花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

真我と自我。無から有を産み出します。

2018年05月12日 05時55分55秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

人は,誰であってもどんな人でも自分と云う存在を救えるのは自分自身でしかありません。親子であっても,兄弟や姉妹であっても自分を救ってくれることは出来ないのです。自分を救えるのは自分自身です。(これを大前提として見ます)ですから,この世は厳しいものであると云うことなのだと思ってもいます。こんなことを書くと暗く冷たいように感じられるかも知れませんが,希望を失ったり,絶望したりするにはまだ早いのです。なぜならば,わたしたちには,無から有を産みだす知恵が神さまから唯一,授けられています。外観から入ってくる知識ではなく内観から湧き上がってくる知恵であります。(これを小前提とします)その知恵を十分に働かせて活用していくことで自分も他人も救われて行くことになるのです。それが「和の仕組」です。(これを結論とします

大前提に小前提を当てはめて結論を導き出して行く。これは,リスクマネジメントの基礎基本でもありますが,たとえば,固体・液体・気体の3種類を想像してみて下さい。解かりやすくするために固体を氷とします。液体を水とします。気体は空です。無ですね。目には見えないものです。無から有を産みだすと云うことはことなのであります。つまり,固体である氷も液体である水もすべて目には見えない気体から産みだされたものであります。原点は「無」「空」であります。物質は「有」「色」であります。

この世の中のものは,すべて無や空から産まれているのです。色が存在する為には空がなければ色は存在できません。私たち人間も同じことなのであります。そしてやがて有は無に帰ることになるのです。これを原点回帰と申します。天ではなく,点に帰るのです。中心へと帰るわけです。古神道に云う,真我「無」と自我「有」の融合が神人合一であります。真我「無」は,神ですから自我「有」が,私たち人になります。つまり,私たち人は誰であっても神さまの御子なのであります。人間は神さまが創造したのです。

ですから,自分の心を痛めつけるようなことはしてはなりません。

時間説と空間説と云う言葉を聞かれたこともあると思います。

先程の固体である氷は時間を掛けて液体である水になります。そして,液体である水は,時間を掛けて気体になって行きます。つまり,人の悩み「空間」も同じようにやがて時間を掛けて無に帰って行くことになっているのであります。固体である氷が永遠に氷であり続けることは出来ません。時が来れば液体である水に為らなければなりません。これを宇宙の摂理と私は考えております。どんなことでも同じであり続けることなど不可能なのであります。よって,どんな悩みや心配事であっても限定的な現象に過ぎません。

そのように考えて行きますと,私たち人の心には神さまの分魂が内在していることがよく解かると思います。私たちの身体つまり,肉体は仮の姿なのです。霊性を包む衣のようなものです。肉体は,この3次元でしか保つことが出来ず誰でもあの世に帰るときには置いて行かなければなりません。この霊性をいつも大切に包み込んでいてくれる肉体,身体を大事にすることは当然なのであります。そして,共に生きていてくれることに感謝することが予防医学にも繋がって行きます。言葉においても同様なことが言えます。

言葉にも霊が宿ります。言霊信仰と云う日本古来のひとつの信仰です。

ちなみに,自己責任と云う言葉には,言霊も音霊も何も宿りません。そもそも日本語に自己責任と云う言葉は存在しません。日本語は祝語でありますから,自己責任と云う切り捨てや排除論と云うものはないのであります。なんでもかんでも自己責任。自己責任と云う言葉が独り歩きして行く世の中を想像してみて下さい。明日は我が身であることにも気が付けない知恵無き者がこの自己責任と云う言葉を使いたがるのです。自己責任と云う言葉が日本で認知されて行くならば,私は対義語であろう全体責任と云う言葉の方が真の日本人らしさと潔さを感じます。私は自己責任と云う言葉とボランティアと云う言葉は不言・不音・不要な言葉だと感じます。

世界でたったひとつしか和の国はないと云うのに。

外国のマネばかり。挙句の果てにマネすら出来ず笑いもの。

身を立て 名をあげ やよ励めよ。by 心神。

伊勢の神宮では心の神さま(真我)を心神「しんしん」と呼びます。拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


海を渡った和の仕組み。 Ⅲ

2018年05月11日 10時10分10秒 | あさひの六法全書

こんにちは。

上の写真は,伊勢神宮・内宮の別宮である瀧原宮の御手洗場で御座います。今日の記事とは関係ないのですが,この写真は,私の部屋にも額に入れて飾っているものでもあります。ですが,この写真はとても幻想的な写真でもあるのです。どう云うことかと申しますと,皆さんは,この上の写真を観て太陽に照らされた昼間だと想われますか?それとも月と星の輝きによって明るい夜間だと想われますか?答えは昼間に撮影した写真ですので,太陽の光に照らされた昼間です。しかし,部屋に飾ってある写真を観ると夜間であるような月と星の輝きによって明るくなっているときがあるのです。そう観える時は,夜です。つまり,夜になると写真の中の風景も夜に変わり,昼になると写真の中の風景も昼になるのです。信じられることではありませんが幻想的な写真であります(笑)。

それでは,昨日の記事の続きを書かせて戴きます。

リスクマネジメントを追求していくと,その先には和の仕組みがありました。そして,さらに和の仕組みを追い求めて行くと日本古来の古神道に行き着くのであります。日本人は再び,日本人であることの誇りも自信も自覚も取り戻さなくてはなりません。右翼だ左翼だのそんな次元の話ではなく,又,好きだ嫌いだの勝手なことでもありません。暗く冷たいと云う日本人は本当の日本人ではありません。日本人は,明るく温かいと云うのが本来の太陽の子でもある日本人であるはずです。太陽神の分魂を宿しているのです。

一昨日の記事で,六法の中に民法と云う法律があって,その民法典の中に契約と云う分野があると書かせて戴きました。さらに,契約と約束の違いは何かと云うところで終わりましたが,先ず,後者の方の契約と約束の違いは,法的拘束力と云う効果をもたらすか否かを当事者同士で予め予定しておくことであります。契約は当然,法的拘束力が伴います。しかしながら,約束と云うものは法的拘束が伴わないものを指すのであります。したがいまして,契約も約束も当事者の意思によってもたらす効果が違ってくるのです。

勘違いしている弁護士と議論していると契約書は自分を守る大切な手段だ!などと真剣な顔で話しているのを見るとなんだか可笑しくなってしまう時があります。なぜならば,契約と云うのは性悪説に立脚して締結するものではありません。それでは相手をはじめから疑っている証になってしまうからです。契約書を締結する本当の意味は相手に損失を与えないようにするために予め目に見えるカタチで書き記すことに在るのであります。自分を守ることを最優先した思いやりのない契約を本当にしたいと思いますか?

