがらない。名前で売れる人でもできれば長編を出したがる。」
と。。ああそうか、短編集やアンソロジーが少ない気がするのは日本だけじゃないのか。。。
でも私は、短編集やアンソロジーでアタリをつけて長編にも手をのばす、みたいなパターンで好きになった作家が多くて、
例えばこの作家合うかも、とか、好みじゃないけど短編集なら面白く読めそう、とか。
あと、あんまり面白くないと思っても短編ならすぐ読み終えるし、
短編十個あれば、好みでない作家でも二つ三つは面白く読めたりするし、
どの辺にこだわりのある人なんだろうとかなんとなくわかるし、短編集いいのになあ。。。
短編集ばんざい!アンソロジーばんざい!

で、この「無伴奏ソナタ」、私にとってはかなりアタリがいい短編集でした。
後に長編シリーズものになる「エンダーのゲーム」も鮮烈だけれど、表題作がとてもよかったです。
具体的にどう実現したかは書かれていないけれど、人の性質や能力が生まれてすぐわかって、
個々人に応じて最適と考えられる職業や伴侶が決められて与えられるような社会の話です。
あらゆる面でのロスやリスクが最低限に抑えられている超管理社会、みたいな感じでしょうか。
その社会では、人にネガティブな感情を抱かせる表現活動は徹底的に取り締まられています。
だから、人を悲しくさせるような音楽も作ってはいけない。
けれど、不満をほとんど知らずに育ったのに、人々は自分を悲しくさせる音楽を知って、もっと聞きたいと願う。
聞いて不幸な気持ちになるにも関わらず。


回転してるのタイムマシン?いえいえ絶叫マシンです。でもなんだかトワイライトゾーンみたいな写真でしょう?
ちゃらららちゃらららちゃららら♪


もうもうと暮れてゆく猛暑日。ぼんやりかすむ空気。地球はまだ自転してるのか疑いたくなる暑さです。



そしてアシモフの「われはロボット」。1950年刊行というかなり古いSFです。
スターウォーズのC-3POやR2-D2って、アシモフが考えたロボットがもとになってるのかなあ。
アシモフのロボットって、生意気だったり愛敬があったりするんですよね。

最終章は「マシン」と呼ばれる世界全体を管理する最高の人工知能が、人間の幸福をどうとらえるかという話でした。
(国というものがなくなって、統合されたでっかいコンピューターが、
いくつかの区域に分けられた地球を管理運営している未来という設定です。)
自我を持ったコンピューターが人間を支配しようとする、みたいな話じゃなくて、
人間に危害を加えてはいけない、などの前提がきちんと与えられた、いわば正気の人工知能の話です。
この本には、マシンが考えて実現しようとしている人間にとっての幸福な未来がどんなものなのか、答えは書かれていません。
そのことに思い至ったある人はおそろしいと言い、ある人はすばらしいと言い。

私は、できるだけ多くの人間が飢えたり病気になったりせずに、安全に生きていけるというような、
大きな意味での幸福な社会は、人間よりもコンピューターの方が近い道筋を探せるのかも知れないなあと思いました。
でも、個々人の幸福「感」に至る道筋については、、、いっくら優秀なマシンでも手に負えないだろうなあと。
お腹が痛くなった経験がないと、お腹が痛くない幸せに気づかないのが人間だものね。
おまけにのど元すぎればすぐ忘れるし。自分がとてもそういう人間だからそう思うんですけど。
こればっかりは、どんなにめんどうでも自分で考えて探すしかないのかも知れませんね。




冬の夕暮れは寂しくて、そんなに早く日が落ちないでと思うけど。


ようやく夜が訪れてほっとする夏の夕暮れ。ああやっと、長い暑い昼が終わった。。。まだ自転してたね。

夏のはじまり

2015-07-19 13:35:13 | 雑記
ここの所ずっと風強く、雨が時折激しくふってはやむとむしむしでしたが、今日はふつうに暑いですね。。。
昨日は森のなかまの実家へ顔を出しに行って来ました。
でも電車に乗ってた時間が長かったのと、雨が降っててほとんど写真を撮れなかったので、
前に撮った横浜人形の家の写真とともに、まとまりのないことをパラパラと。



