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水瓶

ファンタジーや日々のこと

ユーモア、そしてブラックユーモア

2016-01-17 09:05:49 | 雑記
先日テレビでアガサ・クリスティー原作の映画「オリエント急行殺人事件」をやってたんですが、
前に見たのはずいぶん前のことだったので、とても楽しんで見られました。
オールスター・キャストのそうそうたる面子!
アルバート・フィニーという役者さんがポワロをやったのはこの一回きりなんだそうですが、
姿格好のイメージはこの映画が一番原作に近い印象です。
ショーン・コネリーにヴァネッサ・レッドグレーブ、美貌のジャクリーン・ビセット、
えっ、まさか!と思ったらなんとイングリッド・バーグマンが地味~な役で出てたり、
あれ、オーラが薄い感じのこの人なんかで見た憶えあるなあ、と思ったら「サイコ」のアンソニー・パーキンスだったり。
ローレン・バコールのミセス・ハバーズはちょっとかっこよすぎて原作のイメージとは違うんですが、
なにげないしぐさまでさまになってて思わず見惚れてしまうようで、
あの時代のハリウッドの銀幕スターの存在感ちゅうのはすごいですな。。。

ええとまあそれで、クリスティーを読みたくなって電子書籍で新たに買ったり本をひっぱり出したりして読んでるんですが、
クリスティーの短編はユーモアが際立ってるなあと。ことに「ヘラクレスの冒険」とか。
私は結構笑いについてはうるさい方なんですが、ちょっと思ったことたらたら書いてみようかなあと。
あくまで私個人の好みにもとづいた、すごく主観的な話です。あしからず。



私の好きなユーモアというのは、「これがユーモアだ!」とは言いにくいようで、たとえば「このセリフがユーモアだ」と、
取って示せるようなものではなく、つかもうにもつかめないかすみかもやのようです。
一枚の絵全体を眺めた時にユーモラスだと感じるように、かもし出される空気というか。配置、構成の妙で。
あと「ユーモアとペーソス」って昔よく映画とかのコピーにありましたけど、
コメディでペーソスがあんまり強いのは嫌いで、なくてもいいです。
ペーソスとはコトバンクによればこういう意味です。ウェットなのいらん。

読む本がかたよってるせいもあるんですけど、わりとイギリスの作家にユーモアが巧みな人が多い気がします。
ダンセイニもそうですし、「銀河ヒッチハイク・ガイド」を書いたダグラス・アダムスという人もそうです。
イギリスの上流階級って、すごくユーモアが効く舞台なんですよね。。。
体裁とか体面とかをすごく気にしてて、マナーや社交辞令が行き渡ってる社会というか。

最近シェークスピアの「十二夜」を読んだんですが、そういう口あたりのユーモアをさかのぼると、
源はその辺てことになるんでしょうか。まあ大体のことはシェークスピアが元祖って言っておけば間違いない気はするんですけど。
解説に説明があったんですが、十二夜というのはクリスマスから十二日目の一月六日のことだそうで、
この日に愚者の祭りっていうんでしょうか、ふだんの秩序をひっくり返したような、
ハメを外した乱痴気騒ぎのお祭りが行われていたそうです。裏クリスマス?
そのドタバタにちなんで、一月六日に喜劇「十二夜」の舞台が初演された、とかうんぬん。
あ、そうだ。それでそれを知らずにたまたま一月六日に「十二夜」を読んだのが、なんか偶然でうれしかったなあ。
「十二夜」には道化師が出て来るんですが、道化というのも面白い職業ですよね。
仕えてる相手、主人を面と向かってバカにしたりする。そういうことが職業的に成り立っていたっていうのは不思議ですね。



そして取り扱い危険!なのがブラックユーモアです。
昔角川文庫でポケットジョーク集がシリーズで出てまして、テーマが「男と女」とか「子ども」とか、
「酒・ギャンブル」とかいった具合に分かれていたんですが、その中にズバリ「ブラックユーモア」の巻がありました。
おおっぴらに言えるようなもんじゃなくて、ひっそりこっそり交わされるジョークとでもいうんでしょうか。
今はあれ、発行できないんじゃないかなあ。。

