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水瓶

ファンタジーや日々のこと

大ゴジラ特撮王国

2016-08-18 13:15:25 | 雑記
ゴボオォォォ…!

横浜の街がやられています。わあーたすけてー!

昨日はランドマークでやっている大ゴジラ特撮王国YOKOHAMAに行って来ました。
しかもなんと昨日が初日だったんですね。夕方近く行った頃にはそれほど混んでもいなかったので、
始まったばっかだからまだあんまり知られてないのかねーとか言ってたら、
すでに沢山の人が来たオープニングセレモニーが終わった後だったようです。
物販コーナーでからっぽの棚がいくつかあったので、初日だからまだ搬入されてない品物でもあるのかなと思ってたら、
もう売り切れていたらしい。。。すごいね。。。


マンダという怪獣と、それにぐるぐる巻きにされているのは海底軍艦 新・轟天号というらしいです。
ジオラマは撮影OKとのことで、これはうれしい!さすが、絵になる形になってるんですよね。
ちなみに撮影禁止コーナーには、初代ゴジラに出て来たオキシジェンデストロイヤーなどがありました。ああ、あれだ…!

きっと映画シン・ゴジラの勢いを借りた感じの、しょぼい展示なんじゃないかなどと、
うっすら疑いを抱きながら来てみたような感じだったんですが、そんな疑いをくつがえすド迫力のジオラマ!
覗き込むような、ガラスケースに入った小さいジオラマだと思ってたら、どの怪獣も人間大ぐらいあって、
来てよかったねとなりました。ほんとにすごい作り込み。


沖縄の守護神の怪獣・キングシーサー。


こちらはバラゴンvsゴジラ。この二体が対決したのは箱根の大湧谷らしいです。名所旧跡は逃さないぜ!


初代ゴジラが最初の島に出現した時、巨大な顔が山の上からのぞくシーン、怖かったんですよね。。。


バラゴン。ちょっとコアラとかスティッチに似てて、なかなかかわいらしいです。


海から浮上するゴジラ。よっこらしょ、と。ざばー。


圧巻のキングギドラはカイザーギドラというらしいです。ゴジラ以外の怪獣も映画によって色々バリエーションがあるんですね。


うーん、これはかっこいい。。。ヤマタノオロチがモデルかな?






冒頭の写真と同じジオラマ。回りはボロボロなのにランドマークタワーだけ無傷なのは会場だからかしら。。。


上空から攻めるモスラ。正直モスラとかキングギドラとか、どういった関係にあるのかよくわからない。。。
しかしモスラ、かなり初期からいる怪獣なのになぜ蛾・・?という疑問がありましたが、
wikiを見るとモデルがヤママユガとあって、あっ蚕なのか、、、となんとなく納得しました。
やっぱ蚕の蛾は特別なんじゃろ。



パンフレットに「ゴジラ 破壊と激闘の歴史」というページがあって、都道府県でのゴジラの活躍(?)が書いてあるんですが、
けっこうあちこちに行ってるんですよね。
ランドマーク的なものを目の敵にしているようで、天守閣とかは特に狙われやすいようです。
名古屋では石垣につまづいて頭をぶつけて、怒りに任せて天守閣を破壊したそうです。
それ自分がドジなんじゃん。。とはいえ気持ちはよくわかります。行動原理が八つ当たり。


そしてこちらが新ゴジラのシン・ゴジラ。


けっこう重要な器官らしい背中のヒレ、初代からこの形だけど、雪の結晶に似てますよね。


なんと重々しくも威厳のあるしっぽ。。ていうか最後のシーンが気になってしょうがないんだけど。。


ティラノザウルスとかだとあの手というか小さい前足は、ひらが下向いてるんだけれど、シン・ゴジラは大体上向いてますよね。
昔、ティラノザウルスのあの鋭い鉤爪のある貧弱な前足は何のためにあるのかという疑問に対して、
つまようじのように歯にはさまった食いかすを取り除くためだという珍説を何かで読んだことがあったんですが、
ゴジラは肉食じゃないですしね。。。退化の途中とかかしら。

ちなみにその説では、巨大肉食恐竜は歯がダメになったら即命に関わるからと力説していました。
たしかに肉食獣でなくても歯のお手入れは大事ですね。


こちらは小さめのシン・ゴジラ。


エイリアンっぽいグロいしっぽの先。うーむ………このしっぽから、一体何が始まろうとしていたのか。
しっぽに始まりしっぽに終わる。


有名なイラストレーターの方が描いた、ゴジラ対エヴァンゲリオンの絵のようです。んー、こういうタッチにもよく映える!