上の句「アンドロイドは」とくれば、下の句は、そう!「電気羊の夢を見るか?」。
タイトルがあんまり有名すぎて読んだと思い込んでたんですが、あれ?あらすじ読んだら記憶にないよ………
というわけであらためて読んでみました。さすが名作と言われるだけあって面白かったです。
でも作中に出て来るアンドロイドと人間を見分けるフォークト・カンプフ検査って、
人間もゴロゴロひっかかる気がしてしょうがないぞ………わざとそんな感じにしたのかな?

ちなみに上の写真はフランスの「オートマタ(自動人形)」。手紙を書く動きをするんでしょうか。
ドイツの作家ホフマンに「砂男」という自動人形が出て来る小説があるんですが、すんごく不気味で怖いです。
ていうかホフマン怖い。ポーより怖い。。
アンドロイドは人造人間なので、ロボットのような機械とはまた違うようです。



「順列都市」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」「果てしなき流れの果に」「サリーはわが恋人」
「無伴奏ソナタ」と、KindleにしてからSF三昧です。もう7月の予算使いきっちゃったよ。。
でもKindleストア見てると、電子書籍で出てる本って、意外にまだ少ないんですよね。
新しく発行された本は電子書籍も同時に出るものも多いけど、
私にとっては本屋の主力コーナーにあたる文庫本ではまだまだ少ないみたいで、
そういうのもガンガン出してるハヤカワとか創元はどっちかっていうと例外の出版社のようです。
まあSFとかSF読者は電子書籍と相性がいいっていうのもあるかも。
そういえばアシモフの「サリーはわが恋人」は自動運転の車の話です。かつてのSFがほんとになってきましたね。



SFの合間合間に違うのもはさんでまして、岡本綺堂の編んだ「中国怪奇小説集」もその一つ。
中でもすごく印象の強い、「眉間尺」という不思議奇妙奇天烈な話がありました。
有名な話のようで、古くから色んな書にかなり違うバリエーションで治められているそうなんですが、
私が読んだのは「捜神記」がもとにある話で、それがこのwikiの「捜神記における記述」という項にあるものです。
こういう古い伝説や神話って、なんでこういうはめになるのか今の感覚からはわからないんだけれど、
お話に込められたエネルギーがすごく強いというのか、そういう話がありますね。



こころ旅・青森県で、正平ちゃんが三戸とか八戸の地名の「戸」がどういう由来なのかを
地元の人に聞いてもわからない。。。というわけで調べてみたら、
馬の牧場を管理する行政組織の区画単位だったという説があるようです。おお、なるほど!
ちなみに一戸から九戸まであり、四戸だけないそうです。縁起かつぎかな?
宮本常一さんの言うとおり、青森ってほんとに古くからの馬の産地だったんだなあ。。。なんか感動。




昨日の帰りには、前々から一度行ってみたいと思っていた青山にある伝統工芸センターに寄って来ました。
漆器や陶磁器、織物、木工品、和紙など、産地ごとに分かれて置いてあるお店です。
置いてある商品はどれもそれなりのお値段の立派なもので、
現代風にずいぶん洗練されたデザインのものも多かったです。
でも高いといっても、紬とかの反物の○十万とかが一番高い部類だったかなあ。。。
あと漆器はやっぱりいいお値段。この辺は見るだけ見るだけ。でもいいもんですね。
結局、静岡の賤機焼きというお手ごろな器を一つと、森のなかまに錫の打ち出しのタンブラーとを買いました。
早速帰ってから、森のなかまが錫のタンブラーでビールを一杯。
「泡のきめが細かい!味もちがう…!」そうです。あと、洗う方といたしましては割れないのもいいよね!