ブラックユーモアはユーモアよりもずっと、時と場合や相手やをすごく選ぶんじゃないかと思います。
私は筒井康隆さんの小説が好きで、十代の頃にはずいぶん読み込んだんですけれど、
ブラックユーモアというとまず一番に筒井さんの名前が思い浮かびます。
かつて断筆宣言されたりしてますが、ブラックユーモアは、名手にしてそういうトラブルが起こりえる難しさがあります。
私はブラックユーモアは他の何よりも質が大事だと思っていて、この場合の質は「笑える」ことです。
(といっても、あくまで私が笑える、としか言えないんですけれども………。)
質の悪いブラックユーモアは陰惨で笑えず、ただただブラックなだけです。
ひねりもなんもなくて、単なるド直球の悪口や嫌味、皮肉、嘲りからは、ユーモアは生まれない。

ブラックユーモアは毒のようなもので、たとえば予防接種でごく弱いウィルスをほんの少し体内に取り込むことで、
インフルエンザを予防できるような、そういう性質のものじゃないかと思います。
そして予防接種をするのは、弱ってる時じゃなくて、体力のある時、健康と言える時です。
盤石な倫理観が世の中に行き渡っていて少し息苦しさを感じる時に、陰でこそっと言ってふうと息をつくような。
誰しも聖人というわけにはいかないですしね。清すぎる水に棲んでると弱ってしまう。。
でも、今はそういう意味では、あんまり壮健な時代じゃないんだろうなあと思うことが多いです。
予防のつもりで接種したら、本当にインフルエンザにかかって重症化してしまう、そんな時代のように思います。ふぃー。

ブラックユーモアは主流や王道にはなりえないもので、もしもその黒さが暗示している価値観のようなものが、
堂々ど真ん中に御神輿をすえた時には、全く笑えないものに変わってしまう。
だから、中央にあるものがぐらぐらしてあぶなっかしい今は、昔よりもずっと、
ブラックユーモアを扱うことが難しくなってるんじゃないかと思います。ブラックユーモア受難の時代。
でも本来、硬直してガチガチになった土壌ををやわらかくするのに役立つものなんですよね。毒も使いようで。



うーん………だんだんしょんぼりしてしまいました。
笑いやユーモアについて何か書こうとすると、大体ユーモラスじゃなくなるものなんですよね。

               

ついで。私は筒井さんの本を十代の頃に読み込んだおかげで、語彙がかなり豊富になったと思います。
多岐なジャンルに渡って該博な方で、そういった知識が小説やエッセイの中に好奇心をそそるように散りばめられていて、
難しい言葉から××な言葉まで、とても沢山筒井さんの本で憶えました。ゲゼルシャフトゲマインシャフト!
当時はそういうこと考えて読んでたわけじゃないんですけども、今思うとありがたいことですね。

電子書籍と紙の本

2016-01-09 21:33:22 | 雑記
年末に移動中の電車や実家で読もうとKindleでけっこう本を買い、また紙の本も買い、
あらためて電子書籍と紙の本の違いについて考えるところがあったので、ちょっとまとめてみました。
写真は大晦日、実家に帰る途中に寄った浅草の隅田川です。
あの船は松本零士さんデザインでかっこいいんですよね。日本の人も外国の人も沢山、船着き場で待っていました。

電子書籍のいい所

① 場所をとらない
この利点は強いです。紙の本はどうしてもかさばります。この利点はマンガではさらに大きくなります。
住宅事情がよほど良くないかぎり、スペースがなくってゆく恐怖感。。。

② (少し)安い
もう終わっちゃったんですけど、光文社古典新訳文庫が半額セールをやっていたので結構買いました。
半額だとこんなに購買意欲がそそられるのかと思います。
ちょっと冒険かな~みたいな本でもべしべし買えて、今まで知らなかった面白い作家も見つけられました。
でもまだ基本的には、紙の本に比べてあんまり安くないですよね、電子書籍。過渡期の出版事情とかもあるんでしょうけど。

③ その場ですぐ買える
おうちにいたまま「おっ!」と思えばすぐ買えてしまう。
Amazonもない昔は、本屋に注文して一週間から十日待ってまた本屋に取りに行ったりしてたのです。
しかしあの、Amazonのすぐ届く速さはすごく便利なんだけど、色々考えてしまい、プライム便は使えません。。

④ 重くない
電車の中や旅先にも本棚を持っていけるすばらしさ。電車の中でどれ読もうかな~と気軽に選べることのぜいたくさ・・!

