金沢大学がんセンターブログ

金沢大学がん高度先進治療センター医局における
日々の出来事を適宜更新していきます。

「修士課程修了」

2011-03-24 15:23:10 | 日記

3月になり、卒業シーズンで慌ただしい時期を迎えております。
金沢大学がんセンターでも今年は、2名の大学院生がそれぞれ無事に学位を取得し、卒業することとなりました。

今回は、2年間の修士課程を修了した坂東君からコメントが届きましたので、掲載いたします。

坂東君は、この2年間の大学院生活で成長し、今では立派な社会人として巣立とうとしています。その過程を共有できた我々も、大変うれしく思います。

坂東君、ご卒業おめでとうございます!!

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修論発表を終え、ついに修士過程の学位を取得することができました。

発表会では、主査・副査の先生方から浴びせられる質問に満足に答えることができず、我ながらひどい出来だったと反省するばかりです。公の場で、分からないことを「分からない」と即座に言えることは、とても重要な(そして難しい)ことだと実感しました。
しかし、何とか学位を認められ、ほっと胸を撫で下ろしています。

振り返ってみると、この2年間本当に沢山の方々に支えられてきました。

特に実験の手法から論文の書き方、そして日々の些事に至るまで、あらゆる面において熱心にご指導・ご助力下さった、矢野先生をはじめとする腫瘍内科の皆様方には本当にお世話になりました。
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきます。
ご迷惑を沢山お掛けしてしまいましたが、その都度成長することができました。
4月からは社会人として新たなスタートを切ることになりますが、腫瘍内科で学んだことを活かし、頑張っていきたいと思います。


最後になりましたが、お中元・お歳暮に過度な期待をするのは勘弁してください。

 

2年間本当にありがとうございました。

 

坂東英明


Sauve qui peut ! その1

2011-03-14 17:52:35 | 日記

3月11日、午後。はうるは東10階でコンピューターをカチャカチャしていた。紹介状の入力の際に日付を確認、そうか、今日は妹の誕生日だ。後で電話でもしとくか。今更誕生日に電話なんておかしな気もするが、父が亡くなって以来、こういうことに関する感じ方が変わってきたのも事実だ。あれ?おかしいな、ふらふらする。

「揺れてますね。」同僚のB先生が言う。本当だ、揺れている。ゆっくりおおきく。「めまいかと思った。」ナースがびっくりしている。金沢大学病院は最新の免震構造である。階が高いので揺れやすいのだろうとみんなで話し合う。「大丈夫大丈夫。北陸で一番安全な場所はここだから。」そう言って平静を装ってはみたが、揺れの時間が結構長いので少し不安になる。デイルームのテレビを見た誰かが、東北で震度7らしいと教えてくれた。

医局に戻ってテレビを見た。大津波警報が発令されていた。「大」津波警報という警報があることを初めて知った。「大」の中身が何なのか、直後に流された映像が教えてくれた。日常が悪魔のような水塊に呑み込まれていく。見たことはもちろん、想像したことすら無い光景だった。がんセンターのスタッフが段々集まってきて皆で見るが、言葉にできない。

画面の右下には大津波警報の範囲が示されている。範囲があまりに広すぎる。しかもリアス式海岸で有名な海岸を含んでいる。犠牲者の数は数千人になりうると直感した。

同日夜。当直だった。関東に住む妹に電話してみる。つながらない。テレビは気仙沼の火災を報じている。絶望的な映像。テレビを消すこともできず、呆然と一夜を過ごした。

翌日の午前中は外勤だった。天気の良い、いつもの土曜日だ。車の調子も良い。でも今ひとつ現実感がない。これは本当にいつもの土曜日なのか?

帰り道。車のガラス越しに中学生が卒業証書を携えて下校していくのが見える。K中学の卒業式だったのだろう。その光景とAMラジオから聞こえる津波の被害レポートが頭の中で両立しない。