会場ではこういう飛び出す感じの絵を背景に撮影できるようになっていました。もちろん撮りましたよ!


新旧メカゴジラの頭部。鼻の穴からなんか出る武器になっていたのか。。。


これ、釈由美子が機龍隊の制服で着てて、なかなかかっこよかったんですよ。


メカゴジラ全身。どーん。


わりと初期に近いゴジラなんですが、まぶたにハイライトが入ってるせいか。白髪眉毛っぽくておじいちゃんぽい。


つぶらなゴジラ。目の違いは大きいですね。シン・ゴジラのくまもんみたいなアレ。。。



大ゴジラ特撮王国YOKOHAMAは、ランドマークプラザ5階で9月4日までだそうです。

パンフレットに、初代ゴジラで俳優として初めて主役に選ばれた宝田明さんが、
撮影初日に「主役の宝田明と申します」とあいさつして、「馬鹿野郎、主役はゴジラだ!」と怒鳴られたというエピソードがありました。
宝田さんにはかわいそうな話だけど、どれだけゴジラが大切にされていたのがわかりますね。箱入りゴジラ。
これからも元気に暴れてね。にゃらら にゃらら にゃらららららららら♪ ゴボォォォォ!

さよなら裸電球「シン・ゴジラ」

2016-08-16 11:47:24 | 雑記
エンドロールの「野村萬斎」のテロップで、もののけ姫以降もう一作映画館に足を運んでいたのを思い出したシン・ゴジラ。
そうだそうだ、「陰陽師」も見に行ったんだっけ。
というわけで話題の「シン・ゴジラ」、見に行って来ました。

おおおおもしろーい!!!

最近ゴジラの旧作をいっぱいテレビでやっていて、最初のゴジラの他にも、ヒロインが沢口靖子と釈由美子と新山千春のを見たけれど、
どれもけっこう面白かったんですよね。それでいきおい拍車もかかって、映画館に行こう!となりました。
沢口靖子のゴジラは目がかわいくて愛敬があり、釈由美子のゴジラもなかなか悲哀あり、新山千春のはけっこう悪いゴジラと、
作品ごとにゴジラから受ける印象も少しずつ違うんだけれど、「シン・ゴジラ」は

きもちわるいゴジラ。

最初に登場したゴジラの衝撃的な気持ち悪さ。なんだこの気持ち悪さは。。。でも気持ち悪いけどもっと見たい…!!
それでもやっぱり最後にやられてしまう所は悲しかったんですよね。なんというふしぎなゴジラの魅力か。

トレーラーの印象では、もっと深刻な、重々しい感じなのかなと思ってたら、テンポよく、
ていうかセリフが早口のうえにおそらくふだんの会話ではめったに使われないような難しい言葉が多く、
聞き取れないし意味もわからない所が多かったんですけれど、別にそれ全部理解できなくても十分楽しめてしまうもんなんですね。
なんとなく流れさえつかめれば。っていうか大まかな流れはつかめる感じで作ってるのかな?どうやってるのか知らないけど。
近くにいた小学生ぐらいの子も飽きずに見てたようなので、そういう雰囲気は伝わってたのではないでしょうか。

そういえば十何年ぶりで映画館に行ったら、観客のマナーがすごい良くなってたのにびっくりしました。
途中で立ち上がったりする人もいないし、ポップコーンとかも売ってて持って入った人は多かったのに、
食べる音とかぜんぜん聞こえないし、もちろん話し声もないし。映画が面白かったせいもあるかも知れないけど。
あと、書かれてあった開演時間から実際に映画が始まるまでかなりCMが多く、またそれが映画の予告編とかじゃなくて、
ふつうのテレビでやってるようなCMが多くてつまらないので、いつ始まるんだろうとじれてたら、
近くからボソッと「CM長いな…」というつぶやきが聞こえてきたので、
長いこと映画館に足を運んでなかった人が他にもけっこういたのかも知れません。



