初詣に近くの神社へ行ったときに見た光景で、盛装して破魔矢を持った若い女性集団に出会った。破魔矢と新年は何故か良くマッチしている。破魔矢はハマ(的)を射る矢のことで、邪気や妖気を射抜くとする意味がある。自分が購入するのは天照皇大神宮の御札くらいである。神社の隅に山と積まれた昨年の破魔矢や注連縄、御札の廃棄場所があった。
一年間の無病息災や多くの願いが掛けられたこれらの御札等が何処かで神事と共に焼却されるのであろう。我が家ではなかなか捨てることが出来なかった御札が相当数そのままになっていて、新たには購入しても古い御札の処分には困っていた。
当地域では、小学生が15日(小正月)になると各家を回って、松飾りや注連縄などを集めに来る。近くの多摩川河川敷で燃やすそうである。どんと焼きといって、焼却することで、炎と共に元旦に招き入れた歳神様を送る行事である。15日を過ぎると神様が居ない普段の生活が始まるのであろうか。天台宗などの寺で護摩を焚く儀式も共通するところがあるようだ。書き初めで書いた練習用習字用紙も一緒に焼いて、書道の上達を願うことや、燃えて残った灰を自宅に持ち帰り、庭に撒くと御利益があるようで、地域によって、様々な風習が残っている。
密教には護摩焚き、護摩供養があり、護摩壇で僧侶が護摩木を燃やす一種の修行である。
護摩木を焚き、その炎で、天に供物等を届けることや、炎の中に神仏の姿を見て、己の煩悩や迷いを解くことなど、その意義は深いものがある。神仏混淆で神道にも同様な儀式としてどんと焼きになったのかも知れない。ゾロアスター教やバラモン教なども火と密接に関係する。
この行事は、全国で行われており、竹の棒に餅を刺して、どんと焼きの火で炙り、それを食することで、一年の無病息災を願うと聞いたことがある。燃やすことで、枯れ草に飛び火し、近隣の住宅への延焼やダイオキシンの発生で、どんと焼き自体を見直すことも検討されているようであるが、正月の行事としての意義を十分に伝えることが必要で、焼却場所を選び、延焼対策についても万全の体制で臨めば、ダイオキシンの発生は目をつぶることとしても良いのではと思うが、御札や門松、注連飾りが、一般ゴミとしてゴミとなり、焼却場で焼却されるのでは、心に引っかかるものも残る。今後の在り方の検討を見守っていきたい。
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