はじめに
前回は、ナニワを解いていて、予定外だった、「摂津」の語源は、「狭い津」の地域と解けてしまった。これで、摂津とナニワの語源が判明だ。
さて、谷川氏は、ナニワト、ナリの「ナ」を、朝鮮語の「太陽」として、論じていた。これが、間違いと云う事は書いたが、宇摩説の「ナ」については、書いてないので、後で説明する事にする。
まず、「ナ」の説明の後、ナニワと、ナリ地名について、宇摩説の解明を書く事にする。
その前に、此花区の太鼓台の関係者から、田蓑の太鼓台の話を聞いたので,先の田蓑の追加として、先に紹介する。
田蓑(佃島)と太鼓台
「地名と歴史(14)」で、佃島の元の名が「田蓑」であった事。この田蓑地名の起源を推定した。この後日、田蓑の太鼓台を此花区の地域で購入した事を聞かされた。
地名と歴史(14)
http://kabu003himiko.iza.ne.jp/blog/entry/1037610/
太鼓台と云えば、宇摩説では卑弥呼(天照大神)が皇帝の贈り物を使って、国固めをするために作られた山車(神輿太鼓)だとしている。これらは、始の方で概要を書いた。
太鼓台は宇摩説の古事記・倭人伝解釈に一致する重要な傍証の一つである。宇摩の太鼓台は倭人伝にある卑弥呼に贈られた昇降の龍、海上を飛ぶ龍など、中国の図柄である。
この田蓑に太鼓台が残り、明治時代まで継承されていたと云う事実は、宇摩説の解いた地名、田蓑を補足するし、この地に太鼓台が継承されて高天原との関係が深かったと判る。
何故か、明治の頃に、政府によって強制退去させられて、住民が分散するので、大事にしていた太鼓台を売却したと云う。この時代にも、高天原隠しは続いている。
この太鼓台は、五段布団の上に「トンボ」があって、近畿地方で、一番、宇摩地方の太鼓台に近いので気になっていた。今回の話を聞いて、なるほどと思ったので、書くことにした。
此花区伝法の太鼓台
「此花区 太鼓台」で検索すれば、幾つか出てくる。これらの中の一台が、田蓑から購入した太鼓台だ。今回、コピーしたブログは、下記の中から、拝借した。
http://www21.tok2.com/home/danjiri/h19-denpo.html
一枚、借用して、載せる。
やや、全体が小型だが、先のブログにある彫刻はさすが大阪と云える見事なものだ。これらは、宇摩郡の太鼓台などと同じ場所にあり、彫られた龍や獅子等も、共通する。
宇摩郡の太鼓台
この太鼓は、旧伊予三島市の中田井(なかだい)の「獅子」と呼ばれる太鼓台。この太鼓だけ、龍の図柄が無く、全て、獅子の図柄になっている。
太鼓台は瀬戸内海の中心部にある燧灘の南側、北四国の中心地、宇摩郡と東の香川県三豊郡、西の新居郡が日本で一番大きな太鼓台を使う地域である。
大人の背丈と太鼓台の布団、カツギ棒の高さを見れば、大よその大きさの違いが判ると思う。
太鼓台の説明が長くなったので、宇摩説の地名の続き、「ナ」、「ナニワ」、「ナリ」の地名解説は、次回にする。
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