で、色んな解釈とかあると思うんですけれど、それには触れないことにしまして、このブログでは私が気に入った所についてちょっと。
「シン・ゴジラ」には、けっこう笑っちゃう所が多かったんですが、その感じがトレーラーではわからなかったものだから、意外な驚きでした。
映画をそんなに沢山見てるわけじゃないけれど、邦画に対して私が持ってる印象って、言葉がすごく悪くなってしまいますが、
「クソまじめで辛気くさくて貧乏くさい。照明も暗い。」なんですよね。。。昔の裸電球のようなイメージ。
でも「シン・ゴジラ」にはそういう感じがなかった・・・!
それがどこから来てるかというと、一つにはユーモアの感覚からじゃないかと。
ユーモアの感覚って、もうひと味とか隠し味的なスパイスとか、あるといいよねみたいな付け足しのように思われがちだけど、
もっとずっと根幹の所ですごく大事なものなんじゃないかと、シン・ゴジラを見てあらためて思いました。
といっても、ユーモアそのものが根っこというわけではなくて、多分、創作の中心になるアイデアと同じ所からユーモアも出て来る。

どうしても日本では笑いって低く軽く見られがちと思うんですけれど(今はでも少し変わって来てる?)、
もちろん年がら年中、強迫的に面白いこと言ったりやったりする必要はないんだけれど、
かつてとてもすぐれたユーモア感覚を持っていた人が、ユーモアを楽しむ余裕を失ってしまった姿を見るのはすごく悲しい。。
べったりはりついてしまった何かから、べりっとひきはがしてくれる力を持っているのが笑いとかユーモアで、
執着的に物事を見るようになってしまった時にこそ効果的な、特効薬のようなものだと思うんですよね。
私はそれに何度助けられたかわからない。。でもそれを失わずに生き続けるのは、あんがい難しいことなんだと。
大して大事なものじゃない、失ってもかまわないものだと思うなら、なおのことなくしてしまいやすいんだと思います。
それで「シン・ゴジラ」にも同じように、ユーモアを大切に思う感覚が感じられたので、
中だるみもなく楽しんで見られました。あれがずっとまじめ一本槍のシリアス超大作だったら息がつまってしまう。。
その場の会話で発揮するような、当意即妙のユーモアも難しいと思うけれど、
作品中に意図してユーモラスな場面をつくり上げるのには、また別の難しさがあるんじゃないかと思います。
用意周到に準備して作り手の意図どおりに笑わせるって、すごく難しいよね。



うーん、「シン・ゴジラ」、DVDも欲しいなあ。その際日本語のセリフもテロップが出るよう選べるといいんだけど。
序盤の方、ゴジラが現れて大きな被害が出た現場で、中継してるアナウンサーの後ろを宅配ピザらしきバイクが通り過ぎてて泣き笑い。
なんてリアル。。。

遠いゴジラ

2016-07-20 20:53:20 | 雑記
おととい、BSプレミアムで初代ゴジラをやってたので、とぎれとぎれですが見ました。
第一作目の映画は1954年公開だそうで、すごく有名でしたが、ちゃんと見たことがなく。。

子どもの頃は人一倍ああいうのが苦手で、ゴジラは見てないにも関わらず、
なんとなくあちこちであのビジュアルを目にしていて印象に強かったのか、夢によく出て来ました。
自宅から遠くを練り歩いてるゴジラが見えるという悪夢は、小学生高学年になってもよく見てたので、
あの手の映画はパスしていて、ほどほど大人になってからは今度は今更ゴジラ?みたいな感じで見ませんでした。
で、おとといは、テレビつけっぱなしでなんとなしに見てたのがいつの間にか引き込まれ、
白黒だし、CGじゃないけど、ゴジラは立派に怖かった……!!
すごくちゃんと作った映画だったんですね。はしばしまでおろそかにしない感じ。バカにしててごめんよお。。

ゴジラはおそろしかったけれど、最期を遂げた時にはなぜか悲しく、私はジュラシックパークの恐竜はダメだけど、
ゴジラはなんか好きなのはなぜかと考えたら、ゴジラは人を食わないんですよね。
電車の車輛をくわえたので食べるのかと思ったら落とすし。なので森のなかまに

「ゴジラは人を食わないのがいいよ。恐竜は人を食おうとするのがいやだけど、
ゴジラはなんでか知らないけど、ただひたすら純粋に破壊するのがいいよね」
と言うと、

「・・・そっちがのひどくない?

そういえばそうかも。でもやっぱり私は、その方が怖くない気がするんですけど、なんでだろう?

