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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

生い立ちの章その3

2021年06月12日 00時00分05秒 | 日記

 田崎の家は閑静なところだったけれど不便なので、裏町というところに越した。そこは淡窓先生が初めて塾を開かれて桂林苑と名付けられ、「休道他郷多苦辛」の詩で知られている。前を小川が流れ、石橋があり、お地蔵様を祭ってある見晴らしの良いところで、家は狭かったが、庭は広く、花菖蒲が咲いていた。父はいつも和服だった。ここは寄席がなくて寂しいと言っていた。今ならテレビがあるのに。ある年の冬から、父が病気になった。腎臓炎ということだった。及ぶ限り手を尽くして看病したが、ついに、大正三年四月十五日に亡くなった。その前から母が帰ってきて一緒に看病した。母は白木屋も辞めて帰ってきたので、このまま一緒に暮らした。父は七十二歳だったが、皆からも惜しまれ、町葬として大超寺で葬儀が行われ、長生園に葬られた。私が二十二歳の時で七日々に墓参りを怠らなかったが、ある日道で躓いて転んだ。その道の先の方で、パラチフスが流行していたので、黴菌が入ったと見え、パラチフスになってしまった。原因の一つは、ずうっと精進を続けていたから、身体が弱っていたこともあるであろう。母の心を込めた看病の甲斐もあって、その年の冬には起きられるようになったので、日田の家を引き上げて別府に行って養生することにした。別府には昔東京に来ていた人もおり、宿も温泉旅館だが、自炊もできるので、都合よく、海岸で、空気もよいので、すっかり丈夫になった。

 

 日田から友人が乳母ときて、もう一人、年寄りが付き添ってきたので、にぎやかになった。私は友人を連れて海岸へ行ったり、おんぶして帰ったりした。そのうち三人は日田に帰ったが、また、母と二人になった。ある時、主人が画家の甲斐虎山さんを伴って来たので、私は琵琶を聞かせたところ、日本画を描いて詩を作り、小幅を届けて下さった。

 その年の暮れ、別府を引き上げて東京に向かった。途中、神戸の菊地によった。まだ、伯父様も叔母様も丈夫な時で、たいそう喜んでもてなして頂いた。伯父様はお茶をたててくださった。叔母様はお花を活けてくださった。私にもさすようにおっしゃったけれど、私はお投げ入れを習っていないので、無茶苦茶にさした。

 

 次郎さんも千代さんも学生のころ一緒に散歩をしたことがある。叔母様にお花の先生宅へ連れて行ってもらった。それから東京に帰って来て、青山一丁目に家を借りて住むことになった。二階家なので、新貝の新さんや田代為本さんが下宿して学校に通った。そのうち家主さんの親戚の人の仲人で、吉川と見合いをし、結婚することになった。吉川は近衛一連隊の中尉だった。お仲人も一連隊の中尉で、家に下宿していたのだった。その前、為本さんは、脚気で帰京することになり、新さんは青山の表通りのミルクホールに引っ越した。結婚してから吉川が家の二階にいるようになった。当日、母は私を下町の髪結いさんに連れて行き、高島田に結ってもらった。帰ってからお化粧するのだけれど、私は粉を何回塗っても剝げ落ちてしまうので、暗くなってから、向こうの家へ着いたら番町の伯母さんがずいぶん遅かったじゃないかとお小言をいただいてしまった。横田の伯母さまも来てくださったけど、ほんの内輪ばかりで式を挙げた。

 

 しばらく向こうの家にいてから、青山に帰り、私たちは二階に住むことになった。まだお仲人さんの家にいるときに、その奥さんが神楽坂の髪結いさんに連れていき、高島田を結わせて、前より良い顔よと言われ、それで写真を写した。日曜日に初めて連れて行ってもらったところが、高輪の泉岳寺だったのには、驚いた。その後、観菊会だの新宿町園の観桜会だのに連れて行って頂いたけれど…。大家さんが引っ越したので、そのあとの家に入った。その前、祖母の家で澄子(吉川家長女)が生まれてので、ずいぶん母の世話になった。大正八年一月十八日に孔敏(吉川家長男)が生まれた。丈夫であまり手がかからなかったので、あまり記憶にない。孔敏が三つの時、喜信(次男)が生まれた。早期破水をしたので、赤十字病院日入院した。熱が出たりしたので、しばらく入院してから退院した。将校の妻のせいか、退院の時、看護婦さんが皆前に並んで、見送ってくれた。まだ丈夫な時オシメを洗うため、母に預けて帰ってくると、べそをかいた顔が今でも思い出すとかわいそうでならない。三四か月たって、具合が悪いので、原博士のもとに連れて行き、診てもらったが、なかなか良くならないので、往診してもらうようになった。一人おとなしく寝ていたが、私が部屋に入ると、ニッコリした。暑くなってから、こちらは暑いので、祖母の家に寝かせていたが、ちょうどお盆ごろに喜信は亡くなった。小さいときよくお守をしてくれた朝鮮から来た女中がそれとは知らずに来てお参りしていった。

(次回へ続きます))



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