紙の本のいい所

① 読破感が強い
これ意外に大事な気がします。達成感というか。今までで一番読破感が強かったのはプルーストの「失われた時を求めて」です。
それはもう読破感がすごかったです。なにせちくま文庫の分厚い文庫本で十巻分ありましたから。
最後の方で感動したんですが、いったい本の内容に感動したのか、
それともこんだけ長くてめんどくさい本を読み終えようとしている自分に感動したのか今となってはさだかでないです。
でもなんせ、「失われた時を求めて」は二十世紀文学の金字塔ですから、
いっぺん読んでみたかったのです。まさにチャレンジ精神です。
読み終えた時には十巻全部並べて眺めて悦に入りました。
そして、自分はやっぱりあんまりプルーストが好きじゃないことがはっきりしました。
ちなみにもう一つの金字塔、ジェームス・ジョイスの「ユリシーズ」は、
「失われた時を求めて」ほどは長くないけど中途挫折したままです。
到達するのが難しいからこそ金字塔なんだな。。。

② 一冊一冊に独立感がある
これは読破感とも関係あるんですけれども、芥川龍之介がKindleで安く出てるので買ったんですが、
全作品が入っていてすごくお得なのです。が、ずっとは読み続けられないんですね。。。いっぱい書いてますし。
だから「芋粥」や「蜘蛛の糸」から、晩年の「或る阿呆の一生」や「河童」まで読まないと読み終わらないんですけれど、
こうなると、ほとんど芥川龍之介の一生を追いかけるようです。
うわ、、、でもこうしてみると35才の生涯とは思えないぐらい濃密な作家人生送ってますね。。。しんどいよう。
それだけに、短い生涯のあいだに作風もずいぶん違ってきていますし、短編中編を集めた本でも、
ある程度時期とかによって区切られていた方が、その本の個性というんでしょうか、そういうので把握しやすい気がします。
まあ他の電子書籍は紙の本と同じように分かれているんですが、やっぱり「一冊の本」ていう感じは薄まる気がします。
インディペンデンス・ブック。

③ 装幀の楽しみ
独立感とも関係するかもですが、たとえ文庫本であれ表紙の絵やデザインがあって、
それで一冊のイメージを把握して、頭の中なり心の中なりにラベリングしてストックできます。
たとえば子どもって、最初は絵本から読み始めて、その後挿絵の多い本になり、
段々文字だけの本でも読めるようになるという流れがあると思うんですが、
だから「本=文字」ではないんですよね。限りなく近いけれど。
で、この文字以外の部分て、文字で書かれた内容を記憶したり、印象を強めることを助けてくれる気がします。
だから教科書には信長の肖像とかのってるんですよね。けして落書きするためじゃないのです。したけど。

④ パラパラめくりの意外な検索力の高さ
電子書籍はページをパラパラめくることができないのが大きな難点の一つです。
これはほんとに電子書籍で読み始めるまでわからなかったんですが、ええと、あれどこに書いてあったかな~と探したり、
アンソロジーのどれ読もうかな~とか思ってパラパラめくってざっと眺めたり、みたいなことが電子書籍ではできません。
しかし気づかなかったけど、章のタイトルや、ヘタすると短編のタイトルすらも、私憶えてなかったんですね。。。
そんな感じで、電子書籍はぼんやりなんとなく、のアクションがしにくいんです。なんでも明確になってないと。キビシイ。

・・・と、こうしてまとめてみた所、電子書籍のいい所の方がはっきり明確で言葉にしやすく、
逆に紙の本のいい所はあいまいで言葉にするのが難しかったです。
正直、紙の本の良さは思い入れみたいなもので、必要ないといえば必要ないものとも言えます。
でもそのあいまいで、なんとも言いようのないところが、まさに紙の本、手に触れることのできる物の力なのかも知れません。

