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水瓶

ファンタジーや日々のこと

春眠暁をおぼえず

2016-03-30 20:25:03 | 雑記

眠い………眠い………眠くありませんか???

なにやら桜の開花が始まったあたりから、やたら眠いです。桜の花粉には眠くなる成分が入ってるんでしょうか。

こちらは人形の家の常設コーナーにある賀茂人形です。
このお人形さんたちは県別の人形たちの所ではなく、クラシカルな人形たちの所にいます。
春の夢に出て来そうな顔してますよね。


同じく賀茂人形。なにか調子を合わせて踊ってるようです。


カンコ鳥。以下人形の家の札にあった説明です。

カンコは諫鼓と書きます。諫鼓とは、昔、中国で、天子(君主)を諌めたいと思う人民に打ち鳴らせるために、朝廷の門外に置いた太鼓のことをいいます。横浜人形の家では閑古鳥(カッコーのこと)は鳴かないのです!

うむ。人形の家、たしかに結構人が入ってるのです。企画展もかなり力を入れてやってますもんね。

今読んでるのは「興亡の世界史 シルクロード唐帝国」という本であります。
序章に、この本の読者としてまず第一に想定されているのが学校の歴史の先生、とあるだけあって、
私はそこまで知らなくてもいいんだけど、、、みたいな詳細かつ広範な歴史地理の知識が書かれています。
難しい内容も多いけれど文章は読みやすく、シルクロードに抱いていた、ぼんやりあいまいなイメージが、
よりしっかり細かにリアルに、色彩豊かに広がってゆく感じです。

中国の歴史はすさまじかったりするので私は苦手なんですが、十代の頃に河出文庫の世界の歴史シリーズを読んでいて、
この巻を書いた人は誰なんだろう?と思わず執筆者の名前を見たのが「大唐帝国」を書いた宮崎市定さんという人でした。
それまでは歴史の本て、誰が書いたとか気にしたことなかったんですが、要はそれぐらい面白かったわけなんです。
姉にもすすめたらやっぱり面白いと言って、歴史の本が面白いっていうのは、何が理由なんでしょうね?
「述ベテ作ラズ」ではない、でも大きく外れない歴史書って、書くのかなり難しいと思うんですけどね。。

まあそんなわけでお気に入りの唐の時代ということと、シルクロード関係で遊牧民族が出て来たりと、
ちょうど今の興味にヒットしていて面白いです。
キャラバン、隊商についても具体的に書かれていて、奢侈品交易とありまして、つまり贅沢品の交易。
軽くて、遠くまで時間をかけて持っていっても利益が出るくらい価値がある品々、
その代表が絹だったので、シルクロードと命名されたようです。
そのシルクロードの交易において中心的な役割を果たしたのが、胡人(こじん)と呼ばれたソグド人の商人で、
ネットワークがかなり行き届いていたようです。王朝交代の情報戦に一役買ったりしていた。
ユーラシア中央部に、広きに渡って点在するソグド人たちの都市や聚落も繁栄を極めていたようです。
戦闘能力も高かったようで、だからトルネコだって馬車でくさらせてたらもったいなかったんですね。

・・・ところで上の話とは関係ないんですけど、最近うちの近所でよく見かけるこのポスター
三国志の時代はわりと近年まで諸葛孔明と孔子を混同してたぐらいよく知らないんですが、面白くて思わず見てしまいます。

周りに伏兵がおるやも知れませぬ。よもや歩きスマホなどなさいますな。

って言ってるの、諸葛亮ってありますけど、諸葛孔明の親戚でしょうか。うん、歩きスマホはやめよう。あぶないよ~



眠り薬のような春の空気は、夏前にしっかり体力をたくわえておきなさいというメッセージだと思って、
夜更かししないで早く眠りましょう。春眠値千金ともいいますし。うい~、ねむいよう。。。

×春眠値千金→春宵値千金 でした。 でも気持ちはやっぱり春眠値千金。

2016-03-16 20:40:04 | 雑記
森のなかまからもらいンフルエンザをしてしまい、いまひとつだった体調もようやく上向き。
ここんとこ、お天気もさえない日が多かったですね。

