夏休みの宿題と言えば自由研究。不思議に思うことを調べれば良いと先生は言うけれども、小学生が疑問に思うことというのは本質的な問題が多く、簡単には答えられません。亡き父によるとハウル少年は子供の頃尋ねたそうです。「川から海に水がいっぱい流れてくるがにい、どうして海は溢れんが?」もちろん今の私なら彼に答えを教えてあげられますが、夏休みの自由研究のテーマとしては問題が大きすぎます。かといって小さな問題はちょっと調べれば本に書いてあります。夏休みの自由研究のテーマの要件としては、小学生が不思議に思うこと、小学生が使える技術で実験や観察ができること、その結果が小学生の読む本には書いてないこと、の3つを考えます。しかしこの条件を満たすのは普通の小学生には不可能です。学校の先生に訊いた訳ではないので推測ですが、今も昔もおそらく3つ目の条件は重要視していないのでしょう。でも本に書いてあることをしても面白くないと感じていた、こわくな(生意気な)彼は悩んでしまい、自由研究にいつまでたってもとりかかれませんでした。そんな夏のある日の夕方。家の裏山の沼で石を投げてハウル少年は遊んでいました。夏休みの宿題は気にはなるけど、良い考えも浮かばずただ石を投げ込んでいました。その石が作る水面の波紋を眺めているうちに思いつきます。「そうだ、波や。」無謀にも彼は自由研究のテーマに「波」を選んでしまいました。
ハウル少年の疑問は単純でした。軽いものと重いもの、どちらの作る波が速いのか?早速家に帰って実験してみました。彼の父が大工だったので木の切れ端は文字通り捨てるほどありました。家の風呂に水を10cmぐらい張って、小さな木片と大きな木片を浴槽の端で落とします。すると波が起きるので、対側の端に到達するまでの時間を時計で計ります。2,3回実験して藁半紙かなにかに結果を書きなぐって提出しました。
夏休みが終わり、しばらくして。なんとなんと彼の「波の研究」は県の科学展に出品されることになりました。藁半紙は大きなガンピ(模造紙)に昇格し、学校の先生があれやこれやとたくさん、たくさん手直ししてくれました。元々は実験もレイアウトも問題だらけだったことは想像に難くありません。今ちょっと考えただけでも、木片が大きくなれば重くはなるけれども、形も大きくなっているので境界条件の設定からして既に問題があります。重さよりも大きさに関係がある可能性もこの実験系では排除できません。また当時の家にあったアナログの時計で、狭い浴槽で波の到着を目視で計時していたのでは誤差が大きすぎです。ハウル少年浅はかでした。そして手直しのうちに、あまりに手が入るので「なんかそれ違わんけ?」といった感じで、だんだんと片付かない気持ちで一杯になりました。おそらくはその過程でおきたのでしょう、残念ながらハウル少年は実験結果を忘れてしまいました。「波の研究」はもう彼のものではありませんでした。
医局の学会予行(学会発表の予行練習)の際に、「そうしろというわけではないけれども、そこの○○は××にした方がいいと思うけど。」と回りくどく私が改善点を述べるのは、このことと関係があるのかも知れません。
ところで、ハウル少年の実験結果を忘れてしまった以上、私の夏休みの宿題はある意味終わっていません。どなたか答えを教えて下さい。オヤジハウルは次のように予想します。「木片の大きさ重さに関わらず、波の伝播速度は不変。」
がんセンターのハウル