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日本書紀は藤原氏のための歴史書でした!(;一_一)

2021-11-21 10:38:18 | 古代史
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以下の三橋先生の動画に見られるように、明治時代以降の日本国民は、記紀の正体をほとんど分かっておられないので、現在では女性天皇、女性宮家、最終的に女系天皇まで容認する事態になっています。日本の危急存亡に近づいています。申し訳ないのですが、とても影響力のある三橋先生が間違った記紀の歴史認識を多くの視聴者に伝えるのは非常に危ないと思いましたので、再度記事にしました。日本を愛する日本人にとって見逃せない大事なことですので、お付き合いください。

[クイズ] 日本はいつから「日本」? 日本滅亡の危機を救った天皇の正体【11/24(水)までの限定公開】
1,424 回視聴2021/11/20 「新」経世済民新聞 三橋貴明 公式チャンネル チャンネル登録者数 39.4万人


現存する日本最古の正史「日本書紀」は壬申の乱を勝利した天武天皇が命じて編纂が始まりましたが、崩御の約三十年後の720年に、当時の権力者藤原不比等によって完成されました。ですから、不比等は藤原氏の権力を正当化するために、不都合な歴史を隠蔽し、改ざんしていることが分かってきました。つまり、「日本書紀」の正体は天皇家のものでなく、勝者藤原氏の歴史書なのです。

日本の中央集権化の動きは、すでに建国時代に活躍した祖先をもつ豪族が地方に割拠しており、対外的に中央集権化が必要とされたので、聖徳太子と蘇我氏が進めていたと「日本書紀」から分かります。その中で起った中大兄と鎌足らの乙巳の変(645年)の真相は、「日本書紀」で抹殺された蘇我系の天皇の政策(中央集権化と外交問題)に不満を持ったことから二人が首謀して天皇を弑逆したテロ事件でした。考古学の証拠から中央集権化を詔した大化の改新は虚構だということも判明し、長い議論の末にほぼ決着しています。

「日本書紀」よりも前に完成していたと序文に記された「古事記」は、九世紀の朝廷で「日本書紀」を講義していた学者多人長(おおのひとなが)が突然表に出したものです。序文は人長が書いたものでしょう。815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」の中で多氏の先祖の地位が低められたことが一因と考えられます。本文は「日本書紀」の内容に沿いつつ独自の話を出していますから、「日本書紀」が隠した史実を一部暴露するものです。

しかし、天武天皇は天智天皇の兄弟ではなく、中大兄・鎌足らに弑逆された蘇我系天皇の子孫であり、皇極(斉明)と舒明天皇も創作された天皇だったことが、万葉集研究家の渡辺康則氏の著作(「捏造された天皇・天智(上・下)」「聖徳太子は天皇だった」(すべて青空出版)で明らかにされています。不比等はテロリストだった中大兄(注1)と父鎌足の悪行を隠して正当化し、日本建国時代に活躍した祖先をもつ豪族の史実を改ざんし、藤原氏だけが権力を維持できるようにするために建国神話を創作しています。

藤原氏の氏神タケミカズチとフツヌシに大国主の治めていた豊葦原中つ国を奪う神話の中で活躍をさせて、鹿島神宮・春日大社などで祀っています。また、神武天皇の建国神話も創作して、藤原氏に都合の悪い日本建国の史実を改ざんし、誤魔化していることが考古学の成果から分かってきました(「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」)。

ヤマト王権は三世紀に纏向遺跡で始まったことは初期の前方後円墳の築造から考古学的に確認された事実です。そして三輪山の大物主大神(大国主の和魂)を祀る最初の祭祀王として、ヤマトの大王(崇神天皇)から大和に呼ばれた大国主の子オオタタネコの話を創作し、初代天皇(神武ではなく応神天皇)の本当の父と母を、神武天皇と応神天皇の東征神話を作ることにより二重に隠しています。日本の成り立ちは征服王朝ではないのです。

応神天皇の父とされた仲哀天皇(タラシナカツヒコ)は、「日本書紀」の記事から、その父日本武尊(ヤマトタケル)が薨去されて34年後に生まれた勘定になりますから杜撰な作り話と分かります。また、上記の考古学のデータから、仲哀天皇の祖父の景行天皇(オオタラシヒコオシロワケ)は、実は大国主に殺された尾張王(タラシナカツヒコ)の後継者のことだと分かってきました。ですから応神天皇直前までのすべての歴代天皇は架空の天皇となります。

応神天皇の実の父親は宇佐神宮の神宮寺弥勒寺の本尊の垂迹神である大国主命です。真の八幡大神でもあります。神宮で祀られている比売大神が宗像女神イチキシマヒメ卑弥呼で、宗像大社の伝承や住吉大社の伝承が暴露していました。またこの仇討ちの史実は民話サルカニ合戦として民間で伝承されています。