何年か前に,お寺の住職さんに契約書の作成を頼まれて作成した時がありました。その契約書は,お寺の工事に伴う工事請負契約書でした。契約書を作成する上で必要なカンファレンス「会議・検討・協議」を何十回と行い,契約内容を作り上げて行きます。そしてようやく契約書を作り上げる時に,住職さんから「あさひちゃん。契約書はこちらの有利に作ってね」と言われたことがありました。きっと,住職さんも私が双方対等な契約書を作って来ることを予見していたのだと思います。わたしも当然,どちらかに偏った契約書など作る気はありませんでした。わたしもハイハイと軽く受け流して住職さんには解からないように契約当事者双方が対等な立場で目的が達成できる契約書を作成しました。自分のことだけ考え,有利に機能するような契約書は契約書ではありません。

この世の仕事とは,どんな仕事であっても祭事なのであります。

大切な契約書を締結する場合の大事なポイントは,契約書に書かれている言葉の羅列そのものではありません。そんなことよりもどういった経緯で契約締結までに至ったのかを示せる方が大事なのであります。経営者の方であれば,たくさん契約書を作成すると思います。しかしながら,契約書は保管していても契約を締結するまでの経緯書面を契約書に添付してある経営者はほとんどいません。大切なのは,契約書ではなく契約に至るまでの経緯です。契約書が完成されるまで,どういった話し合いがされて来たのかの方が重要な事なのです。紛争や訴訟などになるような契約書を見るとだいたいどちらかに偏った身勝手な契約書が多いのが特徴です。

したがいまして,海を渡った和の仕組みが外国でリスクマネジメントとして変化して,再び日本に戻って来ました。リスクマネジメントと呼ぼうが和の仕組みと呼ぼうが,その根本となる精神は自分に主眼を置いたものではなく,すべての出発点「土台」は相手のことを思いやることから考えられたものなのであります。どんなに人間が進化を遂げようが普遍的なことは存在するのであります。相手の立場を思いやることも相手の立場を考えながら人との付き合いをして行くことも人が生きて行く上でとても大切なことであるはずです。そう言った大切な事を忘れて行く先には,やはり,豊かで幸せな生活は予定されていないのではないでしょうか。

洋服を着ていても心の中は「和」でいたいものです。拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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海を渡った和の仕組み。 Ⅱ

2018年05月10日 17時43分18秒 | あさひの六法全書

こんにちは。

この日は晴天でした。上の写真は,富士山本宮浅間大社です。早速,昨日の記事の続きを書かせて戴きたいと思います。

日本で発祥した和の仕組み「リスクマネジメント」が,海を渡って外国へ行き,いろいろな国家に影響を与え,国家の運営に欠かすことの出来ないものとなり,外交でも国内政策の場でも社会や国民の間でも浸透されて行きました。今では,日本人ですらリスクマネジメントと聞くと西洋人の考え方だと云うことが当たり前になってしまっています。これは本当に残念なことでもあります。

それがよく解かる出来事がありました。それは,東日本大震災が起因した福島第1原発の原発事故です。

日本には,原発の安全神話なんて云う滑稽な話がありました。なんでも神話にしたがるのは何よりも不安定な証拠でもあります。日本と云う国は,アメリカに比べると行政に対する信頼が高い故にもたらせる神話性なのかも知れません。お役所が大丈夫って言ったいるんだから大丈夫だと云う大前提がありますし,御役人がいるから大丈夫と云う安全ではなく,安心感もあるのかも知れません。

これは,アメリカなどの西洋諸国と根本的に違うところでもあります。たとえば,アメリカでは日本とは逆に行政への信頼と云うことよりも司法に対する信頼がとても高いのです。多民族国家であるが故に,法と云うものでしか自分たちが共通して拠り所となるものがないのです。又,権力者は常に暴走する危険があるのだと云う前提もあります。どんな人でも権力を手にしてしまうと暴走する危険があるのだと云う前提です。したがって,憲法や法が自分たちを守ってくれるのだと云うことに繋がって行くのであります。

私個人的には別な思いも考え方もあることはあるのですが,体系的に書くことが出来ずにいます。ただ,言えることは日本人は日本人ではなくなってしまったのではないかと云うことでは多くの人と共有できる悲壮感でもあるかもしれないと云うことです。目に見える物質的なモノよりも,目には見えない精なるものへの畏怖と敬意を重んじて来た過去の日本人たちとは異質な精神構造であります。日本人はいつからこの様な日本人になってしまったのか?それは解かりません。暗く冷たいと云うのは日本人ではありません。

人を思いやり,人に優しく,温かく,人との和を大切にして来た日本人であります。困ったときは,お互いさま云う文化が日本に住む本来の日本人の生活であります。そう言った和の精神「心」を外国の人も憧れていたに違いないのです。外国人の方が,なんだか日本人のような感じすら覚えてしまうくらいですが,わたしたちが日本人であり,日本人としての誇りを取り戻すには,自然を崇拝し祖霊に感謝する祖霊祭祀でしかないのではないかと私はそう思っています。昔は,どこの家にも神棚と仏壇が置いてありました。

その家に住む子どもたちは,誰に教えてもらうわけでもなく自分の目で観て祭祀を学べたのです。

それだけではありません。ご飯を頂くときの「いただきます」さえ大人たちも言えなくなって来ています。

命を頂くことへの感謝の祈りも出来ずに成長して行く子供たちが不憫でなりません。

戦後の統治でGHQの実行したいくつもの占領政策も日本人と云う性質を十分に研究した結果,あのような占領政策を実施したのであります。たとえば,日本人は昔から地域の話し合いを神社でしていました。つまり,神社が地域の人と人との接点であったのですが,これを破壊する為に実施した政策が公民館の建設でした。神社から日本人を遠ざけ離させるための占領政策の一つです。

又,戦後,2DKくらいの家屋をたくさん建設して行くような政策も実行しました。なぜなら,日本人は1つの家の中でおじいちゃん,おばあちゃん,おとうさん,おかあさんと子どもで暮らしていたからです。しかし,こうなると子どもが小さい時に,子どもの面倒(世話)や大切な道徳などの教育をおじいちゃんとおばあちゃんから日本人の子ども達は自然の流れで受けて行くのです。

