あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

永井荷風著・中島国彦&多田蔵人校注「断腸亭日乗一」を読んで

2024-10-06 09:23:10 | Weblog

永井荷風著・中島国彦&多田蔵人校注「断腸亭日乗一」を読んで

 

照る日曇る日 第2112回

 

岩波文庫が出すものだから仕方なく再読する羽目に陥るが、久し振りに読んでみるとずぶずぶと深入りしてしまうので、ほかの本が後回しになる。困ったことだ。

 

冒頭の本巻では大正6年の38歳から14年47歳までを収録しており、「2月16日。夜春雨潚々。」の短文だけで痺れてしまうが、読めば読むほど超個性的で自儘な作家の私生活をのぞき見する快楽に満ち溢れている。

 

孤独と偸安をこよなく愛した荷風だが、嫌いなものはたくさんあって、弟の威三郎などの親類、市川団十郎、文藝春秋の人品卑しい菊池寛、師鴎外の悪口をさんざん書き捲ったくせに寄稿を求めてくる新潮社、自作を歌舞伎にする時期をたがえたと称して松竹から多額の賠償金をぶんどった山本有三などは、その最たるものだろう。

 

「読むなら古典」と称して新聞雑誌記者、編集者の来訪を避けるために自宅を逃げ出すことも多かった荷風だったが、突然の美女の訪問はけっして固辞せず、芸者、女優、令嬢から紹介状もない見ず知らずの素人娘まで、赤の他人を鷹揚に招き入れ、やれ微恙だ、腹痛だ、痔だ、頭痛だ、持病だといいながら、気に入るとあっと言う間に深々と抱いてしまう。

 

元新橋の芸者で妻帯した八重次は有名だが、同じく芸者の好きもの八重福との情交は「日を追ってますます濃なり。多年孤独の身辺、俄かに春の来れる心地す」と大正8年正月四日に自ら記している。

 

大正10年には田村百合子と「落花流水の趣」となるが、その後も色々あって、大正14年12月21日の初更、過日銀座で会った桜川町の女が訪れ、「洋装の女子其衣を脱して椅子の上に掛け、絹の靴足袋をぬぎすてむとするの状、宛然ドガ画中の景に似たり」とあるのは超羨ましい。

 

そんな独身の夜を楽しみながら荷風散人は毎週木曜日に親しい友人と会い、こまめに東都の殆ど全芝居を鑑賞し、清元、三味線を稽古し、自作の演劇を歌舞伎で上演、演出まで担当し、「腕くらべ」「おかめ笹」「雨瀟瀟」「下谷叢話」などの名作を次々にものし、亡命ロシア人のオペラでヴェルデイを聴き、堀口大学がブラジルから送ってくれるジャムやミュッセの詩集を読み、毎週のようにロランの「ジャンクリストフ」やプルーストの「失われた時を求めて」!を原語で読んでいるのだから、我々読者は心身両面の精力的な活動にただただ驚くほかはない。

 

母音前のTHEをジといわずザと訛る世間と俺との埋められない時差 蝶人


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西暦2024年神無月蝶人映... | トップ | Les Petits Riens  40年... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事