今のところ私の結論としましては、読書を楽しむためには、本当はできれば紙の本が一番いいんだけれど、
もろもろの事情によりそういうわけにもいかないから、代替物として電子書籍で読むことも多いし、
それでとても助かっている、といった感じです。



ちなみに最近知った面白い作家がこの人です。プリーモ・レヴィ
内容紹介のところに「アウシュヴィッツ体験を核に問題作を書き続け、ついに自死に至った作家」とあって腰が引けたんですが、
わりとバカバカしくて笑えるユーモラスな短編が多かったです。
寄生虫の生と死や、宿主への愛について語るサナダムシの詩とか。
アウシュビッツにいたことがあるからって、必ずしも深刻で深遠な作品ばかり書かなきゃいけないってことはないですよね。

「ウィスキー&ジョーキンズ」 ロード・ダンセイニ

2015-12-25 07:11:48 | 雑記
「ずいぶん凝った装幀だね___へえ、ケースの穴から顔とグラスがのぞくってわけか。楽しげでなかなかいいじゃないか。これがクール・ジャパンなら悪くないね。」

「さあ知らんね。私はジョーキンズものの邦訳が出ただけでも満足だよ。ペガーナ神話はすばらしい傑作だが、濃密すぎるんでね。」

「ぼくは『不死鳥を食べた男』が好きだったな。あれもほら話だろう。しかしどうもほら話というと軽く見られる気がするね。フィクションと言った方がいいんじゃないか?」

「それじゃ他の小説と同じになってしまう。フィクションの中のフィクションとでも言えばいいかな?しかし君、重けりゃいいってもんじゃないよ。軽くて上等ってもんだ。ほら話を楽しむ能力というのは、人間に与えられたギフトの中でも上等の部類に属するものだと私は思うね。この本でもごく始めの方で注意を促しているだろう。ジョーキンズの言葉を一言一句でも信じてはいけないと。だがどうだ、その信じちゃいけない話を聞くために、クラブの面々がどれだけジョーキンズに気を使っていることか。ジョーキンズの舌にスピリッツをちっとばかり湿らせたなら、そりゃもう滑らかに回るってわけで。」

「でもやっぱり、実際の場所や話と違う、そんな生き物はいやしない、そんなことあるはずがないって言い立てるやつもいるんだろ?」

「無粋な人間ってのはどこにでもいるからね。わかっちゃいないのさ。われわれ緯度の高い国に住む人間にとってジョーキンズのほら話は、長く暗い冬の間に滅入りがちな気分に対抗するための、強い陽射しのカンフルのようなものだ。東洋の香りのする、ね。あるいはまったく逆に、鴫撃ちに出かけた沼沢地で迎える黄昏のように、胸に迫るひっそりした愁いを味あわせてくれるものなんだ。」

「ダンセイニ卿が描く幽霊は怖くないね。ぼくは以前怪奇もののアンソロジーで『谷間の幽霊』を読んだ時、肩すかしをくらった気がしたよ。」

「そう、ダンセイニ卿の幽霊は怖くない。すさまじい怨念を抱いてもいなければ、悲劇的な雰囲気を漂わせてもいない。時にはコミカルですらある。過去そうして来たようにふらふらとさまよいながら、時がたち薄くなってやがて消えるのを、なすすべもなく待っているかのようだ。怖くなし、悲しくもなし、ただものさびしい。宅地開発で森をおん出されたサテュロスなんかのお仲間さ。もっとも、したたかにやってる奴もいるようだが___何にせよ、年がら年中あれは嘘だのこれは本当だの、重箱の隅をつついて騒ぎ立てるような沙汰は、私は遠慮願いたいね。」

「ジュウバコ?なんだいそれ?」

「ああ、日本の漆器の四角いランチボックスさ。日本人は何かっていうと重箱にスシやテンプラやラーメンを詰めて、やれ桜だ月だと外でパーティーをして浮かれたり、フジヤマにピクニックに行ったりするんだ。」

