見習士官に任官して三ヶ月経つと将校勤務となった。山型の階級章を付けても、准尉よりは下位であった。中隊本部の長は曹長だったため、あまり気を遣うこともなかったが、他中隊の准尉には、演習の往復に出会ったときは、部隊敬礼をしなければならなかった。
街中でも上官に会えば、部隊敬礼をする。区別がつかないのは、兵科の将校と主計・法務・軍医将校である。自分は近眼で階級章まで区別がつかなかったため、目の良い班長をいつも先頭においていた。お陰で欠礼することがなかった。
六月中旬、少尉任官を間近にしたある日、初年兵教育が最後の追い込みに入ったので、教育訓練のため演習場に出向いた。各個戦闘の訓練を実施しているとき、ある兵の銃口を見ると何か白いものが見えた。よく見ると砂除けのため、塵紙を丸めて銃口に詰めていたのだ。日頃から禁止していたので、「こら!暴発したらどうなるか判っているだろう!」とその兵を初めて殴ってしまった。自分は初年兵のとき、教官・班長。上等兵からよく殴られ、その口惜しさが身に沁みていたから、教官になったら、絶対に兵を殴るまいと決めていた。にもかかわらず、そのとき、禁を破って殴ってしまい、後から殴るのではなかったと反省した。
その日の訓練を終わり、帰営の途についた。街中では一度、香林坊付近で、将官旗をつけた乗用車に会っただけで、無事営門に入った。第一大隊から第二大隊への坂を登り始めた頃、既に時計は五時を回っていた。坂は入浴の往復の兵隊達でゴッタ返していた。あと僅かで中隊に着く直前、「コラッ!欠礼するのか!」と怒鳴り声が飛んできた。よく見ると坂の上の門柱の陰に隠れて、十中隊のF准尉が立っていた。陰険な奴だと、思ったがもう遅い。「そこの見習。もう一度坂を上がって来い。」という。沢山の兵隊達の前で恥をかかされたが、准尉といえども上官には違いない。部隊を坂の下まで引き返し、再び坂を登る。
途中から軍刀を抜いて「歩調取れ、頭っ右!」とF准尉に部隊敬礼をした。准尉は薄笑いを浮かべながら、「今後気をつけろ!」といった。後僅かで地位が逆転するのを知りながら、敢えて自分に恥をかかせたのだ。こんな屈辱は初めてであった。
十中隊では、同期の三人の見習士官がこのF准尉にいつも煮え湯を飲まされていたらしい。7月1日見習士官から少尉に任官した日に、F准尉が三人の新品少尉に欠礼したらしく、三人で思う存分に殴り、日頃の鬱憤を晴らしたということであった。
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