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水瓶

ファンタジーや日々のこと

テケリ・リ!

2016-10-14 21:22:02 | 雑記
Amazonのおすすめで来たのは、なんと原作ラブクラフトのマンガ・・・!
一冊買ってみたら、これがなかなかいいではないですか。というわけで、三冊つづけてポチポチポチ。
原作にかなり忠実なつくりでありまして、これはうれしい。そして思わずため息が出るような描き込み。すごいねえ・・!
ラブクラフトの小説には廃墟などの古い建築構造物が舞台としてよく出てくるんですが、私はそういう立体物をイメージするのが苦手なので、
こうして絵になるとほんとにありがたい。百聞は一見にしかずでありますよ。

ラブクラフトの小説は、いったい何があったのか文章から読み取るのがすごく大変な所があったりするんですが、
しかもそれがすごく知りたい!と思う箇所だったりするので、わざとかも知れない。
見えそうで見えない、、くぅ〜〜〜、みたいに描くわけで、あれも一つの怪奇小説の手管なんでしょうが、じれるのじれないのって。

ラブクラフトといえば創元文庫の恐ろしい表紙のこれが有名だと思うんですが、訳者の人があとがきに、
ラブクラフトは翻訳者泣かせとか書いてたように思います。すごく古い、めったに使われないような単語を使うんだっけ。
でもわかりにくいおかげで、それは一生懸命読んだので、読解力とか想像力とかラブクラフトのおかげで研ぎすまされたかも知れない。
自分で書いた小説はほとんどお金にならず、プロの作家の文章に手を入れたりして生計を立てていたそうで、
なら文章力はしっかりした人なのではないでしょうか。わかりにくいけど。

白眉は「異世界の色彩」、創元では「宇宙からの色」というタイトルだったと思いますが、いやー、、よく描いたなあ、これ。
なんか聞き手の主人公が(語り手ではない)、微妙にラブクラフトに似てる気もする。。
これは私は読むとほんとに気持ち悪くなってくるので他に比べて回数読んでませんが、
それにしてもマンガの方がスッキリした感じがするのはなぜなんでしょうか。
ラブクラフトの本って、なんとなく全体の字面から、瘴気ただよう感じがするんですよね。。
大仰で大時代、大真面目。これがラブクラフトの醍醐味で、なんだ大げさでばかばかしいなと時折思ったりもしますが、
ひとたびページをめくれば、その腐臭にまみれた絢爛たる暗黒世界に取り込まれてしまうのです。
いまだピルグリムファーザーズも遠からぬ、現代とは違うアメリカの一面が見られるのも面白くて。

ラブクラフトは旧家に育ったものの、晩年は困窮した暮らしだったようです。
死後カルト的な人気が出て、本は売れ続けるわ、グッズは出るわゲームも出るわで、
生きてる間に陽の目を見なかった気の毒さ具合ではゴッホと並びますね。生きてるうちにいい目を見させてくれよ。。。



ラブクラフトといえば、ご存知の方も多いと思いますが、人種によっては蔑視することを明らかにしており、
「私は黒人とインディアンとアジア人を劣等人種と見なす以外は平等で公平な見方をしている」といったようなことを、
なんか胸を張って書いてたりします。そんな時代か。
まあ百年前だからしかたないとは思うんですが、でも今生きてたら絶対トランプさん支持してた感じはする。。

イギリスの作家チェスタトンも公然と黒人に対して差別感をあらわにした作品を書いていて、
私はそれに結構ショックを受けたんですが、ラブクラフトにはあまりショックを受けなかったのが自分でも不思議で。
考えてみたんですが、チェスタトンは作品が人文的というか、倫理を持ち込んだ小説を書いていて、それがとてもいいんですね。
で、ある面ではこんなに先進的な考え方を持っている人が、なぜそんな差別意識を持つんだろうと不思議に思ったことを憶えています。
一方ラブクラフトは、そういうテーマ、善とは悪とは、みたいなことについてはほとんど触れず、
一貫して絢爛たる真の悪、古からの恐怖についてしか書かなかったですし、しかもその悪や暗黒に魅了される主人公も多かったりするので、
それであんまり不自然に思わなかったのかな???さもあらんていうか。
チェスタトンはブラウン神父ものとかすごく面白いし今も読まれていますが、ああいう差別的な感情をあらわにした作品を書いていなければ、
今もっと再評価されてたのかもなあと思います。「詩人と狂人たち」とかもいいのになあ。残念。。。