おじいちゃんもおばあちゃんも孫は可愛くて可愛くて仕方がありませんから,愛情いっぱいに孫の面倒見ます。特に,戦争や貧乏を体験して来たおじいちゃんやおばあちゃんは,自分のような辛い思いだけは孫にさせたくないと云う想いが強いのであります。そこもちゃんとGHQは研究していました。そして,この絆をも破壊するため家族の対話を無くする目的で核家族政策を実施して行きました。日本人は,このような占領政策に見事に嵌って行ったのです。今では,すっかり多くの日本人が当たり前だと感じています。

つづきはまたあしたに。拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


海を渡った和の仕組み。 Ⅰ

2018年05月09日 05時01分40秒 | あさひの六法全書

こんにちは。

昨日の記事で,リスクマネジメントの再興の祖でもある二宮尊徳さんのことを引き合いにいろいろと書かせて戴きました。又,その記事の中で,リスクマネジメントは,日本の縄文時代が発祥であったとも書きましたがリスクマネジメントと云う言葉自体にあまり馴染もないと思います。たとえば,危機管理の話題などで少し言葉を聞いたことはあるけれど,実際,リスクマネジメントとは何かと云うことを理解されている人はそんなに多くはないのではないかと想像しています。日本は,お役所(主に省庁)が先導して企業と国民を引っ張って行くと云うことがこれまでの大きな流れでありました。経済の分野で護送船団方式と云うことを学んだことのある人も多いのではないでしょうか。金融を自由化する際に盛んに言われていました。日本は行政に対する信頼が厚いのです。

ですが,このリスクマネジメントこそ実は,日本古来からの和の仕組みであったのです。

つまり,日本の和の仕組みが海を渡って行き,外国でリスクマネジメントとして変化し,再び日本に上陸したのであります。ちなみに,民主主義と云う考え方も日本が発祥です。一般的に民主主義の起源は古代ローマや古代ギリシャと云われていますが,民主主義のつまり,議会制と云う概念は日本の神道に伝わる大祓詞(おおはらえのことば)と云う祝詞(のりと)に既に書かれております。

そもそもリスクマネジメントと云う言葉は,海外で定義付けされ又,理論として体系化されていったのです。一番分かり易い例えで言えば,損害保険や生命保険ではないかなと私は考えています。損害保険業界や生命保険業界は金融業と云う業種に分類されていますが,金融業もリスクマネジメントの分野に相当します。今では日本だけではなく,世界の経済の土台でもある金融業です。

日本では金融機関(銀行・証券・保険等)と呼ばれていたりしています。たとえば,自動車を運転される方であれば,ほとんどの人が自賠責保険「強制保険」と任意保険「自動車保険」に加入されていると思います。この任意保険「自動車保険」がリスクマネジメントになります。なぜ,自動車を運転する人は,自賠責保険に加入しているのにそれとは別に自分の意思でお金を払ってわざわざ任意保険に加入するのでしょうか?又,医療保険や生命保険に自分の身体が元気なのに高いお金を出してまで医療保険や生命保険に加入するのは何故なのでしょうか?日本は病気になって病院に行けば健康保険制度を使えるのに別に医療保険にも加入するのです。

こう言った日常生活に大きく関与する事柄の大前提になっているのが和の仕組みから派生したリスクマネジメントです。

法律を学ぶ時も同じような思考で問題を解いていくことになります。六法全書なんて如何わしい言葉を聞いたことがあると思いますが,たとえば,その六法の中に民法と云う法律があります。膨大な条文で構成された法典で,司法試験の現場では「民法を制するものは司法試験を制す」とまで言われている法律です。わたし達の日常生活に一番大きく,深く係わりを持っているのがこの民法でもあるのですが,民法の中に契約と云う分野があります。13種類の典型契約とはなんですか?と一生懸命勉強して来た人もいると思いますが,しかし,それをただ暗記したり記憶しただけでは何の役にも立ちません。無駄ではありませんが,役には立ちません。

さらに具体的に,契約と約束の違いはなんですか?と聞かれるとどうでしょうか?

やはり,日本の教育制度を暗記・記憶主体の過去問主義から変えなければなりません。

もう少し,深く和の仕組み「リスクマネジメント」を明日,書かせて戴きたいと思います。

Festina lente

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


小さなことからコツコツと。二宮尊徳に学べ。

2018年05月08日 05時41分37秒 | 謙虚の心柱

 

こんにちは。歴史に学ぶとは,先人の思想や生き方に学ぶのであって歴史年表を学ぶことでは無いと日本史を勉強しているときに教わりました。現在の小学校から高校・大学の教育方法は歴史の年表をただ記憶し暗記させることに主観を置いていますから自分の国の歴史や先人の思想や生き方まで勉強することが無いのであります。たとえば,世界でもっとも多く目的を達成するために用いられるリスクマネジメントは日本の縄文時代が始まりです。西洋諸国が発祥ではありません。わたし達の国「和の國」が発祥です。

日本人は,何故,日本人から学ばないのか?

外国の人からするときっと,そんな素朴な疑問があると思います。

なぜ今日は,そんなことを書かせて戴いているのかというと,江戸時代の後期に生きたリスクマネジメント再興の祖「二宮尊徳」さんを今ちょうど,私自身もあらためて学び直しているからなのです。人物研究をして見たい先人の中に,二宮尊徳さんと云う存在があって,且つ,リスクマネジメント分野が専門の私にとっては非常に勉強になるからでもあります。リスクマネジメントと云う分野は,とにかく幅が広く,その上,奥も深いので迷路に迷い込んでしまうような危険地帯が随所にあるのが特徴的でもあります。

一番簡単と申しますか,理解しやすい方法は法律学からアプローチをして行く方法が迷路に迷わず安全でもあります。農業やロジスティックス「兵站学」からでも比較的理解しやすいのかなとも思います。しかし,その膨大な分量から日本ではなかなか体系化することが出来ず学問としての位置付けがされないままになっています。それが資格試験としても実を結んでいない大きな理由です。

このリスクマネジメントを駆使できるようになれば国家にとっても人にとっても自分にとっても最終的には社会にとってとても嬉しいことが出来るようになります。多分,司法試験が子どもの試験のように感じることだと思います。確かに,司法試験も難しい試験であることには変わりありませんが,唯一,リスクマネジメントと司法試験の共通項があるとすれば,それは答えのない問題を自分の思考を使って作り出すことです。これが今の日本人は,とても苦手なのです。自分の頭で考えることをさせない過去問主義の教育方法がもたらした弊害でもあります。暗記と理解の違いすら解からなくなって来ている学生も増えているのではないでしょうか?自分で答えを探し出すためには暗記では絶対に無理です。暗記や記憶だけでは答えのない答えを作り出すことが出来ないのです。

