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牛・丑・うし・ウシ(4) 庖丁解牛

2008年11月15日 23時41分20秒 | 故事成語

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庖丁(ホウテイ)

 刺身庖丁、出刃庖丁などという。今では「ホウチョウ」は「包丁」と書くが、もともとは「庖丁」と表記した。

 庖丁(ホウテイ)とは、料理人のこと。日本語となった「シェフ」の意。(chef とは、本来は料理長のことらしい)

 このシェフが使用するのが庖丁刀(ホウチョウがたな)であり、略して「庖丁」(ホウチョウ)

 「丁」を呉音読みすれば(チョウ)となる。

 もともとは普通名詞だった「庖丁」は、『荘子』養生主(ヨウセイシュ)篇では、料理の名人の固有名詞として登場する。

 「庖」は料理人、「丁」は名前とも(釈文)、仕事人のことともいわれる。

 その庖丁(ホウテイ)が、梁(リョウ)の恵王に頼まれて、牛を、一頭まるまる料理して見せた。

 彼の手の動かし方、肩に力を入れたり、足をふんばったり、膝をかがめたりする有様はみごとであった。

 牛刀が進むにつれ、肉と骨が、サクリサクリと離れ、肉がパサリと落ち、さらに牛刀を進めていくと、肉がザクリザクリと裂けていくのが、心地よいリズムに乗っている。

 その身ぶりは、「桑林の舞」(ソウリンのまい)といって、殷の湯王(トウオウ)が桑林という土地で雨乞いをした時の舞楽のようであり、その手ぶりは、「経首(ケイシュ)の会(しらべ)」といって堯(ギョウ)の時代の音楽である「咸池」(カンチ)というオーケストラ曲の一楽章のようであった。
 
 恵王は感嘆の声をあげる、

 「ああ、実に見事なものだ。技(わざ)も奥義を極めると、こんなにもなれるものか」

 すると、庖丁は牛刀を置いて、

 「これは技ではありません。私の願いとするところは、でありまして、以上のものでございます。

 私がはじめて牛を料理した時には、目にうつるのはただ牛そのもので、どこから手を付けていいか見当がつきませんでした。それが、三年目には、やっと牛の体の各部分が見えるようになりました。今ではもはや、目を使わずに、形を超えた心のはたらきで牛をとらえ、精神力によって、骨と肉との隙間(すきま)に刃を入れていき、けっして骨や「肯綮」(コウケイ) ─ 骨と肉の入りくんだところに刃が当たるようなことはありません。

 一級の料理人は毎年牛刀を取り替えますし、普通の料理人は毎月取り替えます。それはどうしても骨に打ち当てて牛刀を折ってしまうからです。

 私の牛刀は新調してから今日まで十九年使っていて、料理した牛は数千頭、しかも刃は新品同様です」

 と言った。

 この話を聞いた恵王は言った、

 「善(よ)いかな。吾(わ)れ庖丁(ホウテイ)の言を聞きて、生を養うを得たり」

 つまり、無理をしないのが人生をまっとうする方法であることを悟ったというのである。

 この話を「庖丁解牛」という。

 詳しくは、「荘子内篇の素読」 で読んでいく予定。

 荘子:養生主第三(2) 庖丁為文惠君解牛(庖丁、文恵君のために牛を解とけり)




十干十二支 -- 干支(えと・かんし)


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