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荘子:養生主第三(1) 吾生也有涯,而知也無涯。以有涯隨無涯,殆已!已而為知者,殆而已矣!為善無近名,為惡無近刑,?督以為經,可以保身,可以全生,可以養親,可以盡年。 |
吾(わ)が生や涯(ガイ・かぎり)あり、而(しか)も知や涯(ガイ・かぎり)なし。涯(ガイ・かぎり)あるを以て涯(ガイ・かぎり)なきに隨(したが)うは、殆(あやう)きのみ。已(のみ)にして知を為(な)す者は殆(あやう)きのみ。善を為すも名に近づくことなく、悪を為すも刑に近づくことなかれ。督(トク)に縁(よ)りて以て経(つね)と為さば、以て身(み)を保(たも)つべく、以て生を全うすべく、以て親を養うべく、以て年(よわい)を尽くすべし。
われわれの人生は有限である。しかし、人間の知と欲とは、外へ外へと無限に広がってゆく。有限の身で無限のことを追い求めるのはあやういことだ。あやうきのみであるのに、なおかつ知の放埒(ホウラツ)に身を委ねる者は危険この上もないことだ。
善を行うことがあっても、名(メイ)に近づくことがあってはならない。悪を行うことがあっても、刑罰に近づくことがあってはならない。(名を得て喜ぶ者は名を失う悲哀の前に立ち、今日の栄誉を歓ぶ者は明日の刑戮に戦慄しなければならない ・・・ 福永光司)善悪二つながらに忘れた無心の境地に立って、これを「経(つね)」つまり、生活の根本原理としてよりどころとしていくなら、一斎の世間的な桎梏(シッコク)から自己を安らかに保って自由な生を楽しむことができるばかりでなく、親にも十分な孝養がつくせ、本来の寿命を全うして、生涯を無事に過ごすことができるであろう。

※殆(タイ)
あやうい。もう少しでよくないことがおこりそうで不安である。
◆会意兼形声。
台(タイ・イ)はすきを用いて働いたり、口でものをいったりして、人間が動作をすることを示す。以(作為を加える)・治(人工で水をおさめる)などと同系。
殆は「歹(死ぬ)+音符台」で、これ以上作為すれば死に至ること、動けばあぶないさまをあらわす。
※督(トク)
・中心になるもの。「督脈」
・「督中」(「督」は「中」なり)『莊子集解』
・「督(トク)は中の意。善と悪の真中、すなわち善に偏らず悪に偏らず、善もなく悪もない無心の境地をいう」(福永光司)
◆会意兼形声。
叔は「棒に巻きついたつる+又(手)」の会意文字で、心棒を中心にして締まる、散在した物をとりまとめるの意を含む。菽(シュク・つる豆)の原字。
督は「目+音符叔」で、みはって引き締めること。