リスクマネジメントを学ぼうと特別なにか,大学に進学したり,専門学校に通ったり,なんとか塾に入らなくても日々の生活上の問題からでもとても高度なリスクマネジメントを誰でも身に付けることが出来ます。それは「なぜだろう」から出発することで可能です。なんでこうなるのか?自分は,なんでそう考えるのか?を冷静に見つめ考えることからはじめると理解度が一気に増して行きます。一番良いのは,社会の様々な問題を自分の頭と思考で答えを探そうとせずに結論付けることです。なんでも良い訳です。

たとえば,政治が好きな人であれば政治の問題でも良いですし,外交が好きな方であれば外交問題でも良い訳です。介護士になりたい人であれば介護の問題でも何でも良いのであります。身近なことから問題意識を持ち,そこから少し課題「テーマ」となる問題を掘り下げていくことが大切なのです。大事なことは思考回路を身に付けることにあるのですから正解や不正解と云ったことは,つまり論外であります。そんなものはどうでも良いのです。そもそも過去問主義の様な正解や不正解と云う考え方には,答えが予め用意されている問題に対して有効なのであって,予め答えが用意されていない問題では,何が正解で何が不正解なのかは解かりません。

いつか,二宮尊徳さんを連載で書かせて戴きたいと思います。拝

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


古神道入門 神ながらの伝統 3

2018年05月07日 04時20分15秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

古神道家にとって白山を崇拝しない人は居られないでしょう。

上の画像は,古神道の聖地である白山で御座います。わたしにとっては,七色の柱が立つ,思い出深い場所でもあります。このブログでも,これまで白山と菊理姫神さまや白山ヒメ神社・平泉寺白山神社を記事にさせて戴いて参りました。白山は,古神道だけではなく,現在の神社神道でも北陸地方の人々の信仰の対象となっているまさに御神体でもあるのです。たとえば,全国の縄文時代の集落では,ほとんど白山菊理姫神をお祀りします。この辺りを研究されると古代の日本や古事記や日本書紀に記載されている神武天皇以降の歴史の事実が解かると思います。なぜ,太古の縄文人は菊理姫神をお祀りしていたのか?大変,興味深いことであります。

菊理姫神さまは「和」の大神さまです。

白山は,縄文時代「以前」の超古神道の聖地と考えて戴ければと思います。

以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第3章 神々の系譜から一部抜粋。

朝鮮半島にも縁深いスサノヲノミコト(須佐之男命)

スサノヲノミコト(須佐之男命)は出雲の大社(おおやしろ)にお祭りされるだけではなく,熊野の神様ということで尊崇を受けています。熊野は三つに別れていまして,和歌山県紀ノ国の熊野本宮大社と速玉(はやたま)大社,そして那智の那智大社の三つに祭られていますが,この熊野の神様の活動領域というのは非常に抜きん出ておられます。

古代においては,イザナミノカミ(耶那美神)が亡くなられて,島根県・鳥取県・広島県の三つの県境にある比婆山(ひばのやま)にイザナミノカミ(耶那美神)をお祭りしたと伝えのられる伝承と,熊野の花の岩屋に葬ったという伝承と二つあります。現在でも花の岩屋では,毎年春には花をもってイザナミノカミ(耶那美神)をお祭りするという行事が盛大に執り行われています。つまり熊野の神様スナノヲミコト(須佐之男命)は,イザナミノカミのご系統として,出雲地方と紀国の両方にその源流が仰がれるわけです。

八百万の神々は,それぞれのお役割によって世界を分掌してお治めになられています。世界を分掌して治めるということで有名な神話として,イザナギとイザナミの黄泉平坂のことが伝えられています。

この黄泉平坂で二柱の神様の仲取り持ちをなさったのが,加賀の白山のククリヒメノカミ(菊理姫神)です。地下の世界はイザナミノミコトがお治めになられる。地上の世界はイザナギノカミがお治めになられる。ククリヒメ(菊理姫神)がその取り持ちをされて,地上と地下をお治めになる神々の分掌をお定めになられたということです。

ですから白山のククリヒメ(菊理姫)は,イザナギノカミとイザナミノカミの二柱の御神徳を備えている神であると白山には伝えられています。朝鮮半島と中国大陸との国境に白頭山という山がありますが,この白頭山の神々の世界と,加賀の白山とのつながりというのは,神代の昔から非常に深い幽契がありました。

その証の一つとして,朝鮮半島ではスサノヲノミコト(須佐之男命)を牛頭天王として崇敬され,またスナノヲ(須佐之男)を祖神としてその家系を大事にしておられる人達もたくさんおられます。日本でもスサノヲノミコト(須佐之男命)から出られた家系の方々はその家系図を大切に持っておられます。とにかく白山と白頭山はたいへん縁の深い御山ですし,熊野の神様スサノヲノミコト(須佐之男命)の活動領域がいかに広大であったかをも物語るものです。

以上

今日の掲載記事は意外に感じる方々も多いと思います。なんと言っていも北朝鮮の象徴として名高い白頭山が日本の神さまと縁が深いと言われても中々,信じることが出来ないと感じると思います。しかし,小林先生の著書の中にも書かれているように現在でも朝鮮半島で暮らす人たちの中に,スサノヲノミコトを家系の祖神として大切にお祀りされています。古神道家でもあった小林先生の著書ではスサノヲノミコト「須佐之男命」と書かれていますが,私はスサノオノミコト「素戔嗚之尊」と云った方がしっくりします。

この表現の違いを深く考察したことはありませんが,おそらく実在した「人格神」としての象徴とエネルギー体「神霊」としての表現の違いから来るものと解釈しています。それはそれとして,日本神話ではスサノオノカミは手におえない乱暴者として書かれています。そして最後には,神々の世界「高天原」を追放されてしまう程であります。しかし,この内容は・・・。誤りです。本当のスサノオノカミ「素戔嗚之神」は,とても心優しい神さまで,すべての罪と穢れを背負い込む非常に尊い大神さまで御座います。

たとえば,スサノオノカミは,高天原でアマテラスオホミカミ「天照太御神」が大切にしていた田畑を汚したと云うことが神話にも書かれています。しかし,普通に考えて見れば,この田畑を汚していたと云う行為は誤りで,馬を引き肥料をまいて田畑を耕していたのです。農家をされている方であれば昔の田畑の肥料を御存知であろうと思います。それを高天原の神々が勘違いをしてしまい,スサノオノカミがアマテラスオホミカミが大切にしている田畑を汚しているとしてしまったのです。つまり,単なる勘違いなのか?それとも悪意なのかは,神話を学ぶ私たち自身がどう考えるかです。この高天原におけるスサノオ物語はとても勉強になります。