ラブクラフトの「ダンウィッチの怪」は、私は特に好きな小説なんですが、
文章通りに想像するとどうしても愉快な感じになってしまって、ちょっとおかしくなってしまう。。
あれのマンガ化はさらに難しいかも知れませんが、このマンガ家さんにはぜひチャレンジして頂きたい。
ちょっとこの絵に似てるんですよね。

一番上の写真は、スカイツリーのすみだ水族館にいた、キノコのようなサンゴです。
ラブクラフトといえば……そう、海やシーフードが大嫌い!
子どもの頃海に入った時に、ぬるぬるぶにゃぶにゃしたなんだかよくわからないものを足で踏んだ感覚が恐ろしかったそうで。。
たしかにあれはちょっと気持ち悪いかも。あまりくわしく想像したくないですよね。。
なんかいやがらせのような写真になってしまいましたが、ごめんなさい、H・P。小説からは海の印象が強いもんだから。
でも自分が嫌いな恐ろしいものを、あれだけ熱を込めて書き続けられるのがすごいなあ。

そういえばシン・ゴジラの幼体蒲田くん、あの陽の当たる所に出したらいかん的なグロさ、
クトゥルフっぽくありませんか?海から来るし。

ヨグ・ソトホーーーース!!!父上!父上ェェェェ!!!

中世の星の下で

2016-10-06 13:12:35 | 雑記
マクニールの「疫病と世界史」をしばらく前に読み終えて。
マクニールの「世界史」を初めて読んだ時は、へええこういう見方もあるんだとかなり新鮮で、この本も面白かったけれど、
なにかぞっとするように感じたのも確かで。
人間は人口が増えすぎると、それを調節するために戦争を始めるとか、人間も疫病のウィルスや細菌なんかと同じようにふるまうとか、
こういう見方に特徴があるらしいんですが、なんかずっと読んでたら寒々してきた。
それも一面真といえるかも知れないけど、こういう見方だけしてたら心が殺伐しそうでやだなあ。。

・・・と思って今は、「中世を旅する人々」「中世の星の下で」と、阿部謹也の中世の本を読んでいまして、
そういう寒々しさを中和する感じがあります。
もうちょっと人間を拡大して見てるわけで、その目にやさしさが感じられるようでほっとする。。
中世の庶民にスポットを当ててるんだから、たいていは明るくも賢明でもないんですが。

ドイツと日本は似ている所もあり、似てない所もあり。
大きく影響してる違いは、キリスト教と、牧畜が身近にあった生活、城壁で囲まれた都市の生活、とかだろうか。
「世界ふれあい街歩き」にもよく出て来るけど、ヨーロッパの旧市街と呼ばれる街は、大抵ぐるりを石壁に囲まれてるんですよね。
日本は城下町でも民家は城塞の内になくて、でも堀で囲まれてる村はけっこうあったようです。
そういう村は垣内(かいと)とか堀内とか呼ばれていたらしい。浄土真宗の村に多かったそうですが。
日本では都市じゃなくて、村がコミュニティの基本にある単位なんですよね。
自治意識のあるコミュニティが、都市まで育たなかったと言った方がいいのかも知れない。