昨日はBSプレミアムで「荒野の用心棒」、今日は「シャーロック・ホームズの冒険」を見ました。
「荒野の用心棒」の元はごぞんじ黒澤明の「用心棒」であります。やっぱり面白い…!!
またクリント・イーストウッドがかっこいい~んですよね。
wikiによるとこの映画がマカロニウェスタン映画ブームの火付けになったそうです。
意外にもイタリアなどの、ヨーロッパ共同制作映画なんですよね。だからマカロニウェスタン!
「用心棒」の方を見たのはずいぶん前なんですけども、「用心棒」よりも悪役がそれはにくったらしく描かれてるような。
黒澤明の映画って日本映画のわりにカラッとしてて、そういう所をあんまりねちっこく描かなかった印象があるけど、
「荒野の用心棒」は復讐劇に重点を置いてて、それだけラストのスカッと感が強い気がしました。

「シャーロック・ホームズの冒険」の監督はビリー・ワイルダー。アメリカの人だっけ。
原作の無謬でクールな探偵イメージとは少し違い、ホームズがしてやられた感のある話になっていますが、でも面白かった!
コミカルな感じに加えて、ネッシーやヴィクトリア女王が出て来て、
見てる人を楽しませるサービス精神旺盛な感じに思わずのせられてしまいました。
スコットランドの景色がきれいで。ロッホとはスコットランドの言葉で湖だそうです。Loch Nessでネス湖。
ロッホ・ローモンドってなんかありましたよね。

ところでトランプさんの快進撃が止まらないですけど、なぜあんなに人気があるのか。私の分析によりますと

大富豪のくせにアメリカ映画に出て来る片田舎の雑貨店の店主みたいな感じ

だからだと思います。おやつに大ざっぱなホットドッグ食べてそうな。
共和党の他の候補の人、みんな見るからにクールで知的なハンサムエリートですもんね。
でもきっとそれだと今のご時世勝てへんねん。



病み上がりにKindleで星新一さんの本を買いまくって読んでました。
大人になった今も読んで面白くて、しかもやめられない止まらないこの感じはなんなのだ。
後期の本はあまり読んでなかったんですが、今回1001作目に当たるという「どんぐり民話館」を読みまして、
雰囲気が変わっているのにちょっとびっくりして、最初は戸惑ったものの結構気に入って。
ご本人のあとがきによれば民話的なものを取り入れたそうで、あ、そうか、
わからない所を残さないような、きっちり解答する感じが星さんのショート・ショートのイメージなんだけれど、
民話は、桃太郎や一寸法師みたいな昔話とは違って、わりと説明のつかない、
ほっぽらかしみたいな終わり方する話が多いんですよね。あれは何だったの?に答えがないような。
でもそこに妙ちきりんなリアリティがあって、それがあの星新一さんのムダのない文章と相性がいいんです。意外にも。
で、続けて筒井康隆さんの、今なぜか売れてるという「旅のラゴス」を読んで、

むっちゃ面白い!!そう、こう~いうのが書きたかったんだよ・・・!!

なお不満点は、筒井さんの小説なのに主人公に人徳がありすぎることぐらいですか。

私はこの旅ものジャンル好きで、それも現代の旅行じゃなくて、架空の世界、都市、町、村なんかを描いた話が。
ダンセイニの都市の物語やヤン河の話、指輪物語、はてしない物語、ニルスのふしぎな旅、カルヴィーノの「見えない都市」、
名作いっぱいあるんですよね。他にもまだまだあるんじゃないかと思います。私が知らないだけで。
なんでこんなに魅かれるんだろう?そう、でもテレビの番組でも、こんな感じの旅番組が増えたような気がします。
架空じゃないけど、温泉つかっておいしいもの食べて、だけじゃない旅。
こころ旅もそうだし、他にも関口知宏さんのヨーロッパ紀行とか、アジア紀行とか、一人の人が長い時間をかけて移動する旅。
観光の面白さも含まれるんだけれど、それだけじゃないのが今までによくあった旅番組とは違う感じです。
きっとそういうのを望んでるの私だけじゃないから、こんなにいっぱいテレビになってるんじゃないかなあ。
なんなんでしょうね。なんなんだろなあ。旅。

