株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

日本人が知るべき事(36) 日本人のルールと卑弥呼時代<17>卑弥呼の墓

2007-08-22 00:21:01 | 古代史・古事記講座(宇摩説)
 マルコおいちゃんサンから、具体的なコメントを頂きました。応答が長くなって、コメント欄に載せられないので、コピーしてブログにします。



Commented by
 マルコおいちゃん さん 

三島先生、ご著書2についてこの場をお借りして簡単に感想述べさしてください。

1)三島神社の境内が曲がっていることについて。
これはやはり特殊な意向があるとしか考えられません。境内の「曲がった」神社とは常識では考え難く、やはり宇摩の地が特別なものであることを示しているようです。

2)神社(複数)の鳥居が指し示す、卑弥呼と思われる山上の女性像について。
その場所は考古学調査は行われているのでしょうか?わたしには卑弥呼の墓であるとしか思えないのですが。どこか別に卑弥呼墓とされる石室があるそうですが、そちらは「敵」を欺くためのものではないでしょうか?

冊子はまだ読了しておりません。ご著書2についても再考して、あらためて感想を述べさしていただきます。 


 マルコおいちゃんサンへ

1、 三島神社の境内は、南北に長い長方形です。

三島神社は南向きなので、参道は真っ直ぐでも、南の道に出ます。しかし、参道を、20度ほど、曲げています。

 三島神社の正面に、巨大女性像があり、曲げた参道の先には、水波峰(加賀山。水波女の神)があります。この峰の麓の大国主を祭祀した「天日隅宮」の方向を向いています。

 なお,余談ながら、この本殿の西に、「伊勢神宮・宇佐神宮・出雲大社」の3社を祭る小さな宮があります。

 また、三島神社は北四国一帯の秋祭りの最後になっています。愛媛の松山と香川の高松は、9月末に祭りがあって、次第に中心に向かって、一月掛けて中央に移動して、三島神社の祭りになります。

 今思うと、本殿は敷地に平行ではなく、正面は女神像に向けて、やや、東向きになっている様に思います。参道が西に斜めになっているから、判りにくいようです。

2 著書2の表紙にある、女神像と、その上の「広尾」については、考古学調査はありません。というより、宇摩郡全体に、本格的な学術調査はありません。特に貴重な物は、法皇山脈を越えた南の四国山脈の北面にあると思われます。

 法皇山脈の北面には、多くの図形らしい物が見られる(著書2で紹介)ので、これらも、調査が必要でしょう。ただ、場所が場所で、偶然の発掘は難しいでしょう。

 発掘は、市などで依頼した学者が、市の依頼した場所を、個別に調査するのと、図らずも出てきた遺跡を県などが、調査する程度です。したがって、まだ、宇摩郡は何が出るか判りません。

 三島公園となっている古墳は、頂上に箱式石棺が、二基あって、共に剣があったようです。子供の頃に、「穴から覗くと、剣があったので、持ち出して自宅近所の祠の石垣に隠した友人が居る」と、先輩から聞きました。もう一つには発掘の時に残っていたようです。

 この公園の麓(周囲)に、幾つも箱式石棺が出土しています。著書2に書いたと思いますが、頂上は、二基なので、卑弥呼なのか、神産巣日神なのか、迷っています。

 山中の、大元神社の元地(河原砂で盛り上げている)、及び、仮設地(先のブログに書いた大元神社の地)の風景は、思いもしなかった、古事記の記録との一致で、驚きました。

 今ある大元神社の跡地の石室は、天照大神の再生儀式(イワトカクレ)に使われた石室だと思います。また、イザナギ・イザナミの儀式、大国主の芝居にも使われたと思われます

 当地の祭神に。日本書紀の編纂に当たった舎人親王の祭祀が見られます。同様に、柿本人麻呂などもあります。公式記録には宇摩の訪問は一切ありませんが、当然、宇摩に調査に来た物と思っています。

 卑弥呼の墓と思える箇所は、現在二箇所ですが、中峰の元の大元神社の地が一番、可能性が高いと、思っています。ただ、この元は、もっと上にあった可能性もあるので、確定できません。

 住友鉱山の発祥地は、中峰より、もっと上(四国山脈の中程)なので、古くは、もっと上にあった可能性も有ります。

 しかし、規模から言えば、倭人伝の卑弥呼の墓の大きさに一番近いのは、言われるとおり、横地山墓地公園(三島公園)です。ただ、盗難の可能性もあって、発掘品が少ないのが欠点です。

 なお、卑弥呼(天照大神)も、一人とは限らないので、墓地は多いのではないでしょうか?卑弥呼も天照大神も、固有名詞ではありません。

 古事記に固有名詞が出ている所もありますが、その事件の時の天照大神の固有名詞と、心得ています。後は、一人に思わすために書かなかったのでしょう。

 著書2は、著書1や、著書3も含めて、熟慮してみてください。著書2の時以後に、判った事は、ブログに書いています。

 以上、著書や本、資料を見直さずに、記憶のままに書きました。多少のずれがあるかもしれないのですが、基本的には間違ってないと確信します。

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