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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

大分雑感 馬上金山(2回シリーズその2)

2013年12月05日 00時00分01秒 | 緑陰随想


 この説明では速見郡石垣村となっているが現在では地名変更されている。第十鉱区まであったのであれば相当広い場所で、特定箇所に限定する意味はないが、佐渡金山のように博物館にするのであれば、観光スポットとして集客効果が期待できるが、そもそも鉱物資源といえども採算が合わなければ地中に埋まったままである。過去の出来事が風化するのを待つ理由は表に出せない様々な事情があるのかも知れない。佐渡の旅では採鉱に従事した流人の多くが無縁仏となり片隅に墓標があるのみで、金山にまつわる悲しい歴史を知ることになる。場所も判らず、今は原野となってしまった昔の繁栄は山師が歩いた末路を象徴しているかのようである。

 この他に馬上金山を語る山香町の文献がある。それには次のことが記載されている。江戸時代の初期に砂金が取れたようで、成清が地権を得るまでに何人かの地権者がいた。設備や地下水対策、坑道の保安等で、工業化の道は険しかったようで、地権者の一人であった成清の先見は100本もの縦坑を持ち、見事に金鉱脈を掘り当てた。これに係わった労働者等でこの地域には7,000人もの町が誕生したという。

 現在では、一攫千金を求めることで、時代の流れに押し流された成清博愛、信愛父子の生き様は、歴史の1ページから消え、的山荘という料亭が現在も引き継がれてきたこと、ほろ酔い加減で食する肴、城下カレイ料理と銘酒的山の酔っぱらいには、馬上金山の話も酔いが覚めれば泡沫(うたかた)の夢で、消える運命であったと感じられた。

 追加の話として、タンスに眠る宝石や貴金属の購入の宣伝が新聞の折り込みに入ってくるようになった。投機としての相場はあるが比較的安定していて、自宅の金庫に金塊が入っている方もいる。業者と取引したことはないが、金杯の処分で業者に電話したところ、「我が社ではお取引していません」とニベもなく断られた。殆どの金杯は24GPと打刻されている。

 24GPとは純金、硬度24G(ゴールド)で混ぜ物がない意味であるがPはプレート、メッキのことである。材質は銅合金等にミクロン単位の極薄い金メッキがされていて、金の重量は極僅かである。従って、取引されないということであろう。漆工にも金箔が用いられていて、10センチ角の1枚は1万分の1ミリである。それこそ風が吹けば飛んでしまう。金の延展性は金属の中で一番高い。純金の指輪や時計であれば、24Kと打刻されている。その金製品であれば取引に応じるということであろう。(このシリーズ最終回です)


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