・・・よし。だいぶ回復してきたかな。


ペーパームーン♪(映画のこと)

2016-03-04 20:40:14 | 雑記

平日の午後一時からBSプレミアムで映画をやっていて、なつかしの名画などけっこう楽しんでます。
なかなか全部は見られないんですが、今日は「ペーパームーン」を最初から最後まで見られました。
1973年に公開された映画ですが、舞台である大恐慌時代の1930年代頃に合わせて、モノクロの映画になっています。
知ってる人は知ってると思いますが、パパであるライアン・オニールと共演したテータム・オニールが、
最年少の10才にしてアカデミー助演女優賞をとってます。
かわいいんだけどかわいくない、かわいくないけどかわいいアディ!

親子か親子じゃないかわからない、大人と子どもの間にほんのりした感情が育ってゆくさまを描いても、
終始情がベッタベタな感じにならないのは、ほんとうまいなあと思います。
いいですねえ、ペーパームーン。ドライだけどハードじゃないのだ。



途中までは二回ぐらい見てたんですが、この枠で最近やっと最後まで見られたのがヒッチコックの「サイコ」。

アンソニー・パーキンスこえええ………

ヒッチコックはこの時間帯によくやってまして、他にも「めまい」と「知りすぎていた男」も見ました。
十代の頃に名画座で「ダイヤルMを回せ!」を見た時は退屈で、内容もほとんど憶えてないんですが、
今見るとドキドキハラハラしすぎず、ほどよい緊張感とユーモアがちょうどいい!
ひと場面ひと場面がすごく絵になっていて、若い頃は気づかなかった辺りをいいなあと思うようになったんだなと。
二十代の頃に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を三本たて続けにビデオで見た時には、
ドキドキハラハラしすぎて死ぬかと思いました。いわんやダイハードにおいては。
やっぱり干支もめぐって五回目になりますと、あんまり刺激の強いのとか息もつかせぬテンポに展開だと、
本当に息がつけなくなって死にそうになります。

でも古い映画って、とにかく女優さんがすごくきれいですよね。
昔の女優さんの方がきれいに見える気がするのは、素材の問題というより、モノクロ映画のハイライトのつけ方とか、
メイキャップがめちゃくちゃ厚そうとかのせいもあるのかなとも思いますが。
時には画像が粗い方が幸せなこともあるのだ。夜目遠目傘のうち。よく見えないからこそ美人度が増すんですよ…!
あと昔の映画って、女性のナチュラルというか気を抜いた姿を描いたシーンがあまり出て来なくて、
ガッチリ決まってて絶対ねっころがったりできないヘアスタイルに、オートクチュールっぽいファッションだったりしますし。
(「エイリアン」で、シガニー・ウィーバーがほぼノーメイクに見える顔と、
セクシーじゃないあっさりした下着で出て来た時にはちょっとびっくりした記憶があります。宇宙船乗務員のリアル?)
そして何より、女優さんのウェストがめちゃくちゃ細い…!!
「ガス燈」のイングリッド・バーグマンなんか首から肩からけっこうたくましいんですが、ウェストはめちゃくちゃ細いです。
どういう仕組みになっとるんじゃあれ。

昨日は「卒業」を途中まで。サイモン&ガーファンクルの曲もいい!
キャサリン・ロスがダスティン・ホフマンの持ってる袋からポテトを取って、ほっぺたをもぐもぐさせて食べるシーンで、
そうかこれがニューシネマだ!と思いました。ちがうか。
西部劇もよくやってるんですけど、めちゃくちゃハードボイルドですよね。非情な荒野ですよね。
「続・夕陽のガンマン」では、うっへえええ~っとなりました。
いやあ、開拓時代のウェスタン常識はわからんたい。ペールライダーはとっつきやすかったけど。
(「続・夕陽のガンマン」の原題は「善玉、悪玉、卑劣漢」だそうで、この方が内容伝わると思うんですけど、
西部劇のタイトルってみんな夕陽とか荒野がついてておぼえられない。。演歌のタイトルみたい。