「フルマラソンの思ひ出5」 最終回

2011-03-08 22:24:12 | 日記

40km地点に到達しました。

ここまで来れば、完走はほぼ確定したようなものです。

ただ制限時間という嫌がらせがあるので、のんびりすることはできません。

制限時間を超えてしまうと、たとえ完走しても記録には残らないのです。


この辺りではとにかく、100m毎に設置されている距離札がよく目につくようになります。

40.1km地点 40.2km地点…

序盤は、ふと気付くと2km進んでいるなどということも珍しくなかったのですが

ここに至っては、一刻も早くこの地獄から抜け出したいという一心で

とにかく距離札を探しながら走り続けることになります。

40.4km地点 40.5km地点 40.6km地点…

ゴールに向かって進んでいることがようやく実感できます。


そして42.195km地点、栄光のゴールです。

ゴール地点にテープが張ってあり、そのテープを切った瞬間多数のギャラリーが拍手で迎えてくれます。

ゴールと同時に倒れ込んでしまいましたが、駆け寄ってきた人々が肩を貸して下さり、よく頑張った!と労ってくれます。

そんな演出があればいいのですが、実際は全くそんなことはありません。

制限時間ギリギリともなると、もはや飽きて拍手すらしないギャラリーと、

死にそうになりながらフラフラとゴールするランナーがいるのみです。


完全な自己満足によるゴールを達成した後は、

制限時間内に完走したランナーのみ貰える、記念のバスタオルを受け取りに行きます。

そう、このバスタオルこそが一流ランナーと三流ランナーとを線引きする明確な印なのです。

バスタオルを羽織っていることが会場内においてこの上ない名誉であるため、

しばらくの間はバスタオルと共に意味もなくうろうろと歩き回ることになります。

ちなみに現在、このバスタオルは我が家の鍋敷きとして活躍しています。


と、こういった感じで、初めてのフルマラソンは幕を閉じました。

翌年もその翌年も参加し、何とか完走することができました。

ゴールする瞬間の達成感は本当に良いものです。

ちなみに、今年度は当日に雨が降っていたので、何事も無かったかのように家でのんびり過ごしました。

(大会そのものは雨天決行なのですが、雨の中フルマラソンを走るというのは鬼畜の所業に他なりません。)

来年度は、また頑張ってみたいと思います。天気に恵まれれば…。

 

最後に

フルマラソンを走った後に体重を測ってみたところ、2kgほど減っていました。

世の女性方には、ぜひフルマラソンダイエットをお勧めしたいと思います。

 

感動?のゴールシーン、足が全く上がっていません・・・

 


「フルマラソンの思ひ出4」

2011-03-07 08:43:43 | 日記

空腹のまま走り続け、35km地点に到達しました。

しかし未だに休憩所は見当たりません。

腹は減り、食べるものは無く、足は痛みます。

なのに走り続けている自分に対して、本気で疑問を抱き始めるのがこの頃です。

そんな心理を見越してか、小中学生の応援メッセージも


「あなたは何故走っているの?」

「走った先に何があるのか?ゴールとは何か?」


こんな哲学的なものへと変わっていきます。

序盤にあった明るい前向きなメッセージはどこへ行ったのでしょうか。


また、一緒に走っている友人、さらには周りのランナーも死にそうな顔になっており

負のオーラが充満するのもこの頃です。

このオーラに飲み込まれてしまい、膝を抱えてうずくまる人が多数現れてきます。

そんな状況ですから、残り10kmが果てしなく遠く感じるのです。


そして…38km地点、待ちに待った休憩所に辿り着きました。

おにぎり、味噌汁、バナナ、オレンジ、あんパン、そしてあの茶色の物体が所狭しと並んでいます。

それらを涙を流しながらむしゃむしゃと食べて、締めにお茶を飲んで一服することができました。

この飽食の時代に、食べ物の有難味を知ることができる数少ない機会ではないでしょうか。

そして満腹になって満足し、よしじゃあ帰ろうか、と全てを投げ出して帰ろうとするのですが

おばちゃんの「あと少しやからね!!」という言葉を聞いて我に返り

残り4km、ゴールを目指して走ることになります。

 


つづく

 


「フルマラソンの思ひ出3」

2011-03-05 09:16:34 | 日記

前回の世にも恐ろしいトラップにも屈することなく走り続け、

無事次の休憩所へ到着し、喉も潤いました。


この辺りから山道に差し掛かるのですが、その関係で

道端で応援して下さる方がどんどん減っていき、黙々と走り続けることになります。

代わりに、地元の小中学生からの応援メッセージが書かれた看板があちこちに立てられており、

それを見て元気をもらうようになります。


しかし20km地点ともなると、調子に乗って序盤に飛ばしすぎた若造がへたれてくる頃です。

「目指せ完走!」「頑張れ!」などの寄せ書きでいっぱいのシャツを着た若造が

足が動かなくなったのでしょうか、足をバンバン叩きながら「ちくしょう!」と叫んでいました。

僕は必死で笑いを堪えながらその脇を通り過ぎました。


その後は西田ひかるを思い浮かべながら走り続け…ようやく30km地点に到達しました。

このあたりがまさに山場です。

ここまでは勢いで何とかなるのですが、そろそろ疲労も誤魔化し切れなくなってきます。

そして、意外と盲点なのが「空腹」です。

朝食は軽めに済ませますし、午前10時にスタートしてから

ここまで到達するのにおよそ2~3時間は掛かります(一般人の場合)。

つまり、体力的・精神的に最も辛いこの時期がちょうどお昼時で、

小学生のころ土曜の昼に食べたラーメンが急に恋しくなってくるのです。

ここでホームシックに陥り脱落したランナーは数知れません。


さらに、このあたりから何故か休憩所がパッタリと無くなります。

どう考えてもこれは嫌がらせに違いないのですが、

明らかに序盤に比べて休憩所の間隔が広がっています。

とにかく空腹が深刻なレベルに達するのですが、休憩所が無くてはどうしようもありません。

これまでスルーしてきたバナナや太巻きが、そしてあの恐ろしいトラップでさえ恋しくなってきます。

あのときのバナナを懐に隠し持っておけば今頃は…! などと本気で考えることから、

この時点での極限状態を理解していただけると有り難いです。


そしてバナナを思い浮かべながら走り続けることになるのです。

 


