株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

卑弥呼の謎を解く、太鼓台の五色の配色

2006-09-13 02:40:53 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 太鼓台の七枚積んだ布団、七段、五色、三赤の配色を説明しておこう。七段は上、中、下(一段、四段、七段)に赤が配置される。これは、伊予三島市の全ての太鼓台が共通する。 残る、二段、三段と、五段、六段に、残りの四色が配置される。しかも、この、二段、三段の色と、五段、六段の色の組み合わせは全ての太鼓台で一致する。つまり、昨日までに書いたように、1、アオ(緑)と黄色、2、白と黒が組み合わせが一致している。 . . . 本文を読む

卑弥呼の謎を解く、太鼓台の五色の黄色が意味するもの

2006-09-12 12:10:10 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 歴史の本で五色を探すと、朝廷が仏教と共に持ち込んだ五色が示される。ここに書く五色は、卑弥呼の時代の五色である。もちろん、後の五色とは違っている。間違いの無いように、して欲しい。後の五色については後で書くことにする。 昨日は太鼓台(神輿太鼓)の布団に使われる五色の緑(アオ)が国民を意味すると説明した。今日は黄色を説明する。 その前に、昨日の常緑樹の松も国民を意味したと書いた。もう少し付け加えておこ . . . 本文を読む

卑弥呼の謎を解く、宇摩の痕跡太鼓台、写真が使えない

2006-09-11 16:34:51 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 昨日(9月10日)は一日、太鼓だの写真をスキャナして、パソコンに取り込んだまでは良かった。だが残念なことに、ブログに移す方法が判らず、一日を終えた。 まだ、切り取り、と貼り付けが出来ない。やっと、太鼓台の写真が少し出てきたのだが、やり方が判らず。 写真無しだが、説明しながら、書いてみよう。 太鼓台は、櫓の上に布団を載せる山車で、西日本一帯に広く分布する。平均的には城下町に少なく、外れほど残ってい . . . 本文を読む

伊予の古文書に天照皇が残る

2006-09-08 10:33:34 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 伊予の古文書に天照大神の知られていない記録がある。『伊予古蹟志』という。松山藩士の野田石陽が文化の頃に書いた本で、父の調査を引き次いでまとめて、この本を出した。 この本の系図を集めた所に、イザナギの子として、「日神、即、天照皇。或云、伊予姫」とある。最後の伊予姫が重要だ。 これによると、「天照大神は伊予姫(比売)」とも呼ばれた。古代は、尊名を呼ばず、地名で代用するから、これは、天照大神が、伊予に . . . 本文を読む

卑弥呼の即位は多数決

2006-09-07 16:24:32 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 倭人伝に「卑弥呼を共立」とある。 卑弥呼の共立前は内乱状態だ。今の世界の紛争を見ても,、互いに、明らかな不信感と、憎悪を募らせている。このような紛争を乗り越えて、古代日本では女王を共立する社会であった。これは変わっている。 日本人は「世界の非常識と言われる独自の常識」を持つ。これが、弥生時代の卑弥呼の時にもあったことが、国内の紛争中に女王を共立したことでも判る。 卑弥呼は中国の「三国志」の時代で . . . 本文を読む

卑弥呼の鏡が増え続ける

2006-09-01 17:10:36 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
   8・31日の産経新聞朝刊(大阪版)の一面に、{朱に染まる「卑弥呼の鏡」}が載った。次のような、記事だ。 大阪市高槻市の前方後円墳墓「闘鶏(つげ)山古墳」(4世紀前半、全長約86メートル)で、同市教育委員会が未盗掘の石室内部を、遠隔操作できる高性能のデされたジタルカメラで撮影し、画像を30日、公開した。 「卑弥呼の鏡」と言われる三角縁神獣鏡など副葬品や、魔よけや長寿の薬と朱がまかれている様子が . . . 本文を読む