「愛本峡」ってあまり使われない呼称ですが、黒部川の河口から約13km、
下の航空画像でもわかるように、いかにもここに橋を架けなさいと言わんばかりに
奇跡的に?川幅が狭くなったところがあります。

ここは黒部川扇状地の扇頂部に当たり、江戸時代初期、黒部川に初めて橋が架けられた所です。
その後何度も架けかえられ、現在は↓こんな橋になっています。

かつて架けられていた、木造の「はね橋」は、岩国の錦帯橋、甲斐の猿橋とともに日本三大奇橋に挙げられていました。
興味のある方は「愛本橋」で検索してみてください。


小学校の時の写生大会は、この橋の周辺というのが定番でした。

橋から上流をみると、灌漑用水取り入れ用の堰堤があります。
昭和44年に洪水で橋が流失するまで、橋は今の堰堤の少し下流の
一番狭くなったところに架かっていて、堰堤はその橋の下流にありました。

昭和44年の洪水の時は、堰堤でせき止められる状態になり、あふれた濁流は
上の画像の中央部に見える白い建物の床上2m以上まで来たとか・・・・・・

↑右岸上流からの景観。

右岸の道路から上流方向には、立山連峰の剣から毛勝山、駒が岳、僧が岳と北に連なる山並みが望めます。
私は愛本峡の左岸が立山連峰の北端だと言いふらしているのですが・・・・・・


おまけの画像↓は、県道沿いで目撃した柿泥棒です。

下の航空画像でもわかるように、いかにもここに橋を架けなさいと言わんばかりに
奇跡的に?川幅が狭くなったところがあります。

ここは黒部川扇状地の扇頂部に当たり、江戸時代初期、黒部川に初めて橋が架けられた所です。
その後何度も架けかえられ、現在は↓こんな橋になっています。

かつて架けられていた、木造の「はね橋」は、岩国の錦帯橋、甲斐の猿橋とともに日本三大奇橋に挙げられていました。
興味のある方は「愛本橋」で検索してみてください。


小学校の時の写生大会は、この橋の周辺というのが定番でした。

橋から上流をみると、灌漑用水取り入れ用の堰堤があります。
昭和44年に洪水で橋が流失するまで、橋は今の堰堤の少し下流の
一番狭くなったところに架かっていて、堰堤はその橋の下流にありました。

昭和44年の洪水の時は、堰堤でせき止められる状態になり、あふれた濁流は
上の画像の中央部に見える白い建物の床上2m以上まで来たとか・・・・・・

↑右岸上流からの景観。

右岸の道路から上流方向には、立山連峰の剣から毛勝山、駒が岳、僧が岳と北に連なる山並みが望めます。
私は愛本峡の左岸が立山連峰の北端だと言いふらしているのですが・・・・・・


おまけの画像↓は、県道沿いで目撃した柿泥棒です。