姉がとても映画が好きで、昔一緒に暮らしてた頃はよく映画館につき合ったり、レンタルビデオを見ました。
私は食わず嫌いで頑固な所があって、なかなか新しいものに手をつけようとしないんですけれど、
姉は映画でも本でも、話題になったり名作だと言われるものはとにかく見る読むという旺盛な人で、
姉と一緒に暮らした時期がなかったら、スターウォーズもバック・トゥ・ザ・フューチャーも、
たぶん全く見なかったろうなと思います。
映画の本や写真集もいっぱい持っていて、それも読んだりしていたので、
見てない映画でもあらすじや結末は知ってたりします。猪俣勝人さんという人の本がいっぱいあって。
今だとネットで調べれば結末まで知ることができますが、いい映画は結末や展開がわかっていても面白く見られるもんですね。

今映画館に行かなくなってしまったのは、完全入れ替え制で時間がしっかり決まってるのがめんどくさいってのがあります。
しばらく前に「ひつじのショーン」が見てみたいなと思って調べたら、早い時間に、
しかも一日二回ぐらいしか上映しないようなのでやめました。
昔の映画館て入れ替えなくて何度でも見られるし、名画座だと千円以下で古い名画が二、三本見られたりと、
今思うとぜいたくでしたね。座席の方までトイレの芳香剤の匂いが漂って来たりするんですけど。あの丸いやつ。
高田馬場にあった名画座なんか椅子もなく体育座りで見るんですけど、料金が五百円ぐらいだった気がします。
たしか「モロッコ」と「ダイヤルMをまわせ!」の二本立ては高田馬場で見た気がする。。。
二本立てっていうのも今はなくなってるようですが、これはこちらも二本続けて見る気力体力がなくなってるかも。



そういえば「鳥」も「卒業」も「風とともに去りぬ」(大晦日紅白の裏の定番はこれだった記憶が)もテレビで見ました。
「緑園の天使」や「クリスマス・ツリー」(子どもを使っためちゃくちゃ悲しい卑怯な映画)は、
東京12チャンネルの午後のロードショーの定番。
今はテレビでは、、BSでけっこうやってるからまあいっか。

私の好みの映画はあんまり社会派じゃないエンタメで、感情を激しくあおるのやベッタベタなのは好きじゃなくて、
ほどよい緊張感とユーモアと、、、ってやっぱりすごいうるさいですね。
でもなんか、昔より今の方が、映画でもドラマでも、情がベッタベタな感じのものが増えてる気がするんですよね。
そういう方が受けるっていうのはわかる気もするんですけど、だんだん濃くなる気がする。。。
逆に斬新だったり実験的すぎると、難しかったりつまんなかったりで、
結局、今にいたるまで残ってる古い名画のがいいってなっちゃう、、、のもあんまりよくないとは思うんですけどね。。。

森のなかまは、テレビでドラマや映画が始まると、とりあえず何でもすうっと見始めちゃう人で、
姉や森のなかまのような人が身近にいるおかげで、食わず嫌い新しいもの嫌いの偏屈な私でも、
そこそこ色んなものが見られてるのかも知れません。



it’s only a paper moon

Sailing over a cardboard sea

But it wouldn’t be make-believe

If you believed in me♪


今の野望は「第三の男」を最後まで見ることです。アリダ・ヴァリは威厳を感じさせる美人ですな。
ちゃらら ちゃららら~♪ ちゃらら ちゃららら~ら ちゃ ちゃらちゃちゃっちゃ ちゃ♪

