1950年、生みの親に捨てられた1歳の僕は、
今は亡き父、岩次郎にもらわれました。
父は青森県花巻市(現・黒岩市)で、貧農の末っ子として生まれ、
小学校しか出ていません。
18歳で上京し、公営バスなどの運転手で生計を立てます。
バスの車掌だった母のふみと結婚しますが、
東京都杉並区の住まいは、6畳二間と3畳とお勝手でしたが、
当初はお風呂もありませんでした。
ぼくが小学校に上がる前、母が心臓病を患い、入退院を繰り返していましたが、
貧しい人が高度な医療を受けるのは大変な時代でした。
父は、毎日15時間ほど働きましたが、ほとんどが母の入院費に消えていきました。
37歳の時でした。
旅券申請のために取り寄せた戸籍で、
父親の欄に別の名前を見た時、大きな衝撃が走りました。
血のつながっていない父が、ぼくを育ててくれていた・・・
心臓病の母を抱えた あの貧しい暮らしの中で、
「拾ってやった」 とか、恩着せがましい言葉を一度も口にせず、
泣き言も言わず、弱音も吐かず。
父は苦難から逃げませんでした。
苦しい時ほど、その苦しみを横に置いて、誰かのために生きようとしました。
頑張って頑張って、全力投球で、最後は個人タクシーの運転手を
70歳くらいまで務めました。
僕は子どもの頃、もしかしたら閉ざされていたかもしれない未来を
貧乏な父が拾ってくれたことで開くことができました。
ですから、僕も自分にできる範囲で子どもの未来をつなげてあげたいと思っています」
諏訪中央病院:鎌田實先生が語られる父親の人物像、
そして、困っている人を助ける医療の根底には、
「うちみたいな貧乏な家が医者にかかる時、どんな思いでいるか絶対に忘れるな。
弱い人たちを大切にする医者になれ」
といったお父さんの言葉が、強い使命感となり、現在に至っているそうです。
今月の木鶏本部例会には、「致知」2011年11月号にご登場いただきました
鎌田實先生をお迎えします。
「致知」4月号の127頁の誌面でもご紹介させていただいていますが、
ご紹介の場所が変わっており、お気づきでない方もおありでしたので
改めてご案内させていただきます。
【演題】「強くて、温かくて、優しい国、ニッポンを作ろう」
【日時】4月21日(土)14時 ~ 16時(13時30分受付開始)
【場所】京王プラザホテル44階「ハーモニー」
【会費】3,000円
お申込み、詳細は、下記のアドレスをご覧くださいませ。
http://www.chichi.co.jp/event_seminar/3316.html
「苦しい時に自分のことは脇に置いて、人のために何かをすることによって
逆に自分自身の生きる意味というものがみえてくる」
(「致知」2011年11月号:鎌田先生の言葉より)
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