照る日曇る日第855回
全世界で八面六臂の大活躍を展開している著者による新作は、ぬあんと四方田家の女三代にハイライトを当てた一族の波乱万丈の物語であった。
著者の祖父、四方田保氏は、貧困の家から身を起こし、人権弁護士として活躍。祖父の前妻、柳子刀自は戦前の関西婦人界に令名を馳せつつ幼児教育の理想を貫き、後妻の美恵刀自は屋敷の管理に心血を注ぎ、著者の母親にして「夢見るお転婆娘!」であった昌子刀自は85歳の長寿をエンジョイしておられるらしい。
が、謎に包まれた彼らの生涯とその生の喜びと悲しみを地を這うようにして追跡・復元しようとする著者の試みは、近代日本のブルジュワジーの振興と没落に鋭くメスを入れる金田一耕助探偵のような鮮やかな成功を収めたといえるだろう。
一族の本拠地となったのは現在も関西の高級住宅地である箕面で、森や池や広大な庭のある邸宅で自然と愛情に包まれて育った著者は、どうやら大変な「ええしのぼんぼん」だったようだ。
著者はその「エピローグ」において過去半世紀にわたる「拘泥の感情」について触れている。かつて「女中」として働いていた女性がその子供を連れて四方田家を訪れたとき、著者は立ったまま手にした漫画雑誌を少年に抛り投げたというのである。
しかし昔の言葉でいう「女中」や「おとこし」の奉仕を受けて、蝶よ花よと育てられた富裕階級の少年が、彼らに対して故なき優越意識を懐き、我知らず「階級的身振り」をやってしまうのは、(当時大人がそのことに意識的になって子供に教えない限りは)ある意味では仕方がないことだと私は思う。
ちょうど同じころ丹波の田舎の下駄屋の我が家の冬の朝食では、お釜一杯の芋粥をまず祖父が茶碗に取り、次いで父、それから私たち3人の子供、祖母と母の順で母が手際よく分配していた。
そして皆がずるずると粥を啜っている間、最後の最後に残ったわずかなもはや芋無き粘着物を、我が家の「女中のおりょうちゃん」が、焦げた釜底から削ぎ取るのであるが、それと知りつつ私は、そのような「階級的順位」について長年にわたって微塵も疑いをはさむことはなかったのである。
モザールのアヴェヴェルムコルプスまでCMに使うえげつないこの国の企業 蝶人