株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

日本人が知るべき事(24) 日本のルールは卑弥呼時代に<5>古代史で日本を知る

2007-08-09 03:05:57 | 古代史・古事記講座(宇摩説)

  日本人は、社会が悪いと、トップの責任にします。左翼報道は、この日本人の気質を利用します。

 現在のように、分業時代では、社会保険庁の不始末は、本当は歴代社保長官の責任です。総理には何の責任もありません。それを、報道は安倍総理の責任にした記事を書きました。

 おかしな論理だと、私は幾つかブログを書き、人々も、直ぐ判ると思っていたのに、大衆は、この話に乗ってしまいました。何故、この不合理を受け入れるのでしょう。これも、宇摩説で解くと、良く判ります。

 私は日本人の思考は、卑弥呼時代に基礎にあると解きました。卑弥呼時代は、責任者と言えるのは、卑弥呼だけでした。確かに、この時代も分業があったのです。

 高御産巣日神(露の事、物の増産・改良)と、神産巣日神(神事・友情・教育)に分かれて掌握したのです。が、これは、執事のようなもので、全ての責任は卑弥呼(天照大神)だったのです。村の主も同じです。

 この卑弥呼の責任は、予言・予測・祈祷まで含まれるから、卑弥呼の能力とは無縁と思われるものまで、責任を負わされることになりました。これが、卑弥呼の国の混乱だったと、今は判ります。

 このように、トップが責任を持つと言う思考は、卑弥呼時代に起こっています。これが、平安時代には、朝廷が高天原を消したから、地上の責任者を名乗った天皇の責任になりました。

  平安時代は、戦乱、火災、落雷、台風もあったでしょう。混乱の時代でした。歴史では優雅な文学を教えますが、実際は、第一次戦国時代であったと言えるでしょう。

 そして、台風の責任も天皇が持つ事になりました。つまり、大衆の思考に合わせたのです。だから、天皇がとった行為は、昔、高天原で、卑弥呼が行った事なのです。

 地域の神々に豊作を祈願したり、台風を封じたり、社会に災いを為すことを避ける手段を、採るのです。古代からの習慣で、国民がトップに責任を問うたから、消した高天原の責任も引き継ぐ事になったのです。

 平安時代の混乱は、高天原派と、朝廷派の争いだったと思っています。先に書いた、九州の藤原広嗣の乱から、宇和を根城にした瀬戸内の純友の乱、関東の将門の乱、大きなものでも3つもある。

 年表を見れば判りますが、乱はもっと多く載っています。そして、大きな乱の前後して、寺院の消失内裏の焼失(特に多い)が激増します。これは、何を意味するか?宇摩説では明解です。

 延喜式などに代表される、朝廷の法により支配に対抗した高天原派の落人や、各地の高天原派の仕返しと見れば良いでしょう。また、虫害、台風などの不作となった地域の人の乱もあったでしょう。

 仏教の強制で、高天原を信じる人々が、反乱したのが大きな理由だと思います。そこで、朝廷は神道もナイガシロニしない。と言う、姿勢が必要になってきます。

 そこで、朝廷は、御神輿を作り、全国に奨励します。しかし、広がりはしたが、不作地もあり、神輿の力が疑われました。だから、今も、神輿を壊したり、池に捨てたり、ぶつけ合ったりしています

 この後、朝廷は、小さな御神輿に加えて、山車の普及を始めます。これは、これまであった山車の代用品です。これ以前にあった山車とは、言うまでも無く、太鼓台(見越し太鼓)です。

 細かく言えば、太古台の形は正方形で、穀倉の形をして、四面が東西南北の日本を意味していました。だから、この基本は、御神輿に取り入れたのですが、高天原を示した布団の部分は屋根に変えました。

 これで多くの地域は納得したのですが、小さいし、担ぎ手が大幅に余り不満が出たのです。また、納得しない地域もありました。そこで、大きな鉾・山笠を登場させて、これをナダメました。

 太鼓台は、卑弥呼が中国皇帝から贈られた品物で作っています。朝廷は高天原を天上ににしたのに、天照大神の作る山車が在っては、話になりません。最初に廃棄命令が出たことでしょう。

 朝廷が、御神輿や、山車を作った事から言えば、卑弥呼(天照大神)の伝承を残す太鼓台(神輿太鼓)の中止の不平が、乱の大きな原因の一つだった事が判ります。

 とにかく、平安時代は、学校で習う優雅な時代と言うよりも、戦々恐々とした戦国時代だったのです。この時代の一部は、先に「四国の山車、宇和の牛鬼」に書きました。

 本家と分家の相続争いが全国で広がっていたといえるのです。武力を持った朝廷が断然有利でした。だから、本家は人々の平安を祈って身を引きました。しかし、人々は納得しなかった。

 これが、平安時代の混乱です。天皇が驚くほど怖がった天災は実は本家を恐れたのです。そこで、天皇は皇女を差し出すことになりました。そう、本家は伊勢神宮となったのです。

 この後、鎌倉時代に入るまで、全国の戦乱は続きます。この戦乱で、一応の決着が付き、伝承は家屋と共に破壊され、卑弥呼の話は消えてゆきました。ただ、スゴイ女神、天照大神として伝承されます

======================= 
 人気ブログランキング【ブログの殿堂】  相場師ブログランキング  ありがとうございます

皆さんの、「ポチ」が、大きな励みです。これからもよろしく。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。