鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

病院システム番外編その3

2017年09月15日 00時00分01秒 | 紹介

 付属看護学校の研修生が、ベテランの看護士の下で研修を受けていた。まさにOJT(オンザジョブトレーニング)である。ノリが良く効いた制服はどの研修生もよく似合う。服装で研修生とわかることは良いことと思われる。看護士になると一見ラフと思える制服を着用している。4~5種類あるようで、昔ながらの白色の服装もあるが、Tシャツにズボンという制服は行動的である。見慣れないうちは違和感があったが、多種類の作業を、てきぱきとこなしている姿を拝見すると、行動的な制服を必要とすることがわかる。見かけではなく、仕事の内容によって制服が変わることは意味のあることと思われる。

 

 今回の感想は、OJTの一シーンである。入院中の患者は車いすに座り、点滴を行っていた。指導する看護士は、車いすの操作と、点滴棒を持ちながら移動中である。1名の研修生が付き添っていた。つまり、片手で車いすのハンドルを操作し、点滴棒をもう一方の手でつかんで移動している。車いすについては通常両手でハンドルを持って移動する。片手で操作することは安全上めったにないが、今回は点滴棒を一緒に移動させることが加わるため、慣れないと難しい操作となる。

 

 待合の椅子に座っていた小生の前で、看護士から研修生へバトンタッチが行われた。緊張してそれを行っていた研修生を、傍で見ていると大変すがすがしい。それは、ベテラン看護士にとってはたやすいことであっても、研修生にとってはおそらく初めての経験であったようである。仕事に対して全身全霊を傾けている姿だったからである。看護学校を併設している病院は教育訓練の現場でもある。教室での知識の詰込みだけでは仕事にならないことは山ほどある。技術・技能は教室だけでは研修生の習得に限界もある。実際にやってみてできなければ、研修の意味をなさない。技能は何度か繰り返して行うことによって、身に付くものである。つまり、研修の望ましい形である現場の実物教育が行われていた。

 

 自分も専門は異なるが、長年、職業訓練の場に身を投じていたため、このシーンを見て感動を覚えたわけである。現場での人材育成はどのような職種でもついて回るが、指導者不足や、教育の場をないがしろにする経営者が多い昨今、極めて大切な業務であることは間違いない。

 

 ついでに、車いすの操作は、だれしも習得すべき技能である。看護士だけというわけではない。階段の上り下りなどは大変難しいし、スロープの下り方も、車いすをバックさせながら降りることなど、知っておかなければならないことも多い。万民に対し、研修の機会を持つべきと思われる。若い方でも車いすを使う場面は必ずあるので、公的機関等において、その実施を検討されたい。


病院システム番外編その2

2017年09月14日 00時00分01秒 | 紹介

 年齢を重ねることで身体も老化する。体内細胞は、再生を繰り返しているが、新たな細胞が得る情報に間違いや転写ミスが起こることによって起こる異常というべき細胞が蓄積し、次第に量が増え、腫瘍や癌を誘発することは知られている。癌化には加齢ばかりではなく、遺伝的体質、生活習慣やストレスなど多くの要因が係わっているといわれているが、症状がある以上、原因を究明し、患部を取り除き、正常化に戻す等の役割を、病院システムが担っているといえるであろう。

 

 高齢者・障害者の支援では障害の程度により、自助、共助、公助といわれ、最近耳にする言葉である。高齢者・障害者は誰でもが同じ障害や健康状態でないため、一律に同じことを行うのではなく、障害等の程度によって、差があってしかるべきで、本人に合った対応を行う必要があるとの考え方である。当たり前といえばそれまでだが、行政はそこのきめ細やかな対応ができていなかったから問題視されたのである。病院においても自助だけでは限界があり、そこに医学的な知見で関与している。

 

