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古代史ランキング
5.大国主と台与の謎
⑤豊葦原瑞穂の国はここだった
前回述べましたが、不慮の死を遂げた卑弥呼の鎮魂のために大国主と台与が卑弥呼の居城である宇佐市安心院町下毛の宮ノ原(みやのはる)遺跡を訪れ、さらに葦が群生する湿地帯だった安心院盆地を挟んで南側の丘に妻垣神社一柱騰宮を造り祀ったと推理しています。大国主らは別府方面から宮ノ原遺跡に入る途中に、佐田川を下ったと推理しています(上の地図の右下が別府方面)。川岸に葦が群生して、その根元に湖沼鉄(褐鉄鉱、リモナイト)が採れることを発見したのだと考えています。
湖沼鉄は阿蘇山麓のような火山地帯の河川でも採れますので、日本の古代でも褐鉄鉱を製錬して鉄ができる可能性が指摘されていますが、実験によって確かめた山内裕子氏のレポート「古代製鉄原料としての褐鉄鉱の可能性~ パイプ状ベンガラに関する一考察 ~」 を見つけました。これによると、化学組成は鉄の赤錆と同様のパイプ状ベンガラ(酸化第二鉄Fe2O3)約500グラムを原料にして、七輪を二個の一方を上にかぶせて木炭(重量不明)と一緒に入れて送風し、1,200℃以下の温度で鉄塊(粒)約20グラムが取り出せたとあります(炉底塊・鉄滓・海綿鉄など合計約270グラム)。この鉄塊は炭素量0.02%以下の極軟鉄ですので、冷間鍛造が可能で、刀子と鉄鏃を作って示されています。
この実験から、原料に対して鉄の収量は5%以下と分かったので、大量に鉄鏃などの武器を作っていた大分県大野川流域や阿蘇山麓の鍛冶集落での鉄素材は、やはり半島南部の板状鉄斧だったことが確認できました。勿論、工作しやすいので刀子、釣針、勾玉などを作る鉄製工具なども作ったと思われますが、主な用途は水銀朱と同様に棺の中に塗る赤色顔料だったのではないでしょうか。
大国主はこの土地がたいへん気に入ったようで、辺り一面の葦を刈り取って水田にして稲作を行ったようです。
佐田地区探訪マップ
(左クリックすると、大国主・台与ゆかりの神社・史跡がいくつも見られます)
すでに(その3)②で述べたように、大国主は米神山の山腹に見られる柱状節理からいくつも石棒を切り出して、すべて先代の茶臼塚古墳のある南西方向に向けて置いたことが以下の動画で分かりました。この地に米神(首長霊)を呼び寄せて、この豊葦原の瑞穂の国造りの成功を祈る目的と分かります。
また、切り出した多数の岩石などによって山麓に佐田京石と呼ばれる立派なストーン・サークルを造り、厳かに首長霊祭祀を行ったようです。「京石」という名称からこのスト-ン・サークルによって、この地を大国主の京都(みやこ)と定めたということでしょう(^_-)-☆
佐田京石(ヒーリングルームひふみ より)
この南側の低い丘に佐田神社があります。ここを大国主の王宮にしたと考えています。ここの御祭神が武内宿禰・素盞鳴尊・大山祇命となっていますから、実は武内宿禰も大山祇命もすべて大国主の別名であることが分かります(注)。大国主はスサノヲ大王の子孫ですので、これも米神(首長霊)信仰によって二人は霊的に一体なのです。前回も説明したとおり、祭神の正体を隠す意味もあると思いますが、大国主とスサノヲとが同一としても矛盾はないのです。ですから、これら三柱の祭神はすべて大国主であり、ここからも佐太(佐田)神社の本来の御祭神サルタヒコ大神が大国主の分身だと分かるのです(^_-)-☆。
あ、そうだ!これも忘れてはいけません!田んぼの中にポツンと立派なモノが米神山に向けて鎮座しています。ちょっと閲覧注意ですが、こしき石(いわ)と言います。男の中の男「大国主命」のシンボルのようです!(@_@)
ここが憧れの大国主命が最初に国造りした豊葦原の瑞穂の国だったということです!