さらに、不比等はその権力を支えた天武天皇の皇后鵜野讃良(中大兄の女子)を女神天照大御神とする神話まで創作して、実在した皇祖神天照大神尊(注2)を吉備津彦として隠しています。神武天皇の前にすでに天孫降臨していた饒速日尊(ニギハヤヒ)のことで、楯築王墓に埋葬されたことを発見しています。楯築神社の御神体亀石に中国神話の天皇伏羲氏と同じ人面蛇体の大王が彫られていることから、七世紀にヤマトの大王を天皇と呼ぶ根拠を示す考古学的な物証です。

不比等は神武天皇の祖先の日向三代の神話では、天皇家をワニの近親婚で生まれた一族と貶めるデタラメな神話も作っています。雄略天皇や武烈天皇などの歴代天皇を貶める悪行をも記録しており、「日本書紀」が天皇家の歴史書でない証拠と言えます。

江戸時代の文化人たちは天照大神が男神であることを知っていましたし、庶民も伊勢の神が三輪の神と同体であることを知っていました(「アマテラス大神はヘビだった?」)。能楽は「日本書紀」が隠した歴史を伝えることが隠されたミッションだと分かりました(「【刮目天の古代史】謎を解明する」<秦氏と能楽の謎>)。

諸説を列記して内容が分かりにくい「日本書紀」に比べて「古事記」がひとつの物語になっているので、江戸時代の本居宣長が取り上げて研究しました。その影響を受けた平田篤胤が「記紀神話」に基づく復古神道を提唱しましたが、幕末の志士たちに大きな影響を与え、尊王攘夷運動から明治維新につながりました。

明治になって国家神道が創設され、小学校から国史として教育されたので、戦後はGHQによって焚書にされ、戦後のサヨク思想の歴史学会や教育界は「記紀神話」に基づく皇国史観を排除してきました。そのため戦後の愛国的な保守の人々は国史の復活を望んでいるようです。しかし、現在の歴史学は考古学などの発展によって間違ったマルクス史観から本来の実証主義に戻りつつあるようです。歴史は文献に基づき書かれるわけですから、記紀が見直されてきているようでもありますが、記紀が隠したウソからどのように史実を復元するかが今後の問題になります。

なお、日本誕生ですが、通説では持統天皇の時代702年に遣唐使粟田真人がシナの朝廷(丁度、則天武后が国号を唐から(大)周に変更していた)に申し出て認められたということになっていますが、その後945年に完成した「旧唐書」では倭国と日本とが別の国として並記されていました。国号が日本に統一されるのは1060年に完成した「新唐書」からでした。

その間に何があったのかを調べましたが、「新唐書」で「日本は古の倭の奴也」と書かれて、上記のとおり、奴国初代王が天御中主、二十三代王彦瀲尊(注3)まで筑紫日向宮を都とし、彦瀲尊の四男神武天皇が大和の橿原宮に遷したという内容の「王年代紀」が、984年に、東大寺の僧奝然(ちょうねん)の遣使で伝えられたことが分かりました。唐が滅び、五代十国から宋になった時代です。

「王年代紀」は「日本書紀」が高天原神話にした時代に北部九州を支配した奴国王が居て、日本の皇室の祖先だということをシナの朝廷に伝えたものなので、後漢光武帝が金印を与えた史実を日本が告白したから日本という国号が正式に認められたということなのです。この史実から出発して日本の建国まで、その過程を明らかにしました。それによれば日本という国号は既に四世紀にあったことも分かりました。詳細は「「日本国」へ、八百年も掛かったのか?(;´Д`)」をご覧ください。

【付録】中国文献(三国志~宋史)に関連する年表

(左クリックで拡大)

(注1)「日本書紀」に皇子とは書かれていないが、その名前から奴(ナーガ=龍蛇神)国の王位を受け継ぐ第十九代奴国王天照大神尊の直系の子孫。大兄は嫡子であることを意味します。皇后鵜野讃良が天武天皇の妃であったことから、中大兄が皇族であることが分かります。

(注2)「宋史 王年代紀」第十九代王です。兄の素戔嗚尊が奴国宮廷楽師の師升に殺され倭国を奪われましたので、出雲に逃亡し吉備を平定して奴国を再興し、ヤマト王権の基礎を築いた実在人物ニギハヤヒ大王です。父は伊弉諾尊、母伊弉冉尊です。大和朝廷は神々に神階を贈っていますが、皇族に与えられる特別な位階の品位が四柱にだけ贈られており、吉備津彦が入っていますので朝廷が、ニギハヤヒ大王が皇祖神であることを告白しているということです。第50代桓武天皇の父光仁天皇は中大兄の孫にあたり、今上天皇までニギハヤヒ大王の子孫です。

(注3)ひこなぎさのみこと、「新唐書」では三十二世と書かれていましたが、その間の王名は記載されておらず、「宋史」に二十三代の王名がすべて記載されていたので、三十二は誤記だとされています。


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