花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

紛争と和解 ~失われた理性と知性~

2017年11月21日 01時01分01秒 | 勇気の心柱

以下は「2016.8.12」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/641ce3be9ff5514ef0097e1329276c0c記事です。

こんにちはと言うより,こんばんはですね。楽しいお盆の期間と言うのに,あまり楽しくない事柄が舞い込んで来てしまいました。まさに,乱舞です。とあるお寺が元裁判官の弁護士に法外で不当な金銭を要求されており,その対応の為の協議をして参りました。あさひのプチ預言にもあります通り,弁護士業界も最後の悪あがきが横行して来ています。はじめから到底,認められないような理屈をいくつも主張し,訴訟価額を上乗せして行く手段は当然の如く日常的に行われてきましたが,最近は,自分の依頼者とトラブルを巻き起こす弁護士が急増して来ているようです。弁護士は,必ず各都道府県に設けている弁護士会に所属していて,各弁護士会には弁護士の非行に対し処分を下す綱紀委員会や懲戒委員会が設置されています。

しかしながら,この弁護士自治と言う身内を身内が処分すると云うものにあまり期待も出来ず,泣き寝入りしてしまう人も多いのも事実であります。私の仲間の弁護士もある弁護士会で綱紀委員会副委員長をしておりましたが,近年は弁護士と依頼者のトラブルが特に多く,その中でも着手金や報酬金のトラブルが目立つと嘆いていました。そもそも日本人には,訴訟や争いは馴染まないことですし,もっと言えば,そのようなことは遺伝子(DNA)に含まれてはいません。相互扶助と奉仕の民族でしたからそれもそのはずです。しかし,昨今は,アメリカ等の真似をしているのか何なのか訴訟社会などと言われていますから何世代も訴訟するような社会が形成されて行くと,私たちの子孫の遺伝子(DNA)には紛争や訴訟をするのは当たり前な事だと言う記録がインプットされるようになってしまいます。仏教で云うところの修羅の道です。私は,紛争や訴訟をして幸せに豊かになった人をこれまで見たことがありません。関連記事「残された道は ただひとつ。相互扶助への道。」宜しければ,読んでみて下さい。

今回,私の任務は,不当に高額な訴訟価額を要求している元裁判官弁護士の懲戒請求とお寺の護持にありますので,楽しいお盆の期間中は,修羅の世界を覗かなければならないようです。どうか皆さんもお気を付け下さい。たとえ弁護士が理屈を以て捲し立てても信じ込むのではなく,いったん冷静になって弁護士会などの無料相談や各地域の法テラスで事案の内容を箇条書きにでもして担当弁護士にまずは相談すると云うことをされる様にした方が良いと思います。理屈はいくらでも作り上げることが出来てしまいます。真に残念ですが,裁判所などで行う訴訟と言うのは正義か否か,正しいか間違いかを決める場所ではありません。

事実論理言葉を以て,相手方や裁判官を説得する場であります。要は,起きた事案に法律をあてはめて結論を導くことです。したがいまして,正しい側が勝利する,正しい主張が認められると云うのは単なる幻想です。つまり,説得できた方が勝利する世界です。理屈には理屈を以て闘い,最後には道徳論で決することでしか現在の社会は動いて行かないようです。訴訟や争いをすると云うことが,その後の当人同士の人生にどのような影響が生じて来るのか,負けた人はどの様な人生を送らなければならないのかを弁護士はもっと真剣に考えるべき時期であります。それが出来る弁護士と出来ない弁護士で生き残れるかどうかが分かれて行きます。最後には,自分が審判を受けることを認識するべきです。負けて勝つことの大切さ,戦わずして勝つ技を磨かなければなりません。つまり,比較較量論を常に念頭に入れ,訴訟することによって得られる利益と訴訟することによって失われる利益を考えるのです。

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 



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