ここでも事実とは何か?真実とは何か?を教えてくれています。

素戔嗚之大神さまは,藍足袋衆(スサノオブルーのチルドレン)の親分です(笑)。

大道とは太陽の道為り。即ち,これタオと申す。by 老子。

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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心界「神界」の八咫鏡をピカピカにしましょう。

2018年05月06日 05時58分08秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

今日は,氏神さまへ参拝させて戴いてから,昼からの会議まで時間もあるので宮大工の営業にでも行こうかと寺院さん数件を巡回して来る予定です。どこの寺院さんも立派な本堂にお堂が建ち並び境内も綺麗に掃除がされていることだと思います。神社や寺院の掃除や清掃は,宗門宗派を問わず祭祀をする上で基礎基本とするのが現在の考え方であります。本来であれば,掃除や清掃は黒足袋衆の大事な御役目なのですが,現代では白足袋衆と黒足袋衆の境も無くなってしまいました。そんな中,特に,禅宗系「曹洞宗」「臨済宗」「黄檗宗:おうばくしゅう」では掃除を徹底して行います。又,この基本的な考え方を企業に取り入れたのが松下幸之助さんであったり,ビル・ゲイツさんであったり,スティーブ・ジョブズさんもそうであったのです。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎さんは別の意味でも禅宗の根本道場である大本山永平寺をメッチャ愛しておりました。大本山永平寺の唯一の檀徒さんです。

ビル・ゲイツさんとマイクロソフト社の掃除のオバちゃんとのエピソードは結構有名な話でもあります。公に公開はしていないようですが,企業精神に禅を取り入れています。松下幸之助さんが晩年,松下政経塾を創設した目的もその奥にある理念は掃除にあったのではないかと私は想像しています。とにかくやることがなければ掃除をしろというのが松下政経塾の姿勢でもあったようです。

掃除には,魔を祓う絶大な効果があります。

現在の神社神道でも古からの古神道でも掃除はとても重要なものとして据えられております。先日の記事でも少し触れさせていただきましたが,人の内面「心の状態」が如実に現れて来るのが家や部屋の掃除具合です。配達のアルバイトをしているとそのことが最近になってよく理解できるようになりました。荷物を届けるために家の玄関先まで行くと良く判るのです。靴が散乱しているお宅や廊下にゴミが散乱しているような家の住人はどこか暗く感じてしまいます。表情も人相もなんだか暗そうで,無愛想にしています。きっと,本人はそんなことまで感じてはいないと思いますが,他人から観るとよく解ります。玄関先の清潔感はとても重要です。

心の状態が暗く,心が病み出すと心に穢れ「気枯れ」が付きます。これを祓える唯一の方法が掃除なのです。掃除は人の健康や運気にも多大な影響を及ぼしていると神道では考えますが,これは本当のことであります。それだけではなく,掃除は病にも影響しているとも感じています。運気の良い悪いと云うと誤解を受けるかも知れませんが,実際に,運の良い人は掃除にとても気を使っていることが多いです。特に営業の仕事をされている方は,掃除を気に掛ける方が良いと思います。経営者ほど掃除にうるさい人が多いのも納得します。私事で恐縮ですが,わたしは水の流れる場所の汚れをとても気にしています。たとえば,お風呂や台所,洗面所,洗濯機付近などですが,水の流れる場所は神聖な場所であるので汚れている場合には綺麗に掃除されていることが家の中に穢れを付けない極意なのです。極意って・・・大袈裟に思われるかも知れませんが本当なのです。魔の臭いと排水溝の汚れの悪臭は同じです。

さらに,家の中の掃除だけではありません。

わたしたちの心の世界「心界」の八咫鏡もピカピカに磨きましょう。曇りが酷くなると理屈に騙されたり,事実と真実を見抜くことが出来なくなってしまいます。裁判官がつけているオモチャの曇りに曇った偽物の八咫鏡よりもハッキリと映し出すことが出来る本物の八咫鏡が人々の心の中に存在しています。そして,個人個人各々が心の八咫鏡を磨けば宗教は必要なくなります。それが,仏教で云うところの弥勒菩薩の出現です。ミロクの世の中と云うのは,どこからともなく救世主が登場するのではありません。救世主思想を数千年続けて来た結果,神の御意思と言いながら金融で世界を支配して,宗教戦争で世界を征服しているのが今の世の中です。

救世主とは,わたしたちひとり一人が救世主と為ることなのです。拝

世界各地で火山の噴火が起きて来ています。大規模な地割れも発生しています。日本は世界のひな形であると古神道でも言われています。九州地方にお住いの方は災害時要援護者の登録を行政(役場)で確認されてみて下さい。出来ることは出来る時にです。

こちらは熊本県ですが,各市町村でも同種同様の制度が整備されています。

http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_3189.html

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


心柱神社の御造営と御遷宮

2018年05月05日 06時16分18秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。

東と西。昼の祭祀は火の祭り,北と南。夜の祭祀は水の祀り。なんだか意味不明ですが。。。

御遷宮と聞くと二十年に一度に斎行される伊勢の神宮を思い浮かべます。ですが,わたしたちの心に鎮まる心柱神社「みはしらじんじゃ」の御宮も一定期間が経過するとやはり御遷宮が必要なのであります。しかし,その前に,自分自身で御宮を御造営しなければなりません(笑)。そこで必要となるのが御用材であります。御用材となる材料は,鎮守の森に立っている木々(心柱)で御座います。鎮守の森から柱や梁,扉や床となる御用材をいただくわけです。もちろん,御造営する宮大工の総棟梁も自分自身です。

私たちの日常生活「私生活」での思考や行動やそして行為が,鎮守の森の木々の生育に良くも悪くもとても影響しています。常日頃から感謝の気持ちを以て生活して来た人の感謝の木は,棟持ち柱に用いることが出来ると思います。又,神さまの祈り「音霊:波動」を受信する千木(ちぎ)は,素直の木を用いることも出来ると思います。何気ない日頃の行いが鎮守の森を形成する糧になっているとは夢にも思わないかも知れません。たとえば,人の悪口や自分よりも立場の弱い人をイジメたりしている人の鎮守の森には,感謝の木も素直の木の生育もあまり成長していないことになります。いつになっても御造営に取り掛かることさえ出来ません。

