先日テレビでアガサ・クリスティー原作の映画「オリエント急行殺人事件」をやってたんですが、
前に見たのはずいぶん前のことだったので、とても楽しんで見られました。
オールスター・キャストのそうそうたる面子!
アルバート・フィニーという役者さんがポワロをやったのはこの一回きりなんだそうですが、
姿格好のイメージはこの映画が一番原作に近い印象です。
ショーン・コネリーにヴァネッサ・レッドグレーブ、美貌のジャクリーン・ビセット、
えっ、まさか!と思ったらなんとイングリッド・バーグマンが地味~な役で出てたり、
あれ、オーラが薄い感じのこの人なんかで見た憶えあるなあ、と思ったら「サイコ」のアンソニー・パーキンスだったり。
ローレン・バコールのミセス・ハバーズはちょっとかっこよすぎて原作のイメージとは違うんですが、
なにげないしぐさまでさまになってて思わず見惚れてしまうようで、
あの時代のハリウッドの銀幕スターの存在感ちゅうのはすごいですな。。。
ええとまあそれで、クリスティーを読みたくなって電子書籍で新たに買ったり本をひっぱり出したりして読んでるんですが、
クリスティーの短編はユーモアが際立ってるなあと。ことに「ヘラクレスの冒険」とか。
私は結構笑いについてはうるさい方なんですが、ちょっと思ったことたらたら書いてみようかなあと。
あくまで私個人の好みにもとづいた、すごく主観的な話です。あしからず。

私の好きなユーモアというのは、「これがユーモアだ!」とは言いにくいようで、たとえば「このセリフがユーモアだ」と、
取って示せるようなものではなく、つかもうにもつかめないかすみかもやのようです。
一枚の絵全体を眺めた時にユーモラスだと感じるように、かもし出される空気というか。配置、構成の妙で。
あと「ユーモアとペーソス」って昔よく映画とかのコピーにありましたけど、
コメディでペーソスがあんまり強いのは嫌いで、なくてもいいです。
ペーソスとはコトバンクによればこういう意味です。ウェットなのいらん。
読む本がかたよってるせいもあるんですけど、わりとイギリスの作家にユーモアが巧みな人が多い気がします。
ダンセイニもそうですし、「銀河ヒッチハイク・ガイド」を書いたダグラス・アダムスという人もそうです。
イギリスの上流階級って、すごくユーモアが効く舞台なんですよね。。。
体裁とか体面とかをすごく気にしてて、マナーや社交辞令が行き渡ってる社会というか。
最近シェークスピアの「十二夜」を読んだんですが、そういう口あたりのユーモアをさかのぼると、
源はその辺てことになるんでしょうか。まあ大体のことはシェークスピアが元祖って言っておけば間違いない気はするんですけど。
解説に説明があったんですが、十二夜というのはクリスマスから十二日目の一月六日のことだそうで、
この日に愚者の祭りっていうんでしょうか、ふだんの秩序をひっくり返したような、
ハメを外した乱痴気騒ぎのお祭りが行われていたそうです。裏クリスマス?
そのドタバタにちなんで、一月六日に喜劇「十二夜」の舞台が初演された、とかうんぬん。
あ、そうだ。それでそれを知らずにたまたま一月六日に「十二夜」を読んだのが、なんか偶然でうれしかったなあ。
「十二夜」には道化師が出て来るんですが、道化というのも面白い職業ですよね。
仕えてる相手、主人を面と向かってバカにしたりする。そういうことが職業的に成り立っていたっていうのは不思議ですね。