筒井康隆さんのこと

2016-01-30 15:14:12 | 雑記
「モナドの領域」で、書くつもりだったんですが、うーん。。。理由は後述。
ええと、でも、私の読書遍歴のスタートと言えるのが筒井さんということになると思います。
それ以前は子ども向けの本かマンガしか読まなかったので。
最初は「時をかける少女」。これは映画になる前に読んだと思います。中学生の頃だったかな?
たしか「ねらわれた学園」の映画を見て、眉村卓さんの原作本を読んで、そのあと似たようなのないかなと探したら、
近くにあったのが「時をかける少女」でした。後に原田知世ちゃん主演の映画ももちろん見ました。
すごく面白かったので他のを買ってみたわけなんですが、これがたしか「おれに関する噂」
(表紙はおなじみ山藤章二さんの顔のない男!)
「時をかける少女」はジュブナイル、少年少女向けに書かれた本でしたが、「おれに関する噂」はそうではなく、
読み始めて「えっ!」とびっくりしたんですが、面白かったんですよね。。。
筒井さんの本はいわゆる、子どもが読んでいたら親が眉をひそめるような本で、
でもそういう本ほど読みたがるのが思春期の子どもというもので。
ジュブナイルでない本では、子どもにもわかるように、なんて容赦はしない書きっぷりなんですが、
でも子ども向けに書かれた本て、ある時期からの子どもはいやがるものなんですよね。
自分にはまだ理解の及ばないものを、精一杯背伸びして手を伸ばして、一生懸命読むんです。

前にもちょっと触れましたが、筒井さんの本はヒモのはしっこが色んなものにつながっていて、
つまり色んなものの端緒に触れる機会になりました。中でも私は動植物についてのエッセイが好きで(「私説博物誌」)、
シャカイハタオリドリ、コモリガエル、テングノムギメシ、リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ、
こういう初耳だった、珍しい生物の話がすごく面白いんです。おお、今でもよく憶えてるぞ!
筒井さんのお父さんは天王寺動物園の園長さんで、象の肉を持ち帰ったことがあるんだっけ。
科学、文学、映画、ジャズ、その他もろもろ。ひっぱらなかったヒモもいっぱいあります。
大人は、主に学校の成績を上げることにつながる分野に、子どもが興味を持つよう苦心するものだと思うんですが、
それを難なく(おそらくご本人にはそういう意図もあまりなく)やっていたのが筒井さんで、
ただ大人としてはあまり子どもに知って欲しくないことの端緒もいっぱい混ざっていたので、
PTAとかから嫌われたんだろうなあと思います。でも、非常に教育効果ありましたよ。私には。
そうして色々に興味を持ったことから、その時々気の向くままに、あれやこれやのヒモをたぐったりして、
今けっこう楽しく暮らせてるんじゃないかなあと思います。
好奇心て、奇を好む心って書きますけど、まさにそういう部分に訴える力がとても強いのです。
そういえば奇想天外なんて植物もあったっけ。



小説では極限を書くことが多いでしょうか。極限状態でのパニック描写とか、ちょっとこわれた人の描写とか、
世界一じゃないかと思います。それに不快感の極致を追求したかのようないくつかの小説。。
筒井さんの小説は何度も繰り返し読んだ私でも、あまりに不快すぎて一回しか読んでないのがたしか二つ三つあります。
ご自分でも書いてて相当つらかったんじゃないかと思いますが。………なんで書いたんだろ?
でもなんか最近、世の中がほんとに筒井康隆さんの小説っぽくなって来たなあと思うことが多くてシャレになりまへんな。。
筒井ラインというものがありまして(今つくった)、そこから先へどんどん踏み込んでくみたいだ。。。
あともちろん、面白いSFも紹介していて、当時は海外のSFは違和感や難しさを感じて読めなかったものも多いんですが、
フレドリック・ブラウンやブラッドベリは面白く読めましたし、最近になって読んだのも沢山。
「宇宙のランデブー」は筒井さん推薦の帯で買ったんです。

「モナドの領域」なんですが、これは、えー、私がひっぱらなかったヒモの先を扱った話でした。
どうも哲学は苦手で、どうしたわけかそういう文章って一応読めはするものの右から左で、全然頭に入って来ないのです。
だから残念なことに、大法廷やテレビ出演でのGODの話はわからない部分も多くて。
ほんと、文字列が脳みそにぶつかってバラバラに砕け散っちゃうんですよ。。。
ただ、ちょうど年末に新約聖書を買って読んだところだったので、そっちからのアプローチで少し。
初めて読むタイミングとしては悪くなかったかなあと思うんですが。。
さすがといおうか、哲学的な話がわからなくても面白く読めるようになっていて、ミステリ仕立てになってたり、
市井の人々を描く、ちょっと意地の悪い筒井節やの脇道小道がいっぱい用意されてるんです。
ふわあ、でも筒井さんゆるくていいなあ。適当に不真面目でいいなあ。
面白がっちゃあいけないことを面白がるのが筒井道というものであります。こわあい道ぞ。しーっ、しーっ!