ところで,実際の伊勢神宮の御造営や御遷宮と云う我が国最大の神事「お祀り」では,二十年と云う長い歳月を掛けます。しかし,遷御の儀と言われる式年遷宮の中で最重要な神事(クライマックス)は15分くらいで終了してしまいます。つまり,15分の神事のために20年と言う歳月を要するのです。しかも,それが凡そ1300年間も続いて来ているのですから凄いことであります。

若干,話は変わりますが,これまで数千年続いてきたピラミッド型の階級構造に物質主義「金融」と紛争や戦争と云った戦いの文明がもうすぐ終わるのであります。次の文明がどう云った文明なのかどうか?わたしは預言者でも霊能者でもないのでよく解かりません。しかし,何年か前,太陽信仰の祭祀場であった奈良のある場所に参拝をした際「ここに来ても観世音菩薩はもういない」「衆生を救うため,観世音菩薩は裸足で山を下りました」と云う音霊「波動」を観たとき,これで一つの文明が終わると確信したあの日。子どもの頃に「この世からお金が無くなる」と訳も解からずそう体のどこからか聞こえて来た声なき声の存在がありました。

高天原「心界」に御鎮座されます心柱神社の御造営の時節が到来しております。そして心に最高神を祀りましょう。さらに,八咫鏡をピカピカに磨きましょう。それぞれ個人個人各々が,これまで培い,育ててきた鎮守の森で成長した御神木をいただき,心柱(みはしら)を用いて御用材とし立派な御宮を御造営して戴きたいと思っています。先ずは,その準備(段取)から始めなければなりません。わたしも立派な御宮を御造営できるように頑張ります。そして,御用材の残材で下駄を作り観音さまに履いていただきたいです。日々の生活を一生懸命に努力して,繰り返し繰り返し続けて行くことで,きっと,いつの日か履いて下さると思っています。

焦らず,慌てず,どんな時でも,自分自身に出来ることを一歩一歩,実直に。

ひとつ。またひとつ。そして,またひとつ。地道に熟して行くしか道はないようです。

Festina lente

ラテン語で,ゆっくり急げと云う意味です。拝

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


心柱神社に参拝しましょう。遠慮なされず。

2018年05月04日 10時00分00秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。大和藍足袋衆さんから言文が届きました。

わたしたちの心には,高天原と言う神界「心界」が広がっています。その心界に広がる高天原には,鎮守の森があります。この鎮守の森には湖畔もあれば,清らかな水が流れる清流も存在しています。夜になれば満天の星も出現します。言ってみれば人の汗や涙はその清流から流れ出た御神水でもあります。鎮守の森に立つ木々が心柱(こころのみはしら)と云うものです。たとえば,感謝の木や謙虚の木や奉仕の木など「十柱:御神木」が茂っています。さらに,その鎮守の森の奥深くには神さまが坐します御宮(御正殿)があるのです。こちらが今日の表題でもある心柱神社(みはしらじんじゃ)と申します。この世とあの世を繋ぐ神社です。

そして,その心柱神社に御祀りされている神さまは心神(しんしん)と言う根源神から派生した神さまです。産土の神(うぶすなかみ)と云う言葉を聞かれたこともあると思います。わたしたちがこの世に誕生し,人生を終える最後まで共に歩む尊い神さまで御座います。御座いますと言っても,上記の話は,わたし個人が感じるままに書いていますので,感じ方も考え方も人それぞれあると思います。したがいまして,上の言葉は,私の心柱神社から届いた御言葉と言うわけです。それと,心神(しんしん)と云う言葉は,伊勢神宮「伊勢神道」に伝わる言葉で自己の中に坐します神さまの分御魂を表現する場合に心神「しんしん」と申し上げています。

巷では,いろいろな言葉で表現されているようですが自分なりで良いと思います。

そう云った呼び名よりも大切なのは,自分の心の中に存在する心柱神社に参拝すると云うことであり,それには,自分自身の内面を見つめること,自分の心の中に坐します根源神の分魂を宿しているのだと云うことに気が付くことにあるのであります。外在的な拠り所よりも内在的拠り所こそ人は意識を向けるべきなのであります。過去幾多の宗教家も偉人も先人も最後の最後には,やはり自分自身の心の中に何かを見出して生きて行ったのです。これは,古神道の根本的な考え方です。人の心の中には,誰であっても神さまの分魂が内在しているという意味です。どんな悪人でも心の中には尊い神さまが坐しています。生れながらにして宿しております。

親鸞さんは,悪人正機と云う言葉を残されました。

仕事や家事で忙しく働いている方であっても,自分の心の中の神社であれば,いつでも,どこにいても参拝できると思います。神社で祭祀を司る宮司も,神社をいつまでも守護する護司も自分自身です。他人ではなく,自分自身です。これは他人である第三者には決して出来る事ではありません。自分だけの唯一存在する高天原と心柱神社を放置し続けると高天原は荒廃し,湖畔や清流の水は濁り,心柱神社は朽ち果ててしまいます。古神道の感覚では,自分自身の心の現れが自分の私生活に現象として現れて来ると云う言い伝えが御座います。一番如実に表れているのが家や部屋の掃除具合だとも聞いたことがあります。掃除については,またの機会に。

生きることに疲れてしまうのは,それだけ働いている証拠です。

生きることが嫌になってしまうのは,それだけ真直ぐな証拠です。

遠慮なさらず・・・・。参りましょう。

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


急ぎ馳せ参じ候。胡坐をかいた宗教家たち。

2018年05月03日 17時17分17秒 | 勇気の心柱

こんにちは。今日は,生意気にも私,花咲あさひは宗教家に物申します。

わたしの日本史の師匠は,後南朝の末裔として神社の神主さんをされている傍ら,古神道家としても全国各地に古神道の奥義や秘儀を伝承して歩いています。今はその師匠の講演会などにはもの凄い人が集まって来ている様子で,本を出版してもランキングなどで必ず上位にあがってくるようになっています。たくさんの人が日本古来の古神道に触れて頂けることは素直に嬉しく思っています。古神道を理解してしまえば,スピ何者や霊能者云々の詐欺紛いの事件も少しは減って来ると思いますし,苦しむ人々も減るからです。その前に,そう言った人たちを頼ろうとも思わなくなります。又,人としての和を重んじて行くようになるからでもあります。