ドイツも日本も職人志向は結構強くて、ドイツにはギルドやツンフトがあって、日本にも同業組合的な座や講がありますね。
ドイツでは親方株というのの数が決まっていたから、一人前になっても親方になることができない職人があぶれてしまったので、
技術向上のためと称して、時間かせぎのためや、同じ職人が少ない街などを探すために、
何年間か諸国を渡り歩く遍歴職人というシステムがあったそうで、なんとこれ、しばらく前の世界ふれあい街歩きで見たんですが、
今でもそうして各地の親方の所を渡り歩いてる職人さんがいるんですよ・・!
二年家に帰ってないって言ってたかな。。。
で、たしか、杖とか帽子とか決まったスタイルがあって、それを今も守ってたのでビックリ。
この遍歴システムいい話ばかりではないんですが、ドイツ全体の職人レベルを引き上げる結果になったそうです。
また、遍歴する職人の面倒を見る兄弟会みたいなのもあったそうで、宿や病気になった時の世話、
また旅先で死んでしまった時のお葬式まで、滞在していた街の兄弟会でやるんだそうで、よくできてたんですねえ。。

ドイツにも、キリスト教以前からあるゲルマン民族の信仰のなごりと思われる、
火を焚くかまどや主食であるパンに対する信仰のようなものがあるんだそうで、ええ、日本と同じじゃん!とちょっとおどろき。
日本では家々でまつるかまど神を、お正月には門付の座頭に祝ってもらったそうですが、
ドイツでは煙突掃除人が新年一年の暦を配って歩いていたそうで、へええ〜・・・!!
そういえば「火山列島の思想」の益田勝実が、日本は世界の中で一見かなり特異であるように見えて、
いざ探ってみるとあっさり普遍に行き着くこの奇妙さはなんだろうみたいなことが書いてあって、
どういう意味なのかわからなかったんだけれど、こういうことなんだろうか。

「ティル・オイレンシュピーゲル」という、中世ドイツの遍歴職人であるティルが活躍する有名な本があるんですが、
やたらウ○チネタが多いうえに(親方と職人の対立を描くことが多く、腹いせに仕事場にウ○チをしたりする。ひどい。くさい。)、
言葉遊びがメインとあって、現代日本人である私が読んでもぜんっぜん面白くないんですが、
背景を知るとなるほどなあと思います。やっぱり面白くはないんだけど。
ていうか今面白く感じるとすれば、当時意図されたこっけいさではなくて、背景にある中世庶民のリアルな生活が見えて来ることなんだろな。
デューラーやボッシュ、ブリューゲルの絵も、芸術性は別にして、当時の生活を伝えるところ多いんですよね。
しかし庶民を描く画家って、かなりアク・クセが強い気がするけどなんでだろね。

あ、そうだ、そしてドイツの遍歴職人だか放浪学生を題材にしたシューベルトの冬の旅(リンクはその中の菩提樹という有名な歌)
という曲があるそうで、この本読んで聞くとイメージ湧きやすいかも知れませんね。オペラかあ。たまにはいいな。

ワンダランドの迂回する道のり

2016-09-18 20:56:28 | 雑記

オレはこんなところで生まれた筈はない、どこか遠いところ、たとえば他の天体からむりに連れてこられたのだと、
幼年のわたしが固く信じて、その故郷へ戻るための呪文を日夜唱え続けていたのは、むしろ当然だったかも知れない。

(中井英夫「虚無への供物」あとがきより)


十代の頃に読んだきり、五十近くなった今読んだらどうだろうかと思ったら、やっぱり面白くて一気に読んでしまった「虚無への供物」。
以前はわからなかったことも大分理解できたように思います。全部とはいえないけど。
この犯人の動機は、十代の自分にはわからなくても無理はないかな。。
これと同じような犯行動機で描かれたミステリ、他にはおぼえがないです。
アンチミステリと作者本人が言うゆえんもそこにあるのかも知れませんね。

ワンダランドとは後半辺りからよく出て来る言葉で、「不思議の国のアリス」のwonderlandのことです。
この話の中では、想像の世界というよりももう少し強い、妄想の世界といったような意味で使われているようです。
結末では、一時期ワンダランドに耽溺したけれど無事に、そして少し成長して帰って来た人と、おそらくはより理知的で強い性格であったためにワンダランドにのめり込むことができず、ワンダランドであればこそ許されるような出来事を現実に実現しようとして、逆にワンダランドに、現実世界に侵入されてしまう人とが描かれています。
何かに耽溺することの危険はよく言われるけれど、この小説ではあえてそうした危険も含むワンダランドの効を描いているように思います。
このワンダランドはフィクションと置き換えてもいいかも。虚構だからこそ許される世界。

