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刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

邪馬台国問題は解決しています(*^。^*)

2021-03-01 20:37:13 | 古代史
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【ゆっくり解説】邪馬台国のその後と大和朝廷 邪馬台国がどこにあったのか?の前に、卑弥呼の時代から後の時代に邪馬台国はどうなったのかを考える。
2020/09/09 妄想歴史探索 チャンネル登録者数 1.23万人

邪馬台国の所在地についていろいろと説を出す時代はもう終わりです。

考古学の成果によって今までの説はすでに古臭いものになっているのですが、

皆さんはそれを無視するから古代妄想がはんらんして収拾がつかないのです。

ハッキリと事実を云いますと、

三世紀に成立したヤマト王権発祥地の纏向遺跡に九州の土器が全くと言っていいほど出ていません。

これで従来の、邪馬台国東遷説も、神武東征説も成り立たないことが明らかです。

当時のヤマトはほとんど戦場にはなっていません。

一大卒を置いていた大陸・半島への玄関口の伊都国の人々が纏向には来ていないのですよ。

纏向の前方後円墳の石塚古墳は初期の王墓ですが、

このヤマトの大王の葬式に北部九州から誰も参列していないのですから、

北部九州の倭国と纏向ヤマトは敵対していたということです。

つまり纏向ヤマトは倭国と敵対する勢力であって

倭国女王が魏の支援を受けるほどの強国なのです。

そして、弥生時代終末期から古墳時代初頭の筑紫平野の環濠からも鉄鏃や

東海地方で使われた銅鏃が発見されていますから

北部九州が主な戦場になっているのです。(2021.3.2 赤字追加)

ということは最終的な勝者はヤマト王権を成立させた纏向ヤマトだと分かるのです。

つまり狗奴国以外にありません。

纏向の狗奴国が倭国女王に敵対する

狗コロの奴国=旧奴国という意味で付けられた蔑称なのです。

もうすでに考古学や民俗学の成果から

ヤマト王権の成立過程が解明されています。詳しくはこちらへどうぞ。

誤解と幻想の古代史(*^▽^*)
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