ただ,なかなか腰を上げようとしない人たちもいらっしゃいます。それが,神社の宮司さんをはじめ,神職さんやお寺の住職さんたちであります。もう冷めてしまっているのか,それとも神職や住職を1つの職業として割り切っているのか,安住の地から離れられないのかは存じませんが,所謂,御座敷にあがる立場の白足袋衆がなかなか動こうとしません。神社や寺院の護持は黒足袋衆に任せておいて,自分たち白足袋衆は今すぐにでも困っている人たちや社会的に弱い立場に立たされている人々の元へ急ぎ馳せ参じ候なのに,じっと胡坐をかいたままです。ただ難しいことはなく,目の前にいる参拝者や檀家さんへ何気なく声を掛ければ良いだけです。

胡坐をかいたままで,うちの神社には参拝者が来ないとか,うちのお寺は檀家が増えないとかはただの言い訳です。

胡坐をかいたままでは参拝者も増えません。檀家も増えません。企業であればとっくに倒産しています。

今の世の中は,大変便利なインターネットなどもありますしSNSなどを使ってどんどん積極的に発信して行けば良いと思います。たとえば,ブログなどで記事を掲載して読んでもらったりするのもとても有効な手段だと思いますし,本を出版されても良いと思います。ある程度,大きな神社ならばマスコミや出版会社の人との繋がりもありますからとにかくじっと受け身ではなく能動的に活動されて見ては如何でしょうか?やはり,日本人は神社や寺院が理由もなく好きなのです。どこか心が落ち着くと申しますか安心できると申しますか理屈ではなく純粋に好きなのであります。ですから,神社が主催するイベントに多くの方が来社されるのです。

日本人が神社や寺院が好きな理由は,わたしは遺伝子「DNA」の関係がとても強く作用していると考えているのですが,いずれにしても神社や寺院が今すべきことは,日本人としての和の心を再び伝えていくことだと考えます。その伝承者たる人が本来は,神社の宮司さんをはじめ神職さんやお寺の住職さんの役割であるのであります。その役割を忘れた結果が今の神社界・仏教界の姿のように私は感じています。つまり,一般の人々に信仰心がなくなったのではなく,神社の神職さんやお寺の住職さんたちに信仰心がなくなったのです。その結果,スピ何者や新手な霊能者云々が跋扈するようになって行ったのです。これは宗教家の責任であります。

何かと云えば御利益御利益と言って来たと思いますが,もう若い人たちにはそんな話は通用しません。

若い人たちは,本当のことが知りたいのです。御利益とかそう言ったことでは無いのです。

たとえば,わたしもいろいろな人から「あさひちゃん。なにかおススメの本はない?」とよく聞かれることがことがあります。そんな際に,私が必ずお勧めする本は,このブログでも何度も書かせて戴いて来た春日大社の元宮司さんでいらした葉室頼昭先生の著書です。今でも葉室先生の本は人気があり,古本市場でも入手が困難な状態です。宗教や信仰は嫌いと言う人でも葉室先生の書いた本は人気があります。いまだに葉室先生の言霊は本の中で生き続けています。特に現代の会社経営者は必読書だと思っています。

それは何故でしょうか?難しい宗教用語や意味不明な言葉や理解できないような話がほとんど無いからだと私は思っています。又,以前,葉室先生の本を紹介したあるお寺の住職さんは,葉室先生の本を読み態々,関東地方から奈良の春日大社まで参拝に行かれた程です。その後,なんとそのお寺の住職さんは,檀家さんをはじめ親類縁者に至るまで困っている人の役に立とうと決心し,活動を開始されています。まさに,山を下りた観世音菩薩の後を追った宗教家の御一人です。檀家数の少ない田舎にある小さなお寺ですが,住職さんの心意気は大寺院にも負けないほどです。それだけ,真の宗教家の伝える言葉と云うものは大切なのであります。大袈裟と思われるかも知れませんが,人の人生に大きな影響を与えるほどなのです。そのことをもっと自覚して頂きたいと思います。

この期に及んでなぜ,宗教家は胡坐をかき続けるのか。

天はすべてを観ています。祈

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


なぜ,古神道は畏れられるのか?

2018年05月02日 04時36分58秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

おかげ横丁のお猫さま。本日で,3回目のご登場です。おにぎり食べる?そんな風に語りかけられている感じがします。

さて,先日2日間は,古神道家でもあり,神職さんでもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道 神ながらの伝統」の中から一部を抜粋して紹介させて頂きました。神社の宮司さんや神職さんであるからと言って必ずしも古神道家であるとは限りません。たとえば,大学の教授でも古神道家の方もいらっしゃいますし,仏教界(お寺の住職さん)の中にも古神道家がいらっしゃいます。

一般社会の中にも多く居られます。家と付くからには,何かどこかの組織に入っていたり,特別な修行をしていたり,行法を身に付けていると云うことではありません。法律家のように国家が認めた資格試験の様なものもありません。たとえば,先祖供養をしている人を法律上,祭祀継承者と云う言い方をします。つまり,その家系の祭主として司法府(裁判所)では認定しているのですが,神道家や宗教家であると云う認定基準は曖昧です。ただ無難なところで神社の神職さんやお寺の僧侶の資格を持った人々を神道家や宗教家と認めているだけであります。実に,幼稚な発想で,真に滑稽な話でありますが,いずれにしても祖霊祭祀と大自然や自然崇拝をしている人であれば誰でも立派な古神道家と云うことです。態々,誰か「第三者」に認めてもらうような次元でもありません。

なぜならば,神さまと神さまの分魂を宿した自分自身と直接繋がるからです。祖霊の供養も同じことが言えます。したがいまして,スピ云々・霊能云々では決して神さまと直接つながることはありませんと云うかありえません。神さまと祖霊の中間に人「第三者」を介在しても意味がないのです。もっと純粋に,素朴に,もっと素直に,神さまと祖先と「直接」繋がって見て下さい。大金を掛ける必要などありませんし,自分自身の真心で祈りを奉げることが何よりも大切なのであります。そして,その祈りは必ず届きます。

神社の神職さんやお寺の住職さんが一目置くのが,古神道であり古神道家です。

スピなんとかや霊能者云々がもっとも恐れるのが,古神道であり古神道家です。

これ実際に,私が目撃して来た体験談です。

それもそのはず。だって,本家本元なのだから。神さまの御神名を書くことにとても躊躇してしまいますが,たとえば,太陽を拝すれば直接,天照太御神と繋がります。大地(地球)を拝せば直接,国常立大神と直接,繋がります。富士山を拝せば直接,木花咲耶姫神と繋がります。風を拝せば風の神に,水を拝せば水の神に。こう言った誰も介さずに自分自身が起こす祈りこそ本当の本物の祈りであり正真正銘の古神道家です。祖霊祭祀「先祖供養」に至ってもまったく同じことです。こんなことを書いてしまうと神社の神職さにやお寺の住職さんに,また余計なことを言うなと怒られてしまうかも知れませんが,本当のことなので仕方がありません。