「だって君、ラーメンてスープに入れたヌードルじゃないか。そんなものまでランチボックスに入れるのかい?」

「野外で茶の湯をたてて湯を注ぐんだよ。カップラーメンはリキューが創始者だからね。特許こそ取らなかったけど。彼は世知にうとかったから。」

「ふうん、なるほど。___でも、もう少し待ってたら、文庫本で出ないもんかな?___その、ここのところ、ちょっとばかりふところがさびしいもんで。」

「さあ、今は本が売れないご時世だからねえ。私なら、文庫本で出るより先に最後の審判のラッパが鳴る方に一杯賭けるね。ふん、まあケチくさいことを言わないで、賭けの結果が出る前にジョーキンズのほら話を楽しんでみたまえよ。焚き火で手を温めるようにね。」


                           


どうもおそまつさまでした。ジョーキンズばんざい!

カッパとクリスマス

2015-12-24 08:23:34 | 雑記
クリスマスイブなので、先日撮ったクリスマスっぽい写真です。

何年か前にちょうどイブが土曜日で、赤レンガに行ったところ大変な混雑で、段差で大きく転び、
ひざから流血の事態となり、半泣きでコンビニでバンドエイドを買いと、とんだブラッディクリスマスとなりました。
以来、クリスマス直近の赤レンガは避けてます。あかんて。


赤レンガクリスマスマーケットの入口の人形。横浜人形の家にあった巨大なくるみ割り人形に似ています。
そういえばクリスマスにはくるみ割り人形のバレエをやるものなんですよね。「テレプシコーラ」で知ったんですが。


マーケットの屋根の上に飾られた人形。ヘンゼルとグレーテルと、赤ずきんちゃんの童話からでしょうか。


木に作られた森のなかまたちのおうち。おいでよ!


西日を浴びてちょっとまぶしそうなくまくんたち。


赤レンガ倉庫の裏側は人も少なめ。ちゃんと赤いんですよ。


イルミネーションも今がさかり。

クリスマスにミステリーやホラーを楽しむっていうのは、イギリス発祥なんでしょうかね?
日本だと怪談といえば夏の風物詩だし、冬のはないなあとか思ってたら、あっ、遠野物語は冬っぽいじゃないか!
で、ふと思ったんですけれど

カッパって冬はどうしてるんだろう?

雪がつもって川が凍ったり、きゅうりもないし、冬眠してるんでしょうかね?
冬に雪ん中で動いてるカッパがいたらさびしそうだなあ。
ちなみに伝承によると、カッパは刃物が嫌いだそうです。
ときどき人から尻小玉抜いたりしますけど、まあまあ平和的な妖怪なんですよね。



年末ジャンボミニっていうなんか矛盾した宝くじを一組買ってみましたので、
サンタさん、なにぶんよろしくお願いいたします。
年齢なりに難しいことも起きたりしますけど、少しずつ明るい方へ向かって行けるといいなあ。
メリー・メリークリスマス!

マンガのこと

2015-11-27 21:07:55 | 雑記
このブログではマンガのことをあまり書いてませんでしたが、今日はちょっとマンガのことを。
なぜかというと、数年前に亡くなられた佐藤史生さんという漫画家の本が復刻されたのを知ったからなのです。
萩尾望都さんや山岸凉子さんとかに比べると知名度は低いと思うんですが、私は佐藤史生さんのマンガが大変好きなのです。
正直言うと、以前には好きな漫画家の一人であって、寡作といわれる作品も全部読んでたわけじゃないのですが、
なんか年々、昔ほどマンガを読まなくなってゆく中で、なぜかこの人のマンガの存在感が増して来た感じです。
昔持っていた「夢見る惑星」「ワン・ゼロ」という、どちらも全四巻のコミックが瓦解して
(昔の糸綴じみたいなマンガでは結構あった)、
い~や新しいの買えばいいや~なんて思って捨てちゃって、思い出した頃探してみたら、

・・・ない!!!うえに古本めっちゃ高い!!!

