漢字家族BLOG版(漢字の語源)

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♪図南の心誰か知る~♪

2008年10月06日 03時01分35秒 | Weblog

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「トナンノココロタレカシルーーー。 ・・・ セキアンワラウサカシサヨー。」


 こんな歌声が聞こえてきたのはずいぶん古い話である。私の学生時代か、卒業して間もない頃だからなあ。う~ん。

 この男声合唱団の歌声は、高校野球の勝利校を讃える「校歌斉唱」の声であることがわかった。どこかのラジオから聞こえてきたものらしい。

 歌詞の詳細は忘れてしまったが、記憶に残っているのが、「トナンノココロタレカシル」、「セキアンワラウサカシサヨ」である。これは、明らかに「図南の心、誰か知る」、「斥鴳笑う賢しさよ」であり、まさしく「荘子」逍遥遊篇「大鵬図南」のお話である。

 校歌の一節に漢籍を引用する場合、通常は儒家系統の文献から引いてくることが多いと思われるが、この学校の校歌はめずらしく、「道家」を典拠としている。感銘深い。最後まで聴いた。

 校歌とか校訓といえば、即物的な修身道徳の項目を提示するのが常であるが、この学校の校歌はきわめて哲学的であり深淵である。その上、その歌詞は、荘子:逍遥遊篇、冒頭の一番魅力的で味わい深い一節を祖述している。

 折に触れて、この校歌を歌う高校生たちは、将来、何かの折に、この歌詞の意味を「じわーっ」と感じるときがあるに違いない。

 このような魅力的な校歌をもつ学校は、どこの学校だったのだろうか。高校野球の出場校を検索してもわからないだろう。

 この校歌をかみしめながら育った学生たちは、おおらかに大きくはばたいていったことだろう。

 ところで「荘子」を「そうし」とよんだり、「そうじ」とよんだりする。
ある人は、人物名を呼ぶときは「そうし」とよみ、著書としての『荘子』を呼ぶときは「そうじ」とよむという。「荘子」といっても、そのさすところが人物のことなのか書物のことなのかが瞬時にわからないので、このような区別をするという。
 また、ある人は、人物名も書名も、ともに「そうじ」とよむという。その理由は、孔子の弟子である「曾子(曾参)」との混同をさけるためであるという。なぜ「荘子」の方が儒家に遠慮しなければならないのか、釈然としないが、とにかく、「荘子」の呼び方一つにもいろいろと流儀があるようだ。(福永光司先生は、前記の人物名と書名を呼び分ける方式をとっている)
 私は、大学時代のある先生が人物名・書名とも「そうじ」と言っていたので、両方ともそうよんでいる。
 まあ、こんなに細かいことをいっていたら、小さな魚の卵が巨鳥に変身したり、節くれ立って曲がりくねった大木が最高の木になるような「荘子」の世界には入り込めないであろう。あの校歌で育った人たちに笑われてしまう。

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荘子:斉物論第二(6) 一受其成形,不亡以待盡

2008年10月06日 01時24分10秒 | 漢籍
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荘子:斉物論第二(6)

 一 受 其 成 形 , 不 亡 以 待 盡 。 與 物 相 刃 相 靡 , 其 行 盡 如 馳 , 而 莫 之 能 止 , 不 亦 悲 乎 ! 終 身 役 役 而 不 見 其 成 功 , ? 然 疲 役 而 不 知 其 所 歸 , 可 不 哀 邪 ! 人 謂 之 不 死 , 奚  !其 形 化 , 其 心 與 之 然 , 可 不 謂 大 哀 乎 ? 人 之 生 也 , 固 若 是 芒 乎 ? 其 我 獨 芒 , 而 人 亦 有 不 芒 者 乎 ?

 一たび其の成形(セイケイ)を受くれば、亡(ほろ)ぼさずして以て尽くるを待たん。物と相い刃(さから)い相い靡(そこな)い、其の行き尽くすこと馳(は)するが如(ごと)にくして、これを能(よ)く止(とど)むるなし。亦(また)悲しからずや。修身役役(エキエキ)として其の成功を見ず。?然(デツゼン)として疲役(ヒエキ)して、其の帰(キ)するところを知らず。哀(かな)しまざるべけんや。
 人は之を死せずと謂うも、奚(なん)の益かあらん。其の形(かたち)化して其の心も之と然り。大哀(タイアイ)と謂わざるべけんや。人の生くるや、固(もと)より是(か)くの若(ごと)く芒(くら)きか。其れ我れ独(ひと)り芒(くら)くして、人も亦(また)芒(くら)からざる者あるか。


 人は一たび自然としての生をこの世に受けて人間となった以上、この自然としての生を、自然としてそのまま受け取り、これを亡(うしな)うことなく、命の果てる日を待つほかないであろう。しかるに世俗の人間は、徒らに外界の事物に引きずられ、他と争い傷つけあって、自己を耗(す)りへらして、その人生を早馬のように走りぬけ、これをとどめるすべを知らないのは、なんと悲しいことか。
 その生涯をあくせくと労苦のうちにすごしながら、しかもその成功を見ることもなく、ぐったりと疲労しきって、落ち着く所を知らない有様である。哀(あわ)れというほかないではないか。
 人はそれでもなお、「俺は生きている」というかもしれないが、これほど無意味な人生がまたとあろうか。その肉体がうつろい衰えて、心もそれと同時に萎(しぼ)んでしまったのである。これを大きな哀(かな)しみといわずにいられるであろうか。
 人の生涯というものは、もともとこのように愚かなものなのか。それとも自分だけが愚かで、世人のうちには愚かではない者もいるのだろうか。

line

成形
 人間としての形
 「一受其成形」ひとたび人間としての形を受けた以上は



 ■音
  【ピンイン】[mi2 / mi3]
  【漢音】ビ 【呉音】
  【訓読み】なびく、ない
 ■解字
  形声。「麻(しなやかなあさ)+音符非」
 ■意味
  (1)なびく。外から加わる力に従う。
   「燕従風而靡=燕は風に従つて靡かん」〔史記・淮陰侯〕
  (2)こする。すりへらす。
   「喜則交頸相靡=喜べば則ち頸を交へて相ひ靡す」〔馬蹄篇〕


?
 ■音
  【ピンイン】[nie2]
  【漢音】デツ 【呉音】ネチ
 ■解字
  会意兼形声。「艸+柔らかく小さい、げんなりしたの意の音符」。
 ■意味
  「?然(デツゼン)」とは、ぐったりと疲れるさま。
  「?然疲役而不知其所帰=?然として疲役して其の帰する所を知らず」
  一説に忘れるさま。
  世徳堂本では「?然」



 ■音
  【ピンイン】[wang2]
  【漢音】ボウ 【呉音】モウ
  【訓読み】のぎ、ほさき、ひかり、くらい、すすき
 ■解字
  会意兼形声。「艸+音符亡(ボウ)(みえにくい)」
  茫(みえにくい)と同系。
 ■意味
  (1)のぎ (2)ほさき (3)ひかり。光線の先端。「光芒(コウボウ)」
  (3)くらい(くらし)。ぼんやりくらいさま。おろかなさま。
   「人之生也、固若是芒乎=人の生まるるや、固より是くのごとく芒きか」