スピノザを朝日は特集している。
近代哲学の祖といえばデカルトがあげられる。「我思うゆえに我あり」という心身2元論はその後の自我追及のベースになり、近代科学の思想的バックボーンになったわけだが、スピノザはデカルトのキリスト教誠心の分析とは対峙する。だから「エチカ」は彼の没後まで刊行されることはなかった。当然のことだが、神の絶対性を越えたいとする哲学の構築は、ニーチェ、マルクスに大きな影響を与えうる。最近ではA・ネグリがスピノザを読むことを誰よりも説いた。
そのA・ネグリの『スピノザとわたしたち』(水声社、2625円)はマルチチュードが愛へと至ることを力説する。思想的ベースにスピノザを再検討せよと説く。ところがアンチヒューマニズムをベースに見出したのは上野修『スピノザの世界』だ。朝日で解説した鈴木繁(編集委員)はフロイトに先んじた人だと解説している。
デカルトと対比した位置づけは国分功一郎『スピノザの方法』(みすず書房、5670円)だ。「我思いつうあり」と、肉体と精神を分けないスピノザの哲学を解説する。「誰も自分で考え、その道を見つけるしかない」という。ここに国分哲学の個性がある。『暇と退屈の倫理学』(朝日出版、1800円)として昨年10月刊行されたが、国分がやさしく読者に語りかけて自分発見の哲学を模索する。
スピノザはどうして生計を立てたか。誰かからお金を援助してもらったのか。まったく違う。レンズ磨きでつつましく生活した。それでいて「究極のポジティブ思考の人」(鈴木繁編集委員)に達した人なのだ。貧しく、つつましくあってもポジィテブな考えを充満させてどうして生涯を送れたのか。ここに関心をもてばスピノザはわれわれに近づいてくる。