1954年に起きた洞爺丸沈没事故を重要なモチーフとして取り上げていて、たとえばそうした沢山の人が亡くなるような大事故や大災害の、あまりにも個人に対して無頓着で無意味なむごさ、残された人にとっては堪えがたい空しさに、直面するのでなく迂回する道筋をつけて、なんとか日常に復帰させることの大切な役目の一端が、フィクション・虚構の物語にも与えられているんだと思います。
しばらくの間、ワンダランドの暖かくやわらかい羽毛にくるまれて、いつかいい時期に、もと歩いていた道に戻るのを助けてあげるんですね。

・・・えー、これ、コッパードの「ポリー・モーガン」や、幽霊についた書いたのと同じようなことだな。。。
はい、私はフィクションだのの創作物は、極力自由に描くのを許すべき派であります。
悪徳も背徳も許されるからこそのフィクションの存在価値ではありませんか。にゃーんて。



作中にしばらく前に行った目黒不動尊が出て来るんですが、ご存知でしたか?
目黒不動尊のほかに、目白不動尊、目赤不動尊、目青不動尊、目黄不動尊と、都内に五色五カ所あることを。
あと、ここへ引っ越して来る前に住んでいたアパートの近くにあった、国府台のバラ園のあるS病院も出て来て。
こういう昭和の、当時流行の最先端の風俗を描いた文章好きで。横溝正史の短編中編とかでもよく描かれる感じ。
なんかこの後、けっこう変わるんですよね。風俗も文章も。



冒頭の写真は大さん橋に寄港していた豪華客船ダイヤモンド・プリンセス。まさに浮かぶマンション、でかかった・・!
二番目の写真は象の鼻近くの大通り。最後の写真は横浜開港資料館の中庭にある玉楠(たまくす)の木です。
この木は江戸時代からあるそうで、関東大震災も横浜大空襲も生き残った剛の木なんですよ。

ところで、昔読んだ時には肩すかしをくらったように感じた結末、今読んでみると、おそらく正統派ミステリのようにトリックから動機から通常のミステリ的に納得できる結末になっていたら、もちろんそれでも面白い!傑作だ!と思ったと思うけれど、こうも後々まで心に残って、よし今度はどれぐらいわかるだろうと思ってもう一度読む気にはならなかったかも知れません。
つまり大いに満足してますが、でもこの長さでこの牽引ドライブ感だと、私は頭が興奮してしまって、読み終わるまでよく寝られないんですよね。。。この年になるとこたえるぞい。

「謎ときの本格ものだと思って、暖炉の傍や緑の木陰でのんびりページをくっていると、いきなり犯人は読者のあなただなんて、悪趣味だな。」

最終章に書かれた登場人物の一人のセリフです。
まあ私も基本的にはやっぱりミステリのルールにのっとった正統派ミステリが好きなので、これに同じ気分ですが、でも傑作ですよ、やっぱり。

ハーメルンの笛吹き男・中世の本など

2016-09-11 12:56:16 | 雑記
秋っぽくなったなあと思うこともあれば、入道雲モクモクたつ暑い空にまだ夏だなあと思ったり。
今はあんまりブログ書く気が起きなくて。。。でも本はよく読めるので、最近読んだ本についてぽつぽつと。

「酒場の文化史」が読みやすいと思ったら、著者は「太陽」の編集長やってたことのある人なんですね。
パブはパブリック・ハウスのことだと知ってちょっと驚き。
芸能の人をスターというようになったのは、パブのショーに毎晩出るからだったそうです。
あとこれ途中で止まってるけれど、もと伊勢神宮の神官職についていた方が書いた「魚の文化史」というのもなかなか面白くて。
神官の人がいうのもふしぎな気がしたけれど、生臭は文化だそうです。
神社に祀られている神様には魚やあわびが重要なお供えなんですよね。