って考えたら、ゴジラって天災とか自然災害に近いんだなあという感じを受けました。
いや、自然災害はもちろん恐ろしいけれど、どうしても起こるのが仕方がないというか、避けられないもの、止められないもので、
それそのもの、地震や火山や津波そのものは、憎んだり嫌ったりできる対象にはならないというか、、
ちょっとうまく説明できてないかも知れませんが。
かたやジュラシックパークの恐竜は、明らかに生き物という感じで、それがより近く感じて、
人間をひたすら獲物としてねらってくるさまは狡猾で憎々しく、悪意にさえ感じられましたし。。。
うん、そう、ゴジラの方が恐竜よりも、人間に遠い存在なのかも知れない。
映画では、島の言い伝えにも出て来る古い怪獣のようなので、昔ならきっと神様として祀られてたんだろうと。祟り神として。
だからゴジラは、火山や嵐を神様と見立ててしまう、とても古代の日本人らしい創造物なのかもなあと思いました。

ところで、なんでゴジラが放映されたのかと思ったら、「シン・ゴジラ」っていう新作が公開されるんですね。
トレーラー見たら面白そうではないですか。新ゴジラ、現代風にグロさがアップデートしてますね。きもちわる!
もののけ姫以来映画館に足を運んでないんですが、行ってみたいような、怖いような。。。

wikiによると、新しいゴジラは身長が118,5メートルだそうで、初代は50メートルだから、二倍以上に伸びたようです。
それぐらいないと、今の高層ビルに並ぶとちっちゃく見えて、破壊できそうに見えないんでしょうね。
しかし初代作品見て思ったけど、ゴジラも変わったけど、日本人の顔もずいぶん変わりましたね。。

でも新ゴジラ、しっぽがすごく長くありません?大きくふったりして、ちょっと猫みたいですよね。


「戦国大名」「天下一統」

2016-06-29 20:19:07 | 雑記
中公文庫の日本の歴史「下克上の時代」から「戦国大名」、今「天下一統」の途中で、面白いんだけれど、時々げんなり。
戦国時代ゆえ戦戦はあたりまえとしても、そうした乱世に生きてる武将たちさえちょっと腰がひけるように見える信長。
本ではこれからさらに拍車のかかった信長が、比叡山を焼き討ちしたり高野聖一千人余殺戮するようです。うげえ。
こんな人、敵にいても味方にいても上にいても下にいてもいやだなあ。。
でも、信長が初めて上洛(京都にゆく)した時には、すでに京の町では天下を取る人との評判が立っていたそうで、
昔でもそういう情報は早かったのは、商人がかなり敏感に反応していたからのようです。

でも近江、今の滋賀県琵琶湖畔は行ってみたいなあ。こないだテレビでちょっと見たんですが、近江八幡てすごくよさそう。
信長の夢、今はなき安土城、安土の城下町は近江八幡の近くだったんですね。恥ずかしながら知らなんだ。。
あと比叡山もあるし、昔の大工さんとかが定期的に道具を調達しに来たりしたのも近江だったそうだし、
時代は後になるけど、ひこにゃん彦根城もにゃんと琵琶湖畔ではないですか。みどころ多いじゃん!
京都への水運商ルートであった琵琶湖周辺はすごく重要な地域で、独立気風の高い菅浦という惣村などもあり、
さすがの信長も平定するのに手こずったようです。法華衆、一向一揆、僧兵などなど、とにかく全体的に荒々しい。

しかしこの、日本中上から下まであふれんばかりだった荒々しい気風が、江戸時代にはほとんど見られなくなるのは、
そういう時代を目の当たりにした家康その後の将軍たちが、そういった気風が育つ土壌を徹底的につぶしていったからなんでしょうか。
滅私奉公的な武士道も、裏切り寝返り当たり前の戦国時代があったからこそ、後世江戸時代になってできたもののようです。うーむ。



「戦国大名」では、北条早雲、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、朝倉義景などなど、私レベルだとぼんやり名前だけ知っていたような武将たちについて書かれていて、面白かったです。
「三本の矢」の、ちょっといい話の武将ぐらいにと思ってた毛利元就が、そんな陰険な人だとは思わなかったけども。
でも、親子兄弟の間での殺し合いも珍しくなかったからこそのたとえだと思うと、戦国の世のなんとすさまじきことよ。
今いう兄弟仲良く、みたいな感じじゃなくて、ほんとにあれなんだもんなあ。。
ていうか、何かというと契約がわりに嫡子だのを人質にとるってどういう野蛮だ。