・・・えー、そんなわけで、書名を記事のタイトルとするにはちょいと気後れした次第です。
読み返したらまた少しわかってくるだろか。いまだに背伸びしないとダメですね。もうあんま伸びないけど。
小説の終わり、特に最後の文章がとても気に入って。加藤さんいいなあ。
こういう人が一番の使徒になったりするんだよね。へんなの。

幽霊をとらないで

2016-01-24 09:56:00 | 雑記
雪いまだ降らず。昨日は関東平野部でも雪がふるかも?ということで、家を出ずに買い込んだ本を読んでいました。
ロバート・エイクマン「奥の部屋」、アタリでした。これは面白いぞお!
帯に「モダン・ホラーの極北」とあるんですが、ほんとだ、モダンホラーっぽい!
(※私のいうモダンホラーっぽいというのは、「シャイニング」や「ツインピークス」みたいな感じ、ぐらいの意味です。
あんまり新しいの知らないので。。。双子が出て来てドアから血の海があふれ出して来るみたいな。
レッドラム!レッドラム!
エイクマンは絵画や芝居が好きだったそうなんですが、小説を読むと印象的なシーンが一枚の絵のように目に浮かびます。
モダンホラーって、映像化しやすいのかも知れませんね。
それではここで私の好みと偏見にもとづいた、上質な怪奇小説のポイントをお教えしましょう。うるさいぞお。

1:スプラッタな残酷・残虐表現がない。
あくまでそれとなく何か恐ろしげなことがあったらしい……と匂わせるぐらい。
ポーやラブクラフトがほのめかし上手で、かなりグロテスクな何かを暗示させています。
ご存知でしょうか。昔「サイコ」や「エクソシスト」を上映した映画館で、失神する人が続出したことを。
ああいう表現も時代とともにエスカレートして、見る方も慣れてゆくものかも知れませんが、あのぐらいの描き方がいいなあ。
私は映画「バイオハザード」で、人間サイコロステーキを見た時にもうダメだと思いました。。。
包丁で刺したら痛いに決まってる、みたいな恐怖はいやなのです。
出たツバでご飯を三杯食べられる梅干しの絵のような恐怖がいいのです。最上の調味料は想像力なのだ。

2:語り手もしくは主人公が行動的すぎてはいけない。
ただし好奇心にかられて幽霊屋敷に行くとか、開けちゃいけないドアを開けるぐらいの行動力がないと話が進みませんが。
ブルース・ウィリスやシュワちゃんのようなアクティブすぎる俳優はホラー映画に合いません。
「シックスセンス」にブルース・ウィリスが出てましたが、おなじみのタンクトップ姿ではなくスーツ姿でした。
あれはホラー向けにご自慢の筋肉を封印したのに違いありません。
怪奇なものがもたらす恐怖は、筋肉ではけして克服されないのです。

3:愛が恐怖に勝たない。
愛は怪奇がもたらす恐怖の切っ先をにぶらせてしまいます。
愛する人を守るため、という利他的な感情は、恐怖を克服させてしまうのです。いいことだけども。
愛で恐怖を超克させてしまって安っぽくなった映画は結構多いのです(特にアメリカ映画)。
感動させることを目的にした作品はいいけど、私が怪奇小説や映画を見たい時って、それは求めてないのです。
あと、ど~もフランスの怪奇小説は恋愛が強く絡んでくるので苦手かなあ。。
情熱の炎が恐怖の氷をとかしてしまうのか。ドラマチックにはなるんですけど。
また、私が知ってる狭い範囲で性に絡めて恐怖を高めるのに成功したのは、マッケンの「パンの大神」だけです。

4:知性も勝たない。
知的な人が怪異な恐怖に向き合う形をとる怪奇小説は多いんですが、最終的には負けてくれないとつまりません。
いっとき霊界を科学的に解明する、みたいなブームがあったみたいなんですが(コナン・ドイルとかはまったらしい)、
霊界探偵みたいな人が怪奇の原因を明らかにする、みたいな話は、どうしても今読むとちょっと古くさく感じてしまう。
(でもブルワー・リットンの「幽霊屋敷」は好きです。日本語訳の一人称が「余」という珍しい小説です。)
まして現代的な科学で解明してしまうなんてのは、怪奇小説にはもってのほか。あっちいけ~!!

