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日本人はもともと「和の精神」だった!(その1)

2023-02-09 09:34:26 | 古代史
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建国記念の日に向けて書きだしましたが、長くなったので分割して公開します。
記紀神話では日本の建国は初代神武天皇とされていますが、残念ながらほとんどの日本人は藤原不比等に騙されています。でも、日本の建国は天皇によって大和(ヤマト)の地で建国されたのは間違いありません。日付がはっきりすれば建国記念日も変わると思いますが、今のところこの日を建国記念日として、日本の建国を祝うことは日本民族の務めだと思います。ルーツを理解しないと自分が何者か、その正体が分かりませんから、倫理的な行動規範も生まれません。「和の精神」の日本という国に生まれ育ったことを、日本を建国してくれた祖先に感謝するのは良いことです。ちょっと長いですが、ルーツを探す旅にお付き合いください。あやふやな部分もありますので、納得できない箇所は、遠慮なく教えてください。(#^.^#)


日本書紀と古事記…2種類の歴史書が“同時に”生まれた理由
2022年12月07日 更新 吉木誉絵(外交政策センター研究員)

日本は本当に「和の国」か(PHP研究所刊)』は「日本人の本来のアイデンティティは、日本の神話である『古事記』が示す「和の国」の姿ではないか」をテーマに日本人の本質を問い直す論考であり、解剖学者の養老孟司氏からも「日本がどのような国か、本気で考えた一冊」と評された。本稿では同書より、「日本書紀」が存在する一方でなぜ「古事記」が必要だったのかを考察した一節を紹介する。#途中省略して要点だけ紹介します。
「正史」は『日本書紀』、では『古事記』とは?
中国の大帝国に対し、日本も自立した国であることを表明したのだった。『日本書紀』は、東アジアの中の独立国としての正当性を示そうとしているという意味で、対外意識のもと編纂されたものである。
『古事記』は変体漢文、『日本書紀』は純漢文
『古事記』が初めて引用されたのは『万葉集』で「古い歌謡や物語の原点」として参考にされているものの、「日本紀講筵(にほんぎこうえん)」という平安時代前期に宮中行事として何度か行われた『日本書紀』の講読会において、『日本書紀』だけではわからない古い言葉の訓読みを『古事記』から参照していたことからも、あくまで『日本書紀』の補完的存在だったことがわかっている(岡部隆志氏の指摘による)。
『日本書紀』は、当時の「近代化」の産物だった
日本人の情感を伝えるための『古事記』
そもそも『日本書紀』の編纂が先立って構想され、『日本書紀』のような古代中国思想の影響を強く受けた編纂方法では、日本人の「感情」――これは日本人のこころとも言い換えられるものである――が除外されてしまうので、むしろ日本人の情感を大切にするという編纂の構想が『古事記』(そして『万葉集』)の基盤にあったというのだ。
「日本文化は両極端の間を揺れ動く」
私は、この相反する方針を取る『古事記』と『日本書紀』が同時に存在し、それを日本人が自然に受け入れているということ自体が、日本人の「和の精神」のひとつの様態だと思う。相異なる存在の同時性は、日本人が好むものである。日本人は、それが相反するものだと気づかないほど、それらを無意識的に共存させる。<中略>これは元を辿れば、万物全てに魂が宿り、人間と動植物、物質と生命などを結びつける神道の世界像にその深淵があるという考察は、日本人の感性の源について大変示唆的である。

とても興味深い論考です。日本人のアイデンティティのひとつの「和の精神」を記紀から読み解こうとしています。聖徳太子の十七条憲法の一条に「和を以て貴しと為し」とあります。しかし、これは儒教や仏教の影響を受けていることが知られています。なぜこれを最初に持ってこなければならないのかを考えると、その時代には和があまり大切にされていなかった実情があるからだと気づきます。現に、記紀で書かれた神代から七世紀の聖徳太子やその後の持統天皇の時代までの全編ほとんどが争いの連続だったようですから。だから聖徳太子が提唱したのは、「和の精神」を取り戻してほしいという願望からなのでしょう(^_-)-☆

しかし、記紀がどういう素性のものなのかについては、すでにここで何度も述べています(「古代史の盲点はここだ(その1)(その2)」「日本書紀とは何だったのか?」参照)。日本書紀で神代を描いた目的は、日本建国の時代に活躍した豪族の歴史を隠し、神話の形で藤原氏の遠い祖先が神代から活躍していたことにするためなのです。それによって宮中の神祇祭祀を独占し、藤原氏の政治の正統性を人々に押し付けるためなのです。現代人にまで押し付けている不比等という人物は確かにすごい!

例えば、国譲り神話で大国主から力ずくで豊葦原の中つ国を奪ったのは、高天原の指令を受けたタケミカズチとフツヌシという二柱の神ですが、実はちゃっかりと藤原氏の氏神として春日大社で祀っています。しかし史実は、狗奴国と呼ばれた旧奴国のニギハヤヒ大王の一族の尾張王建稲種命と物部氏が、狗奴国を裏切った大国主と女王台与の倭国を倒して、列島内の倭国の勢力を鎮撫して日本を統一したのです。この二人の話を神話として史実を隠したのです。記紀の人代では崇神天皇の四道将軍と景行天皇の九州遠征やヤマトタケルの東国遠征など、そして仲哀天皇の熊襲征伐などという約400年間の物語を創作していますが、史実は三世紀後半の約50年くらいの出来事だったということが考古学の成果から判明しています(「日本建国のための戦いだ!」参照)。

日本書紀よりも前に完成したとされる古事記も、9世紀の学者多人長(おおのひとなが)が日本書紀で隠された史実を、日本書紀に沿いながら遠回しに正す目的で創作したものなのです。だから、記紀の内容を鵜呑みにすると、不比等の狙った間違った方向に行ってしまいます。例えば、多くの日本人は騙されていますが、女性天皇は歴史上存在していないのです。皇祖神と霊的に一体化した天皇の最も大切な役割は日本と日本国民のために行う宮中祭祀です。未婚の皇女は神の妻として、神が憑依して神託を天皇に伝える役目の巫女なのです。女性差別ではなくそれぞれに与えられた役割として理解すべきものなのです。

日本書紀は天武天皇の妃だった鵜野讃良(うののさらら、天智天皇の皇女)が、天皇の崩御後に優秀な皇子たちを退けて、鵜野の孫であった文武天皇を即位させたことの正統性のために、高天原神話で最高神のアマテラス女神を創作し、孫のニニギノミコトの天孫降臨という話にしたのです。鵜野自身も持統天皇に即位したように書いていますが、実は天武天皇の長男高市皇子が即位したことを隠すために神武天皇や応神天皇の崩御後の争いを創作して、史実を誤魔化していることも判明しました(「【発見!】仁徳天皇の怖い秘密?!」参照)。

天孫降臨神話も第二代奴国王天村雲尊が孫の天爾聞尊(あめのににぎのみこと、第四代王)に三種の神器を与えて吉武高木遺跡の王宮から須玖岡本遺跡に王宮を作らせて、比恵・那珂遺跡に交易センターを作って奴国隆盛の基礎を築かせた史実の伝承があったと推理しています。これは10世紀に宋に留学した東大寺の僧が太宗に献上した日本の王年代紀によって分かりました。神話は、初代王天御中主から第18代王スサノヲまでの史実に基づき、藤原不比等が創作したものだったのです(「王年代紀は記紀神話を正した!」参照)。




(その2)に続きます。内容をチェックして、夜中の12時過ぎに公開予定です。
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