あと、北条早雲が名前のかっこよさを意識していたのは間違いないと確信しました。
戦国武将にとって、名前のひびき、鎧装束、花押などのかっこよさはすごく大事なんだと思います。イメージ戦略というやつじゃ。
ていうか戦国武将は名前をコロコロ変えるな!やたら名前に義ってつけるな!覚えられない上にも覚えられないじゃないかあ!
でも信長の、うつけ時代のちょんまげが「茶筅」と言われ、生まれた子の名前にも茶筅てつけるのは、どんだけ茶筅が好きなんだと。
マンガとかに書かれる信長のちょんまげだけなんかヘンなのは、そういう記録がちゃんとあったからなんですね。
なんかお茶にすごく興味あったみたいで、秀吉もそうですし、今の茶道ともまたちょっと違って、
すごく人を魅きつける最先端の何かが当時のお茶にはあったんでしょうか。



この中公文庫の日本の歴史が出版されたのは1960年代、巻によって書いてる人は違うんですが、
著者紹介を見ると大体1910年代あたりの生まれで、みんな文章がすごくしっかりしてて、
読んでて感じる安定感安心感がただごとじゃないんですが、私はそんなに数読んでるわけでなないけれど、
なんかそれぐらいの世代の学者さんとかって、やけに名文家多くありませんか。
宮崎市定、益田勝実、梅原猛、などなど、なんか格が高いっていうとあれだけど格高い。
でももし私が出版社のえらい人で、歴史の本書いてもらうとしたら、他のどの分野の本よりもやっぱり安定感を重視するだろうなあ。
しかしその文章の安定感てのは、いったいどっから来るんだろう。

以下、信長に会ったキリスト教の宣教師ルイス・フロイスが、ローマに当てた親書に書いた信長の様子です。「天下一統」から。

「この尾張の王は、年齢三十七歳なるべく、長身痩躯、髭少なし、声ははなはだ高く、ひじょうに武技を好み、粗野なり。正義および慈悲の業をたのしみ、傲慢にして名誉をおもんず、決断を秘し、戦術に巧みにしてほとんど規律に服せず、部下の進言にしたがうこと稀なり。かれは諸人より異常なる畏敬を受け、酒を飲まず、みずから奉ずることきわめて薄く、日本の王侯をことごとく軽蔑し、下僚に対するがごとく肩の上よりこれに語る。諸人は至上の君に対するがごとくこれに服従せり。よき理解力と明晰なる判断力とを有し、神仏その他偶像を軽視し、異教いっさいの卜(うらない)を信ぜず、名義は法華宗なれども、宇宙の造主なく、霊魂の不滅なることなく、死後なにごとも存せざることを明らかに説けり。その事業は完全にして巧妙をきわめ、人と語るにあたり、紆余曲折を悪めり。」

まるで星座に星を打つように的確に描かれる信長の輪郭。ううやだやだ、おっかねえ。。。
このルイス・フロイスという宣教師、ただ者じゃないのです。きっとくぐってる修羅場がちがうんだぜえ。


根津美術館・鏡の魔力/若き日の雪舟展

2016-06-16 08:22:04 | 雑記
苔の海に浮かぶ飛び石の島。じめじめしてなんとなく気持ちの晴れない梅雨を美しく彩ってくれるのは、緑つややかな苔の庭。

表参道にある根津美術館に行って来ました。
なんか行ったことがあるような気がしたら、行ってなかったようで、うわあここいいな!
個人的に室町ブームのため雪舟目当てで行ったんですが、同時開催の古鏡展にすっかりはまってしまいました。
展示されていた鏡のコレクションは、静岡で光学系の会社を経営されている方が寄贈して下さったものだそうで、これがすごい!
しかしよそにあげちゃったんだな、これだけのコレクションを。。。相続税対策とかもあるのかしら。
でもほんとは手放したくなかったろうなあ。


根津美術館は、wikiによりますと、東武鉄道の社長などを務めた実業家で茶人の、
初代・根津嘉一郎氏の収集品を展示するためにつくられた美術館だそうです。
この土地は、もとは河内藩主の下屋敷だったのが維新後に荒れ果てていたのを、根津氏が買い取って造園し、
個人のお邸としていたものだそうです。

・・・って、この庭、個人で造ったの???