そして取り扱い危険!なのがブラックユーモアです。
昔角川文庫でポケットジョーク集がシリーズで出てまして、テーマが「男と女」とか「子ども」とか、
「酒・ギャンブル」とかいった具合に分かれていたんですが、その中にズバリ「ブラックユーモア」の巻がありました。
おおっぴらに言えるようなもんじゃなくて、ひっそりこっそり交わされるジョークとでもいうんでしょうか。
今はあれ、発行できないんじゃないかなあ。。
ブラックユーモアはユーモアよりもずっと、時と場合や相手やをすごく選ぶんじゃないかと思います。
私は筒井康隆さんの小説が好きで、十代の頃にはずいぶん読み込んだんですけれど、
ブラックユーモアというとまず一番に筒井さんの名前が思い浮かびます。
かつて断筆宣言されたりしてますが、ブラックユーモアは、名手にしてそういうトラブルが起こりえる難しさがあります。
私はブラックユーモアは他の何よりも質が大事だと思っていて、この場合の質は「笑える」ことです。
(といっても、あくまで私が笑える、としか言えないんですけれども………。)
質の悪いブラックユーモアは陰惨で笑えず、ただただブラックなだけです。
ひねりもなんもなくて、単なるド直球の悪口や嫌味、皮肉、嘲りからは、ユーモアは生まれない。
ブラックユーモアは毒のようなもので、たとえば予防接種でごく弱いウィルスをほんの少し体内に取り込むことで、
インフルエンザを予防できるような、そういう性質のものじゃないかと思います。
そして予防接種をするのは、弱ってる時じゃなくて、体力のある時、健康と言える時です。
盤石な倫理観が世の中に行き渡っていて少し息苦しさを感じる時に、陰でこそっと言ってふうと息をつくような。
誰しも聖人というわけにはいかないですしね。清すぎる水に棲んでると弱ってしまう。。
でも、今はそういう意味では、あんまり壮健な時代じゃないんだろうなあと思うことが多いです。
予防のつもりで接種したら、本当にインフルエンザにかかって重症化してしまう、そんな時代のように思います。ふぃー。
ブラックユーモアは主流や王道にはなりえないもので、もしもその黒さが暗示している価値観のようなものが、
堂々ど真ん中に御神輿をすえた時には、全く笑えないものに変わってしまう。
だから、中央にあるものがぐらぐらしてあぶなっかしい今は、昔よりもずっと、
ブラックユーモアを扱うことが難しくなってるんじゃないかと思います。ブラックユーモア受難の時代。
でも本来、硬直してガチガチになった土壌ををやわらかくするのに役立つものなんですよね。毒も使いようで。

うーん………だんだんしょんぼりしてしまいました。
笑いやユーモアについて何か書こうとすると、大体ユーモラスじゃなくなるものなんですよね。

ついで。私は筒井さんの本を十代の頃に読み込んだおかげで、語彙がかなり豊富になったと思います。
多岐なジャンルに渡って該博な方で、そういった知識が小説やエッセイの中に好奇心をそそるように散りばめられていて、
難しい言葉から××な言葉まで、とても沢山筒井さんの本で憶えました。ゲゼルシャフトゲマインシャフト!
当時はそういうこと考えて読んでたわけじゃないんですけども、今思うとありがたいことですね。
前に見たのはずいぶん前のことだったので、とても楽しんで見られました。
オールスター・キャストのそうそうたる面子!
アルバート・フィニーという役者さんがポワロをやったのはこの一回きりなんだそうですが、
姿格好のイメージはこの映画が一番原作に近い印象です。
ショーン・コネリーにヴァネッサ・レッドグレーブ、美貌のジャクリーン・ビセット、
えっ、まさか!と思ったらなんとイングリッド・バーグマンが地味~な役で出てたり、
あれ、オーラが薄い感じのこの人なんかで見た憶えあるなあ、と思ったら「サイコ」のアンソニー・パーキンスだったり。
ローレン・バコールのミセス・ハバーズはちょっとかっこよすぎて原作のイメージとは違うんですが、
なにげないしぐさまでさまになってて思わず見惚れてしまうようで、
あの時代のハリウッドの銀幕スターの存在感ちゅうのはすごいですな。。。

ええとまあそれで、クリスティーを読みたくなって電子書籍で新たに買ったり本をひっぱり出したりして読んでるんですが、
クリスティーの短編はユーモアが際立ってるなあと。ことに「ヘラクレスの冒険」とか。
私は結構笑いについてはうるさい方なんですが、ちょっと思ったことたらたら書いてみようかなあと。
あくまで私個人の好みにもとづいた、すごく主観的な話です。あしからず。

私の好きなユーモアというのは、「これがユーモアだ!」とは言いにくいようで、たとえば「このセリフがユーモアだ」と、
取って示せるようなものではなく、つかもうにもつかめないかすみかもやのようです。
一枚の絵全体を眺めた時にユーモラスだと感じるように、かもし出される空気というか。配置、構成の妙で。
あと「ユーモアとペーソス」って昔よく映画とかのコピーにありましたけど、
コメディでペーソスがあんまり強いのは嫌いで、なくてもいいです。
ペーソスとはコトバンクによればこういう意味です。ウェットなのいらん。