あと今はヨーロッパ中世の本をよく読んでて、阿部謹也の「ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界」
これはずっと前に読んだのをもう一回Kindleで買い直したんですが、前読み落としてた所なども読めて、これほんとにいい本ですね。
他はヨーロッパ中世の本だと、ジョゼフ・ギース、フランシス・ギースという著者の本が講談社学術文庫からいっぱい出てるみたいで、やはり庶民の生活をくわしく描いていて、面白いです。
暗黒の中世と言われるけれどそんなことはない、みたいな流れがあって、よくよく考えてみれば私はそんなに歴史くわしいわけじゃないから、中世がどう暗黒だと言われていたのかよく知らないんだけれど、読んでみると、なるほど意外にちゃんとしてるなと思ったり、逆にやっぱり暗黒濃いなあと思ったり。

人々が生得の社会的身分に拘束されていた身分制社会においては、その身分を保証する社会秩序を揺がせかねない諸要因に対しては極めて苛酷な弾圧が加えられた。十三世紀末に遍歴楽師や放浪学生に厳しい弾圧が加えられたのも、旧来の秩序が揺ぎつつあったからである。都市の擡頭(たいとう)と市民身分の形成、貧富の差の増大、新しい国家権力の再編成(地域を一円的に支配する領域支配圏の成立と騎士身分の相対的低下)、聖職者身分の相対的低下などが背景にあった。自らの生活の基盤を奪われる不安にかられていた人々は、その不安の根源を理知的に認識することが出来ないまま、恐怖の感情を自分たちよりも下にあるとみなされていた人々に対する迫害によって、和らげようとしていたのである。
「ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界」より。


現代とてこれと同じような不安から、どれだけの人が無縁でいられるだろか。
どのへんまで自分は暗黒発揮せずに耐えられるんだろか。自覚的でさえあれば、それから免れられるんだろうか。
人間が生きてる限り、暗黒はなくならなくて、状況によってぷかぷかと表面に浮いて来たり引っ込んだりしてるだけなのかも知れないけど、できれば引っ込んでる方がいいね。

それにしてもヨーロッパも日本も、都市部の匂いは壮絶だったようで、匂いは今に残らないからピンと来にくいけれど、悪臭はかなりダメージありますよね。。。
王様が住んでるお城や宮廷だとて、やっぱり匂いからは逃れられなかったんじゃないだろか。
宮本常一さんが、ヨーロッパは香水文化で、アジアはお香を「炊く」文化なのはなぜなんだろうと書いてて、ほんとなぜなんだろ。
中近東では今でも乳香を家の中でめちゃくちゃ炊きしめるそうですね。おもてなしになるんだそうです。
乳香の木から採る天然ものは大変高価なので、今は人工合成のものが安く売られているそうです。



今は昨日買って来たばかりのマクニールの「疫病と世界史」を読み始めていて、新大陸に訪れたスペイン人たかだか600人程度で、
新大陸の何百万という人を制圧して、しかもそれまで持っていた信仰を捨てさせキリスト教に改宗させたのは、
スペイン人が持ち込んだ天然痘が原因だったのではないかという説をあげていて、これまた大変面白いです。
今またはしかが流行ったり、ジカ熱やエボラ出血熱とかも問題になったり、感染症の根絶ってなかなかできないもんなのかな。
気候が変化してきてるせいもあるだろか。

てなわけで、まとまりがないながらもけっこう書きましたね。
でもやっぱり今しばらくは、ブログはお留守気味になると思います。写真もあんま撮る気がしない。
今は本読んだりテレビ見てる方がいいな。
あ、そうだ。それと昨日駅前の出店で、スタンダードジャズのCD四枚組1800円の買ったんでした。やっす!
おとといテレビでテネシーワルツ♪かかってるの聞いて、あーなんかこういうの聞きたいなあと思って。
受動の秋のおとずれよ。