 自分の健康状態は、自分が一番わかるとも自負してきたが、そうでもないようである。健康管理も専門家に任し、適切なアドバイスをもらうことが必要になってきた。医師へかかるには症状が出て、病状悪化する前に、早めの診断が必要になっているといえる。医学の進歩は一段と加速していて、血液検査一つであっても、多くの測定値や分析結果を検出できるようになっている。これによって、体全体の症状を診断できるようになっているのである。

 

 現職の時には組織後持つ健康保険組合の定期的な成人病検診や脳ドック等があったが、退職後は、市区町村が行う健康診断のお世話になっている。これはぜひとも受診した方が良い。年に1回の受診を習慣づける。そういう自分もしばらくぶりの受診であり、しばらく放置していたことを今になって悔やんでいる。幸い今回の検診で大腸ポリープの切除が終わった。

 

 セカンドオピニオンを含め、できるだけ多くの診断機器や、専門医のそろった病院にかかる方が良い。子供のころから通っている地域の個人病院も捨てがたいところはあるが、そこが窓口なり、地域の総合病院を持つ医療体制が整いつつあるが、やはり信頼できる医療機関にかかることも重要である。そのためには、信頼たりえるアドバイザーやコンサルタントの意見が聞けるような窓口も必要で、公的機関がそのような情報発信を持っているところも多い。区役所等の市民相談窓口や、インターネットでの検索によってもよい。


病院システム番外編

2017年09月13日 00時00分01秒 | 紹介

 一般的に病院は静か場所にあり、待合室も静かであると思っていた。病院がにぎやかであるのは悪いことかどうかわからなくなってきた。高齢者が多い診療科では特に顕著である。子供連れが多い小児科や外科は仕方ないとしても、ほとんどの診療科がうるさいのである。その理由は、順番待ちの患者番号の連呼と、実名の呼びかけである。サインボードがありながらこの状態をどのように考えればよいのであろうか。

 

 建物の防音・遮音効果が低い場合や、放送設備の不良が考えられるが、サインボードが思ったより情報伝達が低いのかもしれない。サインボードには、医師の担当ごとに部屋割りかあり、患者個人のID番号が表示される。番号が表示されれば診察室に向かえばよいわけであるが、情報量は少ないし、間違えることも少ないはずが、診療日や、午前午後の時間帯ごとに異なるIDでは、桁数が多くなれば、失念しやすいのも事実である。

 

 その原因は、高齢者が多く、難聴気味の方や目が不自由でサインボードを注視できない方が多ければ、サインボードは機能しない。つまり、診療順番が停滞してしまう。そこで看護士の連呼が始まる。この呼びかけは、騒音に近い。他の騒音発生の原因に、携帯電話やスマホの音も大きい設定が目立ち、携帯電話をかける場所も指定されているが、そこでの会話であっても、耳の不自由な方の大声は館内に響く。

 

 病院内の電話のやり取りは自粛すべきで、ルールが守られていないように感じる。便利な機能を持つ携帯電話やスマホでは、メールのやり取りぐらいだけに限定すべきと思われる。一時、ホテル等の不特定多数が集まる場所では、電話ボックスがあった。これが今ではほとんど目にすることはないが、騒音防止のため、復活も考えなくてはならない。

 

 サインボードに戻るが、同じ医師の名前で、別々の部屋の割り当てがあるサインボードがあった。多分同じ医師が持ちまわることかと思っていた。さもなければロボット医師かもしれないと女房と冗談話をした。先日TVで、ロボット導師が放映されたからである。この導師は、経を読むし、バチをもって木魚をも敲く優れものである。まさに、若干ありがたみはないが、僧侶の役をこなすロボットであった。順番待ちをしていたところ、看護士から名前を呼ばれ、検尿と採血をするように言われた。一瞬騒音の原因がわかったような気がした。それが済み、サインボードにID番号が表示されたので、診察室に入った。医師から言われたことは、自己紹介で、自分は担当医師ではないとのことで、代理の医師だったのである。