読む本がかたよってるせいもあるんですけど、わりとイギリスの作家にユーモアが巧みな人が多い気がします。
ダンセイニもそうですし、「銀河ヒッチハイク・ガイド」を書いたダグラス・アダムスという人もそうです。
イギリスの上流階級って、すごくユーモアが効く舞台なんですよね。。。
体裁とか体面とかをすごく気にしてて、マナーや社交辞令が行き渡ってる社会というか。
最近シェークスピアの「十二夜」を読んだんですが、そういう口あたりのユーモアをさかのぼると、
源はその辺てことになるんでしょうか。まあ大体のことはシェークスピアが元祖って言っておけば間違いない気はするんですけど。
解説に説明があったんですが、十二夜というのはクリスマスから十二日目の一月六日のことだそうで、
この日に愚者の祭りっていうんでしょうか、ふだんの秩序をひっくり返したような、
ハメを外した乱痴気騒ぎのお祭りが行われていたそうです。裏クリスマス?
そのドタバタにちなんで、一月六日に喜劇「十二夜」の舞台が初演された、とかうんぬん。
あ、そうだ。それでそれを知らずにたまたま一月六日に「十二夜」を読んだのが、なんか偶然でうれしかったなあ。
「十二夜」には道化師が出て来るんですが、道化というのも面白い職業ですよね。
仕えてる相手、主人を面と向かってバカにしたりする。そういうことが職業的に成り立っていたっていうのは不思議ですね。

そして取り扱い危険!なのがブラックユーモアです。
昔角川文庫でポケットジョーク集がシリーズで出てまして、テーマが「男と女」とか「子ども」とか、
「酒・ギャンブル」とかいった具合に分かれていたんですが、その中にズバリ「ブラックユーモア」の巻がありました。
おおっぴらに言えるようなもんじゃなくて、ひっそりこっそり交わされるジョークとでもいうんでしょうか。
今はあれ、発行できないんじゃないかなあ。。
ブラックユーモアはユーモアよりもずっと、時と場合や相手やをすごく選ぶんじゃないかと思います。
私は筒井康隆さんの小説が好きで、十代の頃にはずいぶん読み込んだんですけれど、
ブラックユーモアというとまず一番に筒井さんの名前が思い浮かびます。
かつて断筆宣言されたりしてますが、ブラックユーモアは、名手にしてそういうトラブルが起こりえる難しさがあります。
私はブラックユーモアは他の何よりも質が大事だと思っていて、この場合の質は「笑える」ことです。
(といっても、あくまで私が笑える、としか言えないんですけれども………。)
質の悪いブラックユーモアは陰惨で笑えず、ただただブラックなだけです。
ひねりもなんもなくて、単なるド直球の悪口や嫌味、皮肉、嘲りからは、ユーモアは生まれない。
ブラックユーモアは毒のようなもので、たとえば予防接種でごく弱いウィルスをほんの少し体内に取り込むことで、
インフルエンザを予防できるような、そういう性質のものじゃないかと思います。
そして予防接種をするのは、弱ってる時じゃなくて、体力のある時、健康と言える時です。
盤石な倫理観が世の中に行き渡っていて少し息苦しさを感じる時に、陰でこそっと言ってふうと息をつくような。
誰しも聖人というわけにはいかないですしね。清すぎる水に棲んでると弱ってしまう。。
でも、今はそういう意味では、あんまり壮健な時代じゃないんだろうなあと思うことが多いです。
予防のつもりで接種したら、本当にインフルエンザにかかって重症化してしまう、そんな時代のように思います。ふぃー。

ブラックユーモアは主流や王道にはなりえないもので、もしもその黒さが暗示している価値観のようなものが、
堂々ど真ん中に御神輿をすえた時には、全く笑えないものに変わってしまう。
だから、中央にあるものがぐらぐらしてあぶなっかしい今は、昔よりもずっと、
ブラックユーモアを扱うことが難しくなってるんじゃないかと思います。ブラックユーモア受難の時代。
でも本来、硬直してガチガチになった土壌ををやわらかくするのに役立つものなんですよね。毒も使いようで。

うーん………だんだんしょんぼりしてしまいました。
笑いやユーモアについて何か書こうとすると、大体ユーモラスじゃなくなるものなんですよね。



ついで。私は筒井さんの本を十代の頃に読み込んだおかげで、語彙がかなり豊富になったと思います。
多岐なジャンルに渡って該博な方で、そういった知識が小説やエッセイの中に好奇心をそそるように散りばめられていて、
難しい言葉から××な言葉まで、とても沢山筒井さんの本で憶えました。ゲゼルシャフトゲマインシャフト!
当時はそういうこと考えて読んでたわけじゃないんですけども、今思うとありがたいことですね。