いやあもうお金かける所が違うというかスケールが違うというか。。
鏡のコレクションといい、ここまでいくのって、公でやるのよりも、個人が好きでつくったり集めたりしたものなんですよね。
うんしかし、お金かけても成金趣味にならないのが茶の道的な趣味なのかも知れん。。。


園内はかなり広く、こんな道路がはしってるぐらい。あちらこちらにおもしろげな石像などが置かれています。



鏡のコレクションでは、中国の戦国時代(前3世紀)から宋の時代ぐらいまでのものが時系列に並んでいて、
装飾の変遷などがわかって大変面白いです。
古来鏡は、映すと病気が治るとか、化け物の正体があらわになるといったような、破邪や護身の力があるとされ、
呪術や道教の儀式に使われたり、贈り物にされたそうです。そういえばドラクエ2にそんなエピソードあったな。。
古い鏡は、まるで空白恐怖症のように、地紋から意味のわからない大きな記号のようなものからでびっしり埋め尽くされていて、
ちょっと怖いぐらい。
常設展には青銅器があって、根津美術館の青銅器コレクションは世界でも有数だそうで、
こちらは殷の時代からとさらに古いんですが、これもびっしり紋様で埋め尽くされていて、呪術的に感じました。
ていうか実際に神器として使われていたらしいです。
そういえば耳なし芳一の話に、芳一が平家の亡霊から見えないように体にびっしりお経を書くというのがあったけれど、
それと似たような感じなんでしょうかね?あの空白恐怖症みたいな何かは。。
でもその模様が、時代が新しくなるにつれ、玄武朱雀白虎青龍のような神獣になり、人の姿をした神仙になり、
イスラムの影響なのか植物文様が取り入れられ、やがては主要な絵の背景が空白のままの鏡もできたりして、
不気味な怖い感じは薄れてゆきます。呪術的だったものが、時代を経て、だんだん美術的になってゆくんですね。

古中国では、空は丸い形をしていて、大地は四角い形をしているという思想があったそうで、
円形の鏡の中に四角を配置するデザインが多かったです。
またラーメン丼といえばあれ!の、丼のふちに今も生きているあの模様も地紋に多用されていて、あれは雷文というそうです。
神獣は、四天王以外にもいっぱい描かれているんだけれど、いそうでいないあの不思議な獣たちは、
いったいどこから生まれて来たんだろう。
龍が、北斎の天井絵などでは蛇体に近く、小さな手(足?)がちょこんと出てるイメージだったけれど、
この鏡コレクションの一つに描かれていた龍は、ウロコの体に、鹿などの四足動物のような、
かなりしっかりした長い四本足をしていたのが、ちょっとふしぎでした。

唐時代の鏡に顕著なんですが、唐の初期には沢山の実をつけ豊穣繁栄の象徴とされたブドウの模様が好んで使われ、
盛唐の時期には、今度は鳳凰など二羽の鳥が夫婦和合の象徴として好まれ、そして社会情勢が不安定になって来た晩唐の頃には、
伝統的な儒教や道教が盛んになったことを受けて、そうした伝説や故事を題材とした文様が増えて来るそうです。
そういえば室町時代も、不安定になってくると源氏物語などの古典に人気が出たそうで、なんかそれはわかるようが気がしますね。








雪舟展の方ですが、かつては雪舟と拙宗はタッチの違いもあって別人だと思われていたのが、
雪舟等揚(せっしゅうとうよう)は若い時には、拙宗等揚(せっそうとうよう)と名乗っていたらしいことがわかり、
つまり二人は同一人物というのが今の定説なんだそうです。
で、拙宗等揚、若き日の雪舟の描いた芦葉達磨図ほか何点かの絵と、雪舟と名乗ってからの絵が展示されていました。
拙宗時代の絵は、すごく繊細で優しい。雪舟になってからの絵は、明に留学していた頃に描かれた、
四季山水図の夏の絵があったんですが、これが力強く迫力のある絵で、なるほど別人だと思われていたのもむりはない気がしました。
現代でも外国に行ったりすれば、人が変わったようになることも珍しくないだろうし、室町時代ならなおさらでしょうか。
いや、でもこの山水図は本当にすごかった。。。