5:隅々までスッキリきれいに解決しない。なんだかよくわからないものがあちこちに残ったまま終わる。
推理小説では隅々まできれいさっぱり解明してくれないといやなんですが、
怪奇小説ではちょっともやもやしたものが残る、ぐらいがいいように思います。
あんまりやりすぎるとイラッとしたりするんですが………ウォルター・デ・ラ・メアの朦朧法はちょっと苦手。。
エイクマンはもやもやの描き方と加減がすごく上手い気がしました。

・・・と、書いたのを自分で読み直して、筋肉も愛も知性も恐怖に勝てないとなったらいったい何が勝てるのか?
いえ、勝たなくていいんです。怪奇小説だから。

怪奇小説における語り手もしくは主人公の正しい身の処し方は、いよいよとなったら逃げるか、
怪奇の時間が過ぎるのを息をひそめて待つ、あたりでしょうか。台風が通りすぎるのを待つように、夜明けを待つように。
ただし観察は怠らず。このために、ある程度知性と理性を備えた人物が、語り手や主人公に選ばれることが多いのでしょう。
あわあわして何があったのかろくに憶えてないんじゃ、小説にならんもんね。



大人になるとサンタクロースや妖精や妖怪の存在を信じなくなるものだと思いますが、
幽霊は現代になってもまだしぶとく生き残っているようです。
アガサ・クリスティーが「ナイル殺人事件」の前書きに、こう書いていました。

「自分では、この作品は"外国旅行もの"の中で最もいい作品の一つと考えています。そして探偵小説が"逃避的文学"とするなら、(それであって悪い理由はないでしょう!)読者はこの作品で、ひとときを、犯罪の世界に逃れるばかりでなく、南国の陽射しとナイルの青い水の国に逃れてもいただけるわけです。」

さすがミステリの女王ではありませんか。うれしいなあ!
アガサ・クリスティは怪奇小説もいくつか書いていてなかなかの腕前なのですが(「死の猟犬」は特に怖い!)、
推理小説ではもやもやを残さずきれいに解明し、怪奇小説では意味深なもやもやを残し、と実にもののわかった人なのです。

怪奇小説も逃避文学だと思います。現実や日常生活から逃れて、ふわふわと心を遊ばせる。
特に怪奇なもののいい所は、完全に理解した、世間一般に認められた専門家みたいな人がいないことです。
幽霊の専門家が、幽霊はそんな風には出て来ない、とか、幽霊が出る条件とは、なあんて言い出したらきゅうくつですよね。
幽霊を見てはいけない、幽霊になって人前に出てはいけない、みたいな法律もできようがないでしょうし。
幽霊はいないと考えるのはもっともなことだとは思うんだけれど、
幽霊はいるって考える人を、そんなものいないと徹底的に追いつめるようなことは、無粋で子どもじみたことだと思うのです。
そりゃあそういう所につけ込んで、高い印鑑やツボを売りつける霊感商法とかは悪いことだけど。
(ちなみに私は、幽霊はちょっといるような気がするし、なんだかちょっとはいて欲しいな派です。

時代につれ、人が妖怪を見なくなって、幽霊を見なくなって、UFOも見なくなっていくのかも知れませんが、
妖怪も幽霊もUFOも夢がある存在なんだと思います。夢があるというのはつまりピーターパンのごとし、
現実や日常とはちょっと違う世界へ連れ出してくれる存在ということです。
その「物事の成り立つ根っこがこことは違うゆえに息抜きのできる世界」が、どんどん狭くなっちゃってるからね。。。
でもサンタクロースや妖精のような、楽しく美しいハッピーな世界の住人たちよりも、
恐怖のようなネガティブな感情に絡んだ、ダークサイドの住人たちの方が長く生き残ってるっていうのも面白いですね。

・・・幽霊側の弁護人からは以上です。お礼に出て来なくていいので。