バラードとレム

2016-08-22 20:47:24 | 雑記
近所の川を見に行きたくて、うずうずする気持ちを抑えて台風が通り過ぎるのを待つ午後。
土曜日の夜には鶴見川の花火大会を見て、オリンピックも閉会式。夏も終わりですね。というかもう終わってくれい。

Amazonのおすすめで、ほーと思って読んだJ・G・バラード「ハイ・ライズ」
冒頭の一行で「・・・え?は???」となってぐんぐん読み進めたぐらい、アクセルの効いた謎めいた出だし。くっそう。
スピルパーグの映画「太陽の帝国」の原作者のイギリス人です。日本軍の捕虜になってたことがあるんですね。
バラードは短編集一冊読んだぐらいで、もっと読みづらい文章の人のイメージがあったけれど、これはスラスラ読みやすかった。
結末は大体予想できるけど読みたいと思う小説(大体ハッピーエンド)と、
結末がまったく読めなくて気になって読んでしまう小説(ハッピーエンドなのかそうじゃないのか判別しがたいことが多い)があるけれど、
「ハイ・ライズ」はまさに後者。
いったいこれは笑うべきなのか?冗談じゃなく真剣に受け取るべきなのか?などと迷いながら読み進めている内に、
ぐんぐん引き込まれてしまいました。こういうのをストーリーテラーというんでしょうか。しかし一筋縄じゃいかないよ!
感情移入しないで読める、というか登場人物誰にも感情移入できない感じで、こういう小説がむしょうに読みたくなる時があります。
しかし、たとえば感情移入を促されやすい小説で感情移入してしまう人物って、別に自分に似てるわけじゃなくて、
むしろよくよく考えると正反対の性格をしていたり、逆に感情移入できない、したくないような、
ろくでもない人物が本当は自分と似てたりするのかも知れないとバラード読んでて思いました。いやですにゃー。



もう一冊、SFづいて続けて読んだのは、スタニスワフ・レム「泰平ヨンの未来学会議」。「惑星ソラリス」で有名な人です。
ソラリスはリメイク版の方の映画と小説とを読んだことがあって、シリアスでなんとも哀しい話だったけれど、
泰平ヨンはまるっきり違う印象なのでおどろいた。こんなハチャメチャなのも書く人だったのか。。。
これもやっぱり感情移入ほとんどせず(ということはつまり気楽に、野次馬根性で)読めました。
そうか、でも、文章のスタイルは全然違うけど、アイデア自体はソラリスと通じるものがあるかも。
レムはポーランドの人で、東欧の小説で私が読んだのはわずかにすぎないけれど、
SFが面白くて、怪奇小説はあんまり怖くないイメージが東欧にはあるんですよね。
たしかロボットのアイデアを発明したチャペックもチェコの人だったか。
たぶん、怪談とか幽霊のようなものを怖がれるのは、ある程度恵まれた環境にあるんだろうなと。
かつての東欧は、怪奇小説よりもSFに優れたものが出るような、そんな状況にあったんじゃないかと思います。今はどうだろう。



上の二作品に共通するのは、どっちも最近になって映画化されたことで、バラードはKindleで出てるのは今のところ「ハイ・ライズ」だけ。
レムはけっこういっぱい書いてるみたいだけれど、日本で出てるのは「ソラリス」と「泰平ヨンの未来学会議」の二つだけ。
多分上に上げた二作品は、映画化されなければ日本では出なかったんじゃないかな。
どちらも書かれたのは1970年代。なんで今映画化されたんだろうと考えると、「ハイ・ライズ」は時流的になんかわかる気がするし、
「泰平ヨンの未来学会議」は、うーん、、、これはけっこう普遍的な不安かも知れないです。

写真は、みなとみらいのランドマークプラザとクイーンズスクエアの間にある、青空映えのする巨大オブジェで、
調べたら正式名称は『モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー』というんだそうです。SFっぽいなと思って。
ジェットコースターみたいと思ってたけど、なるほど、ヨーヨーかあ。