納得していただいたら、是非ポチッとお願いします(/・ω・)/
(注)大国主は大和朝廷が最も畏れた神々の筆頭だったので、いくつもの別名や分身を作って正体を隠して、至る所で祀っていますよ!(@_@)!。
武内宿禰の正体は大国主狗古智卑狗だよ!( ^)o(^ )
大山祇も大山咋も正体は大国主でした(*^▽^*)
あまりにも沢山あるので、全てを把握しきれませんが、コツを掴めば大体すぐに分かると思います( ^)o(^ )
コツですか?簡単ですよ~オ(^_-)-☆
産土神と説明されている見慣れない、知らない神様で、男神ならば、まず大国主を疑ってみてください。少し調べれば、シッポが見えてくるはずですから、分かったら是非コメントで教えてください(*^▽^*)
ここまでお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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⑤豊葦原瑞穂の国はここだった
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湖沼鉄は阿蘇山麓のような火山地帯の河川でも採れますので、日本の古代でも褐鉄鉱を製錬して鉄ができる可能性が指摘されていますが、実験によって確かめた山内裕子氏のレポート「古代製鉄原料としての褐鉄鉱の可能性~ パイプ状ベンガラに関する一考察 ~」 を見つけました。これによると、化学組成は鉄の赤錆と同様のパイプ状ベンガラ(酸化第二鉄Fe2O3)約500グラムを原料にして、七輪を二個の一方を上にかぶせて木炭(重量不明)と一緒に入れて送風し、1,200℃以下の温度で鉄塊(粒)約20グラムが取り出せたとあります(炉底塊・鉄滓・海綿鉄など合計約270グラム)。この鉄塊は炭素量0.02%以下の極軟鉄ですので、冷間鍛造が可能で、刀子と鉄鏃を作って示されています。
この実験から、原料に対して鉄の収量は5%以下と分かったので、大量に鉄鏃などの武器を作っていた大分県大野川流域や阿蘇山麓の鍛冶集落での鉄素材は、やはり半島南部の板状鉄斧だったことが確認できました。勿論、工作しやすいので刀子、釣針、勾玉などを作る鉄製工具なども作ったと思われますが、主な用途は水銀朱と同様に棺の中に塗る赤色顔料だったのではないでしょうか。
大国主はこの土地がたいへん気に入ったようで、辺り一面の葦を刈り取って水田にして稲作を行ったようです。
佐田地区探訪マップ
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また、切り出した多数の岩石などによって山麓に佐田京石と呼ばれる立派なストーン・サークルを造り、厳かに首長霊祭祀を行ったようです。「京石」という名称からこのスト-ン・サークルによって、この地を大国主の京都(みやこ)と定めたということでしょう(^_-)-☆
佐田京石(ヒーリングルームひふみ より)
この南側の低い丘に佐田神社があります。ここを大国主の王宮にしたと考えています。ここの御祭神が武内宿禰・素盞鳴尊・大山祇命となっていますから、実は武内宿禰も大山祇命もすべて大国主の別名であることが分かります(注)。大国主はスサノヲ大王の子孫ですので、これも米神(首長霊)信仰によって二人は霊的に一体なのです。前回も説明したとおり、祭神の正体を隠す意味もあると思いますが、大国主とスサノヲとが同一としても矛盾はないのです。ですから、これら三柱の祭神はすべて大国主であり、ここからも佐太(佐田)神社の本来の御祭神サルタヒコ大神が大国主の分身だと分かるのです(^_-)-☆。
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武内宿禰の正体は大国主狗古智卑狗だよ!( ^)o(^ )
大山祇も大山咋も正体は大国主でした(*^▽^*)
あまりにも沢山あるので、全てを把握しきれませんが、コツを掴めば大体すぐに分かると思います( ^)o(^ )
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