刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

日向三代神話は出雲三代がモデルだった!(^_-)-☆

2024-01-31 11:10:17 | 古代史
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2023-12-22 20:11:32に記事にしましたが、大国主の系譜の図に日向三代神話との対応などの説明を追加しましたので、よろしければご参照ください(;^ω^)

刮目天の古代史とほとんど同じようなスタンスで古代史解明に取り組んでおられる研究グループの発表と討論の動画を見つけました。賛同するところが多いので、興味を持って拝見しましたが、例によってコメントを差し上げました。よろしければお付き合いください(#^.^#)


古事記・日本書紀の両方に、日向三代の記述=「天孫族の神話」が記載されている。
よく比べられる「出雲神話」は、古事記に有り、日本書紀には無い。
日向三代の話は、「このはなさくやひめ」との結婚/海幸彦・山幸彦の争い/鵜葺草葺不合命の誕生。
この三代の話には、次のような疑問が有る。
   1)実際に有ったことなのか? 
   2)年代・代数を引き延すために追加された話か?
   3)史実を隠して神話化したものか
参加者で6項目について議論を行った。


とても参考となるご議論、有難うございます。解明の方法論について史料批判に考古学の成果も入れるべきとのご意見に全く賛同します。その他、よく整理された御議論とご示唆に富むこの動画の内容は古代史解明にとってとても重要だと思います。

しかし、日本の古代史が謎である理由は文献と事実、つまり考古学や民俗学などの成果が合致していないのが一番の理由だと思います。

にもかかわらず多くの研究者は、天皇の歴史書だという思い込みによって文献を都合の好いように解釈して乗り切ろうとしていますが、謎のままです。

ですから古代史解明に用いる文献は、編纂した人物が誰で、何の目的だったのかを徹底的に考察する必要があると思います。事実と合わない謎の部分は虚偽という認識に立ち、何を隠したかったのかを考えて、真相と考えられる仮説を立てて、事実を用いて仮説検証を繰り返して仮説構築していくアブダクションによって真相が浮かび上がってきます。これにより、今回話題の日向三代の神話も、高天原神話や国譲り神話などもほとんど解明できます。提案する科学的方法論の詳細は拙ブログ「【刮目天の古代史】古代史を推理する」などをご参照ください。

ちなみに、天孫降臨神話ですが、紀元前四世紀ころ半島南部を経由して福岡市吉武高木遺跡に移り住んだ呉王族天御中主(新唐書・宋史 王年代紀の初代奴国王)から三代の王墓が発見されており、二代目天村雲尊が孫の四代目天爾聞尊(あめのににぎのみこと)に三種の神器を与えて、糸島平野や福岡平野を平定させて奴国隆盛の基礎を作った故事に基づくと推理しています(詳細は「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)。



しかし、日向三代の神話は、二世紀初頭、奴国宮廷楽師師升らの反乱で殺された奴国第十八代王素戔嗚尊の王子五十猛命の子孫の八束水臣津野命(海神豊玉彦、ニニギノミコト)、天之冬衣命(魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗、豊岡市久久比神社祭神久々遅彦、山幸彦)とその子大国主久々遅彦(ウガヤフキアエズ、神武天皇はダミーで本当は初代応神天皇の父)の出雲三代の話がすり替えられたものなのです。



ですから、記紀に書かれた内容は史実を歪曲し、改ざんしたものですので、記紀の記述に基づいて仮説を作っても事実に合致しないことが分かります(詳細は「国引き神話は史実だった?(その1)(その5)西谷墳墓群の被葬者は?」「国譲り神話の史実は?」「大谷さんは日高見国の王子だったの?」参照)。長々とお邪魔しました。

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