伝統工芸センターの向かいには、青山通りをはさんで木立が広がっていて、あれひょっとして赤坂御所かなあ。
すでにひぐらしがカナカナ鳴いていました。涼しくなる音。

次々と小説読むサイクルにはまってしまったので、しばらくブログの更新ひかえめになるかもです。
梅雨も明けたようで、これからいよいよ本格的に暑いですね。無事に真夏を越しましょう!


「祈りの海」 グレッグ・イーガン

2015-06-26 21:39:35 | 雑記
Amazonのおすすめでしきりに出て来るグレッグ・イーガン。短編集を一冊読んでみました。
1961年生まれ、オーストラリアの人だそうです。これアタリだ…!!

私は最近のSFが苦手なんですが、それは作中に出て来る最先端科学の説明が理解できなかったり、
それをもとにして作者が展開する未来のテクノロジーがイメージできなかったりするからなんですが、
このグレッグ・イーガンも思いっきりそういう類いで、かなりわかりにくいです。
一番わからなかったのはパラレルワールドを扱った「無限の暗殺者」という短編で、
何が起こっていて何が問題なのか、最後にどういう結末を迎えたのかすら、ほとんどわかりませんでした。
他の短編も理解度50%ぐらい……面白く読めるギリギリのラインです。

(でも私が面白いと思う小説って、70%から80%ぐらい理解できたかなあ、ぐらいに感じるものに多い気がします。
読み終えた後に、わからない感がいくらか残されたままのように感じるもの。
ちなみに私が勝手に考えてる50%以下の理解というのは、
作品の意図を正反対に読み間違えてしまいかねない程度の理解のことです。
北向いてるのを南向いてる、のように読み違えてしまうのはやっぱり良くないですよね。。。

でも、そのギリギリかろうじての理解でも面白かった…!!
たとえばある人の脳をコピーしてその機能を完全に果たす、しかも半永久的に劣化しない代替品が出来た未来に、
人間は自分の脳がピークに達する二十代ぐらいに脳をかき出し捨てる手術をしてその代替品を頭に入れて生きるとか、
個人をコピーした人格プログラム(この辺大変怪しい説明になります)みたいなものを作って保存しておいて、
死んだらバーチャル世界、、っていうかなんか多分コンピューター上の世界に再生して生き続けさせるとか、
ほんとにそれでいいの?なんか見落としてることなかったっけ?みたいな、そういう話が多いんです。
このグレッグ・イーガンという作家が、うろうろしている辺りがなんとなーくわかるでしょうか。。
で、しかも、単純にその代替脳とか代替人格とかがいかん!けしからん!みたいな話にもならず、
コピー脳になった人が主格になってお話が進んだりするのがこの作家の面白い所なのです。
そして、そうした葛藤の結論がはっきり出されているようでもないので、この人の本、もう何冊か読んでみたいなあ。

これらの話って、実際にそういうテクノロジーが実現されてから悩んだり考えたりすりゃいいじゃん、
と思うかもですが、そうやって切羽つまった極まった状況を仮定してみることで、
今抱えてるもやもやしたものの正体が、もうちっと見えてくる、みたいな面があるんじゃないかと思います。
SFの醍醐味って、きっとそこにあるんですよね。

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最後にネタバレっぽい話になってしまいますが、表題作「祈りの海」は、地球から遠く離れた惑星での話で
(遠い昔に地球から宇宙船で移住したらしいけれど、一度文明がとだえて退行してしまった過去があるらしい)、
その星で信じられている神話への信仰がもたらす深い安心感や恍惚感が、
その星のある物質が脳とか神経に働きかけた影響にすぎない、と科学的に説明されてしまったら…?というもの。
読み終えて、たとえば進化論を認めるのと同時に、旧約聖書の創世記を信じることができるものだろうか?
というようなことを考えました。

すごくデリケートな話になりますが、私は、宗教心や信仰心て、
生きていくために必要な狂気のようなものなんじゃないか、と考えることがあります。
誰にでも必要というわけじゃないけど。



・・・でも今月の予算はほとんど使ってしまったので、芥川龍之介を読むのです。
99円で全作品入ってる本が買えちゃうんですよ……すごいですよね。