最近,古神道家を名乗りお金集めを目的としているような団体があります。

古神道家であるかどうかの判断基準は,祈願信仰なのかどうかと選民思想(特別意識)を持っているかです。

一番最厄なのが,スピ何者や霊能者云々と生活や行動を共にすることです。わたしがこれまで目撃して来たこう云った人たちに共通することがあります。それは,どんどん貧乏になって行くと云うことです。ほとんどの人がそうです。はじめは良いことがたくさんあるのです。しかしながら,一定期間を過ぎると生活の環境も一変します。そうすると嫌なことがあるとまたスピ何者や霊能者云々を頼りに行くのです。ほとんどの人たちが・・・。これを何度も何度も繰り返して行きます。他人の話など言うことを聞きません。

ここまで来ると,立派なカモです。ここからが坂を転げ落ちて行くような生活が始まります。

そうなると,今度は,どこそこの神社がパワースポットだから行こうとか。あの山は凄い神さまの鎮まる所だから行こうとか,鎮守の森に侵入したり,磐座「巨大な岩」や御神木「大きな木」に抱きついたりするようになって行きます。その時に,先ず失うのが貴重な時間です。これが第1歩になります。さらに,何度もその様な行為を繰り返して行く内,次に失うのがお金です。これが第2歩目です。ここで気が付けば未だ良いのですが,最後に失うのが精神です。つまり,普段の日常生活が出来なくなって行くわけです。

これを古神道が最も戒める穢れ「気枯れ」というものなのです。

古神道とは日常生活の中に道を求めて行く最強の行法なのです。

信じるのは他人ではなく,自分自身です。自分自身が大自然と祖霊と直接繋がっていれば恐れるものなどありません。

スピ何者や霊能者云々の格も質も瞬時に見抜き,判ります。音「波動」も観れるようになります(これ内緒の話です)。

私がよく宗教家に言われる言葉が「あさひちゃんは最強だね」です。自慢したい訳でも,威張っている訳でも何でもありません。日常の生活の中に自分自身の道を求めて行けば誰でもそうなります。誰であってもです。特別な人などいません。わたしが日々,実践しているのはごく普通のことです。基本は,①毎朝,太陽神に祈りを奉げます。②家の掃除をします。③神棚の神さまの御水や御酒を交換します。④祖霊感謝祭をします。⑤仕事をします。⑥夜,北斗七星に祈りを奉げます。その他,ご飯を食べたり,お風呂(禊ぎ)に入ったりするのは,この間に済ませます。氏神神社へ参拝したりするのは月に3回から4回程度です。毎日は行けません。

ただこれだけです。全部,日常の生活の中にあります。

難しいこともありません。組織に入る必要もありません。

あなたが増々,弥栄でありますように祈っています。

日本も貴方も弥栄!!!

 

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


神社とお寺で出来る公益活動 人の護持編

2018年05月01日 04時18分48秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。神社とお寺の総代を動かせ!と自分の身体の中から声なき声が聞こえた日がありました。

突然,大きなわけの解からないフロー図を貼らせて頂きましたが,これ,約8年程前に埼玉県にある寺院で実際に「お寺で出来る公益活動PJ」の第1弾として起案「計画立案」したものなのです。いらっしゃらないとは思いますが,万が一,神社や寺院の関係者の方がこのブログをご覧になっているようであれば,是非とも氏子崇敬会や檀家総代会などで議案の提出を考えて見て下さい。

実際の波及性効果は抜群です。

フロー図の設置後の二次効果で茨城県の寺院では高齢者のリフォーム詐欺を事前に防止出来ました。

これ以外にも神社の氏子崇敬者さんや寺院の檀家さんの特性に応じて様々な起案が総代会や世話人会で出来ると思います。神社やお寺の中に「和の仕組み」を作って戴きたいと願っております。起案作業であれば,各方面の専門家を交えなくても自由に氏子さんや崇敬者さん,檀家さんたちとカンファレンス「会議・検討・協議」ができると思います。一般の参拝者にも自由意見として拝聴するのも良いかも知れません。いろいろな考えや意見が出て来ると云うことはとても良いことではないかと私は感じています。

そもそも今日はなぜ,このような大きな貼り紙をさせて戴いたかと云うと,前日,天川村と天河大弁財天社の連載記事で神社の護持について書かせて戴きました。その際に,現在の総代会を改革し天川村在中の氏子さんや全国に居る崇敬者さんの無料法律相談会等を提案させて頂いたと思います。つまり,総代会が主体となり,公益目的の一環として活動することを趣旨とした計画です。

そう云ったことから,実際に総代会で議案提出となった資料を載せております。上に貼ってあるフロー図では「買い物弱者支援及び御用聞き部門」と表記していますが,どんな事柄でも応用が利きます。たとえば,犯罪防止でも良いですし,災害弱者支援と云う計画案も素晴らしいと思います。助けに来てくれるかどうか解からない状態での被災は精神的にとても辛いものがあります。

それにしても,なぜ御用聞きなのか?と思われるかも知れませんが,この御用聞きを計画案に盛り込んだのにはそれなりの理由が御座いました。その理由とは,埼玉県が県民に対し買い物困難者に関する意識調査なる名目で自由意見を求めたときがあったのです。その際に,埼玉県民の方たちの意見の中でもっとも多かったのが御用聞きであったのです。どこの都道府県でも意識調査はされていますので情報の収集と情報の分析にはとても役に立つことが出来ました。社会福祉関連であれば厚生労働省でも教えてくれます。

社会の様々な問題を地域の特性に応じ,又,地域の弱みと強みを上手く活かせることが出来れば一つのモデルケースになると考えます。過疎地域にある神社やお寺の場合の地域として特性。逆に都会にある神社やお寺の地域の特性などはぜんぜん違います。経済状況も人口の構成も違います。過疎地域では人が少ないですが,逆に都会では食料生産能力がなかったりと地域によってバラバラなのが日本の1つの特性のようです。そう云った違った様々な環境の地域の中に神社やお寺はあるのですから,地域と共に共存共栄する神社と寺院であります。それを後方から支援するもの全国に存在する崇敬者さんたちの声や力でもあると私は考えています。

今日は,前回の天川村と天河神社の記事の補足として書かせて戴きました。

たとえば,上のフロー図で言えば「買い物弱者支援及び御用聞き部門」を運営する母体が総代会となります。

今日も明日も明後日も。日本弥栄!拝

 

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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