禅宗の影響を受けたといわれる東山文化、「下克上の時代」の著者である永原慶二さんは、たしかにそうだけれど、
浄土真宗の影響を見過ごしてはいけないと書いていました。
禅宗の教義は難しくて、前知識がかなりないと、描かれた絵の意味する所もわからなかったりするんだそうですが、
雪舟も禅僧だけれど、雪舟の絵は当時から、上は公家から下は庶民に至るまで大変人気があったそうで、
それは禅その他の知識がなくても、いいと思えるからなんですね。
なむあみだぶつと唱えさえすれば極楽にいけると教える浄土真宗は、庶民に広まったわかりやすい仏教でしたが、
時衆の僧侶をそばに置いていたことからもわかるように(時宗は法然の浄土教から分かれたもので、
親鸞の浄土真宗と源を同じくする)、将軍義政もその影響とは無縁ではなく、パトロンであった東山文化全般に、
浄土希求的なものが見られるそうです。

そしてさらに、お茶、お花などの東山文化全般は、そうして一見敷居の高い、宗教性の強い文化のように見えて、
実は民衆性、土着性に基づいた生活文化で、それは同朋衆が身分の低い人たちであったこととけして無関係ではないと述べています。
今7,80代ぐらいの年配の女性って、お茶やお花、踊りとかやってたり、着物や器など、いい物を知ってる人がとても多いんですよね。
別に特に裕福じゃなくても、物を持っていなくても、知識としてよく知ってる。それは物を見分ける鑑定眼とは違うんだけれど。
戦後の経済成長期に、それまでは手の届かなかったような華やかな文化が自分たちにも手の届くものになって、
すごくどん欲にそういうのを求めていったような所があるんだと思います。
そういえばうちの母も、ミセスとか暮らしの手帖とか読んだりしてて、
暮らしにちょっと余裕ができるようになったらすぐお茶を始めたりしたし、
近代では、家庭にある女性を魅きつけやすかったのがお茶お花日本舞踊などだったと考えると、なるほど東山文化は生活文化で、
だから今まで残って来たんだなあと思います。

宗教行事だった祭りが、町民が主体的な役割を果たすほどに娯楽性の高いものになってゆく傾向は、
南北朝時代頃からあったそうです。
御伽草子などに始まって、庶民が娯楽を求めるようになったのが室町時代で、それは農作物などの生産力が上がったことや、
町衆と呼ばれる町人が力をつけ始めたことで、余裕ができてきたからだと。






こんな庭が、表参道駅から8分の所にあるんですねえ。。。

それまで人間扱いされていなかったような人たちが、人間として見られるようになって、暗かった所に光が当たるようになった時、
文化が生まれることがあるんじゃないかと、電車の中でスティービー・ワンダー聞きながら思いました。
室町の文化は、庶民が以前よりも人間らしく生きられるようになったことで花開いた。
黒人音楽もそんな感じだったんじゃないのかなと。中世から抜けた後に起こった、ヨーロッパのルネッサンスも。

少し前に「パードレ・パドローネ 父」というイタリアの映画を見たんですが、
主人公の男の子が小学生の時に、父親が学校に来て、これから羊飼いにすると言って学校から連れ出してしまう。
羊飼いはほとんど人と出会うことのない、ひとりぼっちの生活で、その子は言葉をほとんど知らないまま育ってしまう。
大人になって、家庭の事情から父親の命令で軍隊に入り、友だちができ、その友だちに言葉を教わって、
徐々に人間らしくなってゆき、やがて言語学者になって故郷に帰り父親と対決するという、自叙伝がもとになった映画だそうです。
自叙伝を書いた本人が最後に登場し、羊飼いだった頃のあの暗闇にもう戻りたくないと今も必死だ、と言っていました。
人間て、人間扱いされることで人間になってゆくような所があるんですよね。
文化的な生活って多分そういうことで、だから文化は大事なのだ。人間を人間にする。












梅に桜、藤などのみごとな古木もありましたが、今の時期に咲いていたのはクチナシのみ。よく香っていました。
そして何より、この梅雨のじめついた時期には、緑に輝く苔が本当にきれいでした。
花や紅葉の時期は多分すごく混むだろうから、けっこう今が穴なんじゃないでしょうか。
古鏡、雪舟展は7月10日までだそうです。



帰りにミュージアムショップで蚊取り線香型のお香を買いました。あー、お寺の香りだ。。。
このまま永眠安眠できそうな匂いです。ぐっすりぐー。