という憂き目を見ました。くれぐれもマンガを売ったり捨てたりする時には気をつけましょう。これ。
ところが先日、作品が順次復刻されているのをAmazonで知ったのです。やったあ!!!
・・・と思ったら、あれ?結構高い。いや、多少高くてもいいんだけど、コミック一巻分が1500円以上ってやっぱ高いよね?
しかもKindleの値段もあんま変わんないし・・・でも新しく出るだけいいか。。。
というわけで、ちょびちょび紙の方で買っていこうかなと考えてます。
(この価格差ならやっぱ紙かなあと。いやでももうちょっとまかりまへんか?ほんま。)

話変わりますが、最近Kindleで手塚治虫さんのマンガがセールになっていたので、何冊か買って読んだら、やっぱり面白いんです。
ブラックジャックや火の鳥みたいな大作ではなく、一作品2,30ページぐらいの読み切り作品がまとまったものなんですが、
よくこれだけアイデアがあって、しかもみんな面白く読めるなあと。手塚治虫やっぱりすごい。ふーんふーん
でも今読むと、「あ、今こういう風に書くとアウトだ」みたいな表現が結構あって、
こういう感覚も知らない内に変わって来ていたんだけど、気づいてなかったんだなあと思いました。時代は変わる。

あと最近のマンガでは、森のなかまが毎週買っている少年ジャンプ(このままだと還暦になっても読んでそうな気がする)、
面白いなあと思わずKindleで単行本を買ってしまったのが「ブラッククローバー」というマンガです。
絵も上手いし、話も本当に少年マンガの王道で、とても安心して読める感じです。
買うに至った直接のきっかけは、まだ三巻しか出てないから。
(少年マンガはあっという間に十巻二十巻いってしまうので、そこまでいくともう単行本で買いそろえる気力が萎えてしまうのです。
この地獄のようなペース、作者も死ぬけど読者も死ぬ。。。

全体に明るいコメディタッチのものかギャグっぽいのが好きなので、ジャンプでは、
珍しい社交ダンスもの「せすじをピンと!」とか、銀魂(最近暗いけど)とか暗殺とか超能力とかいそべえとかお気に入りです。
ちなみにマンガの好みは森のなかまとは結構反対で、森のなかまの押しは相撲とバレーボールと将棋だそうです。

あと、マンガといえばずっと気にかかっているのが、それこそ小学生の頃から読み始めて四十巻ぐらいまで読んでいて、
残りは完結したらまとめて読もうと心に決めている「ガラスの仮面」なんですが、
作者の美内すずえさんがご存命の内に完結するのかと半分冗談で心配している内に、
近頃は自分が存命中に完結するのかも心配になって来ました。
読み始めた時は初巻のマヤちゃん(13才か14才)より年下だったんですけど………紅天女~~~!!!

というわけで、やはりマンガ黄金期というかマンガ高度成長期にマンガを読みあさった世代なので、語り出すと結構あっついです。

佐藤史生さんの話に戻りますが、もうちょっとメジャーになれば本の値段も安くなるかも・・?との下心もあります。
でもそれだけでなく、このまま忘れられてしまうには本当に惜しい作家さんです。
佐藤史生さんの作品の特徴は、いわゆる王道ではなく(でも邪道というのでもない)、結末が全く想像できないことです。
けれどその想像できない結末は、けして奇をてらったものではなく、佐藤史生さんのマンガではごく自然に受け止められる結末で、
なんかそういうのってすごいですよね。。。
最初は「???」となるかもですが、好きな方は好きだと思いますので(としかいいようがない…)、
よかったら手を出してみて下さい。SFやファンタジー好きな人は結構いけるんじゃないかなあ。
ちなみに佐藤史生さんの復刻本にコメントを寄せているお友達の坂田靖子さんのマンガもほんわかしてていいですよ。
こちらは紙の本でもKindleでも結構出ていて、値段もお手ごろ。
坂田さんのマンガは精神安定剤のようなもので手放せません。

ところで、マンガ、まんが、漫画、どう書くのが一番しっくりくるかちょっと考えるんですが、
なんとなく私はカタカナ表記が好きかなあ。いや~、マンガって、ほんっとにいいですよね!


(冒頭の写真はアメリカ山公園のイルミネーションです。佐藤史生さんのマンガってこんな感じのイメージなのです。)