[ブログ内検索]・[牛・丑・うし・ウシ 鶏口牛後] |
韓王は、「牛後」と言われただけで、どうしてここまで怒りを露わにしたのでしょうか。 じつは、この「牛後」、たんに「牛のしっぽ」とか「牛の尻」とかいうなまやさしい言葉ではなく、牛の「尻の穴」、すなわち肛門をさす言葉であったからです。 そらそうですよね。「鶏口牛後」は対句であるはずなのに、 では、対句になりませんよねえ。 で対応しているのです。 蘇秦から、 「合従の策」を受け入られないとすれば、その時は、あなたは、牛の尻の穴(肛門)になりさがったということですよ!」 と言われた韓王は、「肛門」などといわれては面子(メンツ)まるつぶれ、「いいやそれでも秦と同盟する」などとは決して言えなくなったのです。 「寧為鶏口無為牛後」、痛烈な決定打だったのですね。 |
鶏口牛後 「寧為鶏口無為牛後」 (注)漢字語源辞典に引用されている資料 <漢字の起源、巻15-43ページ> とは別の資料。 『漢字の起源』(加藤常賢・角川書店 1970年12月刊)より 《呉リョウ雲》の説 后字は反人に従い、口に従ふは尾下の竅なり。戦国韓策に「寧ろ鶏口となるも牛後となるなからん」と、史記蘇秦伝に同じ。リョウ雲謂へらく、この「後」字は当に「后」に作るべし、声の誤なり。張守節云ふ、「鶏口は小なれども乃ち食を進む、牛後は大なれども乃ち糞を出す」と ・・・ 后は尾下の竅たるや明らかなり(呉氏遺著 巻二) 后 = 「尻口(コウコウ)」 *「后」は後口、即ち糞孔の意 *「司」前竅、即ち生子竅の意 ・・・「司」の「続」の意は、継続して子を生む意から来ている。 p.456 1174「司」・1173「后」 |
次回は、藤堂明保博士の解説を紹介します。
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