降っても照っても第41回
島田雅彦はルックスも良いけれど、頭もとても良い作家なのでいろいろ考えた作品を書く。多彩な現代社会を切り取る多彩なアプローチってやつだが、それがうまくいった例はあまりない。
本作ではいま最新流行のスピリチュアル世界に侵入し、オカルト探偵ナルヒトという雅彦ちゃんを思わせる魅力的なキャラを創造することに成功した。
これに対するヒロインはわが鎌倉の女子高生、亜里沙だ。この美人で清楚で無辜の主人公が父親の因果が子に報いるというかたちで国際的な陰謀に巻きこまれ、拉致、監禁、暴行、強姦、陵辱の地獄に突き落とされてゆくあたりのサドマゾポルノチックな描写は、さすがに巧いものである。
オカルト探偵ナルヒトの生い立ちや祖母との魂の交流、そして平成きっての霊能者に育っていくあたりの描写もなかなか面白い。
しかしながらこの宿命の二人を結びつける雅彦似の反体制大学教授サナダが登場し、余命いくばくもない死病に冒されたサナダが若い殺人者亜里沙の敵に復讐し、彼女の未来を救おうと決死的テロルに乗り出すあたりから、この愛と政治の大乱脈物語はまるでおもちゃの人形劇のように漫画的となり、ついには自公連立政権の愚かな紅い絆のようにびりびりに引き裂かれていき、肝心要の物語の土台自体がかのミネアポリスの虚橋のようにがたがたに崩れ落ちていく。
はじめは処女の如く、終わりは狸と狐が沈没するタイタニックの甲板上で狂ったように走り回る、という哀れな結末とはなりにけり。
なお美輪明宏という気色の悪い人が、訳の分からない賛辞を書いているが、著者にはかえって迷惑ではないだろうか。やめてけれ。
されど、好漢島田雅彦選手の大いなる実験的精神には、絶大な拍手を贈ろうではないか。