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荘子:斉物論第二(7) 夫隨其成心而師之,誰獨且無師乎

2008年10月07日 23時48分24秒 | 漢籍
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荘子:斉物論第二(7)

 夫 隨 其 成 心 而 師 之 , 誰 獨 且 無 師 乎 ? 奚 必 知 代 而 心 自 取 者 有 之 ? 愚 者 與 有 焉 ! 未 成 乎 心 而 有 是 非 , 是 今 日 適 越 而 昔 至 也 。 是 以 無 有 為 有 。 無 有 為 有 , 雖 有 神 禹 且 不 能 知, 吾 獨 且 奈 何 哉 !

 夫(そ)れ其の成心(セイシン)に随(したが)いて之を師とすれば、誰か独り且(は)た師無からんや。奚(なん)ぞ必ずしも代(か)わるを知りて、心に自ら取る者のみこれ有らんや。愚者も与(とも)にこれ有り。未(いま)だ心に成らずして是非を有するは、是(こ)れ今日越に適(ゆ)きて、昔(きのう)至れりとするなり。是れ無有(ムユウ)を以て有と為(な)すなり。無有を有と為さば、神禹(シンウ)有りと雖(いえど)も、且(まさ)に知ること能(あた)わず。吾れ独り且(は)た奈何(いかん)せんや。

 もし、自分に自然にそなわている心に従い、これをわが師とするならば、だれもがそれぞれに師を持つことになるだろう。何も、天地宇宙の生成変化の理法を悟って、自(み)ずから正しい判断を為し得る賢者だけが所有しているのではなく、この心の師は、愚者にもおのずから具わっているのである。
 ところが、すべての人間が自己の内に本来もつところの心に従わず、いたずらに(己れを是とし、他を非とする)是非の論議によって問題を解決しようとする限り、その本末を顛倒した愚かさは、たとえば数千里隔たった南の越の国に、「今日旅立って、昨日に到着した」という詭弁をもてあそぶことになる。このような有り得べからざることを有り得ると主張する愚かさに対しては、あの神の如き知恵を持つという古(いにしえ)の帝王、禹(ウ)の聡明さをもってしても、施すすべがないのである。ましてこの私にそれをどうすることができようか。

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成心(セイシン)
 (1)天から受けた曇りのない心。本来の自己の内に持っている心。
  「随其成心而師之=其の成心に随ひてこれを師とす」
 (2)あらかじめ心に思い定めている考え。先入観。(←金谷治)


奚必知代而心自取者有之?
 成心は天成の心であり、自然にあたえられたものであるから、いろいろあるうちから選択して得たものではない。選択という人為を越えた、自然のものである。(森三樹三郎)


今日適越而昔至
 「天下篇」にみえる恵施の詭弁。
 恵施は無限大の時間を考えるのであるが、無限の時間に比べれば、昨日と今日との時間の隔たりは無にひとしい、というのである。

[天下篇](抄)
 恵施の学問は多方面にわたり、その蔵書は五台の車に積むほどあったが、その説く道は矛盾に満ちて統一が無く、その議論は道理にあわない。物のもつ意味を列挙して、次のように述べている・・・・

 (前略)─
 ・天と地は同じ高さにあり、山と沢とは同じ高さにある。
 ・太陽は中天にあると同時に、東西のいずれかに傾いている。
 ・万物は生まれると同時に死んでいる。
 ・南方にははてがないと同時に、はてがある。
 ・今日(きょう)越の国に向かって出発することは、昔(きのう)越の国に到着したということである。
 ・鎖(くさり)のようにつながった知恵の輪は、解くことができるものである。
 ・私は世界の中央にあたる場所を知っている。それは、北国の燕(エン)の北、南国の越(エツ)の南にある。
  ─(後略)

 恵施は、この論法をすぐれたものとして自負し、ひろく天下に示し、弁者たちに教えた。天下の弁者たちは、たがいにこれを論じあって楽しんだ。


(ウ)
 夏(カ)の開祖とされる伝説上の聖王。黄河の洪水をおさめたといわれる。
 夏后氏禹、または有虞(ユウグ)氏禹ともいう。
 帝舜(シュン)に推されて王となった。その子は啓。
 「巍巍乎、舜禹之有天下也=巍巍乎たり、舜禹の天下を有つや」〔論語・泰伯〕
  
禹(字形)
■解字
  象形。後足をふまえて尾をたらした、頭の大きい大とかげを描いたもので、もと大とかげの姿をした黄河の水の精。からだをくねらせた竜神のこと。
  のち、それが儒家によって人間の聖王に転化された。




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