刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

日本はこのままでいいのか?( `ー´)ノ

2023-01-21 16:37:57 | 古代史
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ネットの番組で勉強させていただいている保守の著名な言論人の方々の討論です。歴史研究家田中英道先生が古代史研究で得られた、一般に認知されてはいない独自の日本人観を披露して、激論になっています。田中先生は日本国史学会創設の発起人になっており、「唯物論的な経済史観、階級闘争史観とは異なった日本史観による、あらたな日本の国史を形成し、議論する場としての学会をつくらなければならない、と強く感じ、」会を創設したと述べておられます。

しかし、歴史はイデオロギーに基づく歴史観で見ても、その歴史観に適合しない不都合な事実を無視することになるので歴史の真相を探求する科学とは呼べないものだと思います。そうであってもそういう思想そのものを否定するわけではなく、万人が理解できる科学的な学問として歴史学を捉えるべきだと思います。

田中先生のユダヤ人が日本文化に強い影響を与えたとのご意見は面白いですが、史実に基づかないものは幻想ですので、ついコメントしました。さらにもっと重要な論点を提起して、皆さんに気づいていただこうと思いコメントしました。ちょっと長いかもしれませんが、おつきあいください(#^.^#)


しかし、戦後この没落を考えれば、どこかで近代日本人の反省をしっかりし、国を建て直さねばなりません。

個人的にはその覚悟や反省が田中先生にはありません。

もちろんリスペクトあってですが、、。

臭いものに蓋をしてきた戦後からの脱却が一番。

その最後は勿論独立自尊です。


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ユダヤ人と見られる埴輪が出土した芝山古墳群の造営は6世紀後半から7世紀初頭となっています。日本建国は前方後円墳が発祥した纏向遺跡で3世紀なのですから、ユダヤ人に建国された話にはなりません。秦氏は3世紀ごろから活動していると思われますが、それは武内宿禰を祖とする波多氏だと突き止めています(注1)。能(猿)楽の祖と言われる秦河勝は6・7世紀の人ですが、その子孫とされる観阿弥・世阿弥が日本書紀で隠された建国の秘密を暴露する内容を演じているのです(詳細は拙ブログ「【刮目天の古代史】謎を解明する <秦氏と能楽の謎>」参照)。



ほとんどの日本人は日本書紀が、天武天皇が編纂を命じたので、天皇の歴史書だと習っていますが、崩御して34年も後に完成しているのです。その当時の権力者は藤原不比等でした。皇位継承に関する不比等と鵜野讃良の謀略の証拠が次々と発見されています。日本書紀の神代の内容は不比等の創作です。またその後の神武天皇から持統天皇までの歴史も酷く改ざんされているので、古代史は謎だらけなのです。ようやく考古学と民俗学などの成果を用いてヤマト王権の成立過程を解明しました。卑弥呼の正体・邪馬台国の場所も分かりました。よろしければ拙ブログ「【刮目天の古代史】古代史を推理する」をご参照ください。

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折角、保守の皆さんがここにお集まりですから、今の日本が変わらなくてはならない、真の独立を勝ち取らねばならない一番重要と考える理由について述べたいと思います。現在の日本国民の8割くらいが女性天皇・女系天皇まで容認しているこの現実は真の日本の危機だと思います。

実は下で日本書紀の正体について触れましたが、女性天皇は日本の歴史で存在していたと皆思わされているだけで、藤原不比等のフェイクだったということを知ってほしいのです。日本書紀の神話がウソだったということを朝廷が告白したと考えられます。それは、984年、宋に派遣した東大寺の奝然(ちょうねん)が献上した王年代紀によって、「日本は古の倭の奴国」とシナに認知されて、ようやく倭国から日本という国号に変えてもらったという史実があったのです(詳細は「「日本国」へ、八百年も掛かったのか?」参照)。奝然の俗姓も秦氏でした。

不比等が権力を握るために行った、天武天皇の皇后とされる鵜野讃良(中大兄の女)を持統天皇に即位したことにして、その孫を文武天皇に即位させ、不比等の娘宮子を妃とし、外戚として実権を握ったことの正当性を主張するために創られたのが高天原の最高神アマテラス女神とニニギノミコトの天孫降臨神話なのです。さらに皇后が即位する正当性を言うために、二人の女帝(推古天皇と皇極・斉明天皇)の前例も創作していることが判明しています。これらの説明は込み入っているので、拙ブログ「【発見!】仁徳天皇の怖い秘密」、「謎の世紀と倭の五王(その1)~(その3)」、「神話が隠した不自然な史実」などをご参照ください。



実は、天武崩御後に長男高市皇子が即位していたと突き止めました。そして(高市皇子)崩御したら文武天皇が15歳という異例の若さですぐに即位していますので、鵜野讃良は即位していない、持統天皇は存在していないということなのです。高市皇子も43歳で突然亡くなっていますので、不比等に暗殺されたと考えられます。多くの古代史研究者も国民も騙されていますが、不比等の父鎌足らのヤマトの大王家(蘇我氏)に対するテロ・クーデターを隠すのも目的ですが、上の史実を隠すために不比等は日本書紀で天皇の歴史書を改ざんしたと考えています(「日本書紀とは何だったのか?」参照)。よろしければ拙ブログに疑問点などをお寄せください。よろしくお願いいたします。(#^.^#)

ですからその後の5人の女性天皇とされている人物も、天皇の代わりに政務を行う称制であったとしても、最も大切な宮中祭祀を主宰する天皇に即位まではしていないと考えられます。京都の天皇家の菩提寺の泉涌寺では明治時代になるまで、天智天皇から江戸時代までの女性天皇を誰一人祀っていないことが知られている関裕二「持統天皇 血塗られた皇祖神」(ワニ文庫)2016、p.243)。江戸時代の二人の女性天皇の仏事に掲げる肖像画も明治になって作られたと分かっています。つまり、天皇家では女性天皇は認知されていなかったのです。

ということで、皇位継承の現状を考えると、悠仁殿下だけに重荷を負わせるわけにはいきませんので、皇位継承可能な方々に皇族復帰していただく必要があります。天皇陛下やご皇族の最も重要なお仕事はGHQが押し付けた(偽)日本国憲法に規定されたもの以外の日本国と国民のための宮中祭祀だと思います。長々とお邪魔しました(#^.^#)

(注1)田中英道「武内宿禰はユダヤ系であった」日本国史学会 連続講義 令和4年12月10日 日本経済大学(2022/12/10)を見つけて腰を抜かしました。田中先生は記紀の記述から連想して物語を組み立てたのだと思います。でも、武内宿禰は不比等が創作した五代の天皇に仕えた300歳の神話的な人物で、刮目天は狗奴国の官狗古智卑狗(久々遅彦)の最後の大国主をモデルにした架空の人物と突き止めています。応神天皇の父で大和朝廷がその祟りを最も恐れた日本建国の主役とされる人物だと突き止めました。






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