株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

徐福の訪日と始皇帝報告1(宇摩説の古代と徐福2)

2008-10-29 00:04:28 | 宇摩説早判り(概要)

   はじめに

 前回は徐福が実在したこと、中国の名門だったこと、日本各地に徐福の伝承があることなどを紹介した。 

 今回は、余り知られてない徐福の日本往来について、始皇帝への報告から解いて見たいと思う。 

 徐福の記録は、『史記』の、1、「秦始皇帝本紀」と、2、「ワイナン(准<サンズイ>南衡山列伝」がある。読んで見ると、2の方が余り知られてないが面白い。 

  そこで、『徐福』、羅其湘・飯野孝宥共著『徐福』(東京書籍)から抜書きする。この記録は徐福が最初の訪問から帰ってきて、始皇帝に報告した内容になっている史記には無いものだ。 

 幾つか符号を付けて分けて書く事にする。 

  ワイナンコウザンレツデンの記録

 A、徐福を使わせて、東海に入り神仙の薬を求めさせた。徐福は帰還すると、偽りの報告をしていった

 この部分で判ることは、徐福は一度日本に行った事だ。そして帰還して、始皇帝に嘘の報告をしたとある。 

 この嘘は「全てが嘘なのか」、という疑問が残る。読んで行くと、どうも、本当のことと織り交ぜて報告したように思う。事実と織り交ぜた方が始皇帝を信用させよいであろう。

 B、私しめは、海中の大神にお目通りいたしました。 

 私は、この海中の大神が気になる。 

 宇摩説では、全国各地への人や物の往来は、専門があって、海の神、ワダツミなどが担当した。スサノオイザナミに最初の任命されたのは、『海原をシラセ』であった。 

 日本には、今の交通機関にあたる海の組織があり、これを掌握する神が居た。だから、海中の海の神に合ったのは当然であろう。 

 徐福は中国からの大船に乗ってきて、九州の北から南に流れる潮流に乗って南下すれば、各地の人々に目撃されて、直ぐに、海の大神の所に報告があったことは明確だろう。 

 なお、上の徐福の九州西海岸を南下した行程は、潮流による推定であり、先の本にも紹介されている。私も、この推定は正しいと思う。 

 さて、日本の海の大神は、この船に急行して、何しに来たのか問うたであろう。この事から、徐福が日本で最初に合った大物といえば「海の大神」であった報告は事実だろう。 

 大神は、「お前は西の皇帝の使者であるか」と尋ねられたので、「そのとおりです」とお答えしたところ、さらに、「お前は何を求めているか」と聞かれた。

  これは幾つかの質問に答えた後に聞かれた内容だ。ここまでに、始皇帝の使者だということ、不老不死の薬を求めてきたこと、などが話されたと見られるから、これも事実であろう。
 
 C、「延命長寿の薬を頂きたいと存じます」と答えました。大神は「お前の仕える秦王の礼物は薄いから、お前に見せてはやるが、採らせるわけにはいかない」といわれました。
 

 ここに、不老長寿と言わず、「延命長寿の薬」と、言っている事から、徐福は日本にも、不老長寿の薬は無いことを知っていたことを思わせる。また、この部分も事実であろう。 

 次の辺りから、自分の都合に合わせた嘘が入りだしていると思う。特に、「秦王の礼物は薄い」などは、徐福が訪日後に生活する物資の要求を、さりげなくするための方便であろう。 

 また、私には、この後合った日本の王から、日本の社会状況や、帰化する条件や、なども話し合ったものと見ている。そして、これらを始皇帝に要求し物と推測する。 

 徐福は多大の経費を使いながら、薬を持たずに帰ってきた。これは大変な危険を覚悟していたことが偲ばれる。つまり、薬を持って帰らないと、普通は死罪だった。 

 さて、続きは次回にする。

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