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鶏をさくになんぞ牛刀を用いんや
(類) 牛鼎烹鶏(ギュウテイ ケイ を にる)
「牛刀」(ギュウトウ)、すなわち牛を切る大きな包丁(ホウチョウ)で鶏(にわとり)を料理する。小さい鶏をさばくために、わざわざ「牛刀」をもちだすなんて大げさだよ。つまり、「牛刀」にとっては役不足というわけだ。
草野球の監督を、あの世界の王貞治最高顧問に依頼するようなものか。これはだいそれたことである。(こんなことを考える人はいないと思うが)
「割鶏焉用牛刀(鶏をさくになんぞ牛刀を用いんや)」とは孔子の言葉で、『論語』の陽貨篇に登場する。
孔子が弟子たちを連れて、武城という小都市に来た。そこでは子游(シユウ)という、とてもまじめな弟子が長官を勤めていた。その子游先生、あまりにまじめすぎて、小さいエリアの代官をまかされているだけなのに、まるで天下を治めるような本格的な政治を行っているではないか。
それを見た孔子が、ニッコリ笑いながら「鶏をさくに・・・・」と言ったのである。
それを聞いた子游は、やはりあくまでもきまじめで、
「昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子学則愛人、小人学道則易使也」
私は先生に習ったとおりを、ベストをつくしてやっているのです・・・
孔子:「これは、やられた! 諸君、子游のいうのが正しい。さっきの言葉は、あれは、じょうだんだよ」
十干十二支 -- 干支(えと・かんし) |
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