つづく


「フルマラソンの思ひ出2」

2011-03-04 13:34:58 | 日記

序盤はとにかく気持ち良く走ることができます。体力的に余裕があることも勿論ですが、

地元の方々の応援が最も華やかな時期であることが大きな要因です。

小学生の楽器演奏から、おばさんのカラオケ(熱唱)までバリエーションも豊かで

走りながらも楽しませてもらえます。

道端で旗を振って応援して下さる方も沢山いらっしゃいます。

そんな中で走ると、自然と足取りも軽くなるものです。


そうして気持ち良く走っているうちに休憩所(5km地点)に到着しました。

ここにはスポーツドリンクの他、バナナ・太巻き・チョコ・塩・レモン・あんパンなど

多彩な食べ物が用意されており、まさにフルマラソンという名の地獄に存在する仏です。

しかし、その仏を管理していたのは地獄の使者でした。


ドリンクを飲み干し、無難にバナナに手を伸ばそうとしたところ

休憩所のおばちゃんがものすごい勢いで話し掛けてきました。

「お兄ちゃん!これ揖斐の名物やから!!これおいしいから!!これ食べていきなさい!!これ!!!これ!!!!!」

おばちゃんが謎の茶色の物体を指差し、しきりに勧めてきます。

うーん、こんなに熱心に勧めてくれるなんて。相当おいしいものに違いありません。

僕は言われるがままその謎の茶色の物体を手に取り、口に放り込みました。


??

これは…!?

あまりおいしくない!

そして…


口の中の水分が一瞬にして奪われました。


そう、僕はトラップに引っ掛かってしまったのです。

フルマラソン初心者を狙った恐ろしいトラップです。

急いでドリンクを取りに戻ろうと思いましたが、後ろは多数のランナーでごった返しています。

もはや手遅れです。


いま思えば、僕がその謎の物体を手に取った瞬間、おばちゃんがニヤリと笑ったような気もします。

しかし、当時の僕がそれに気付くことはありませんでした。

真相は謎のままですが、ともかく僕は口の中がカラカラのまま

次の給水所まで走ることになり、早くもフルマラソンの恐ろしさを思い知らされました。


後日「揖斐 茶色の物体」で検索したところ

それらしきものは全く見付かりませんでした。

あれは一体何だったのでしょうか。


つづく


「フルマラソンの思ひ出1」

2011-03-04 13:20:00 | 日記

矢野教授が就任されて初の大学院生のひとりである坂東君もいよいよ修了を迎える時期になりました。

我々の研究室でも活躍してくれていましたが、就職氷河期を迎える中で、彼はいち早く就職先の内定をもらっておりました。
今後の将来が大変楽しみな青年です。

そこで今回は、これまでため込んでいたネタを披露してもらうことにしました。
全5話の大作となっていますので、ご覧ください。

 

今回、当ブログに記事を載せる機会をいただきまして

僕がライフワークとする(予定の)フルマラソンについて書かせていただくことになりました。

フルマラソン走っていますなんて言うと、大抵の人に「(゜Д゜)?」などという顔をされるので

普段は間違っても口にしないのですが、今回は折角の機会なので

毎年11月に岐阜県で開催される「揖斐川(いびがわ)マラソン」初参加時の思い出を書いていこうと思います。

これから参加する方もそうでない方も、参考にしていただければ幸いです。


フルマラソン大会についてあまりご存じでない方も多いと思われますが、

大抵は秋~冬にかけて、大体どの地域でも開催しています。ハーフマラソンも同時開催されます。

町を挙げての一大イベントであり、会場に多くの屋台が並ぶことも珍しくありません。

また、大会によっては前夜祭などというものが催されて

食べ放題飲み放題やりたい放題できる場合もあるみたいです。


さて、「揖斐川マラソン」当日は開会式から始まるのですが、毎年豪華ゲストが登場して挨拶をしてくれます。

大会を盛り上げようと、元マラソン選手の有森裕子さんや高橋尚子さん、

果ては、いびがわにもマラソンにも何のゆかりもない西田ひかるさんまで来てくれます。


大盛況のまま開会式が終わり、しばらくぼけーとしているといよいよスタートが切られます。

号砲が鳴って一斉にスタート! …というのは最前列の兵(つわもの)だけの話で、

大抵の人は前が詰まっているので、しばらくの間だらだらと歩くことになります。

だらだらと100m程歩いたところで、西田ひかるがゴンドラの上から手を振っているのが見えてくるのですが、

その美貌と相まって、まるで神様が荒れ果てた地上に降臨なさったかのような錯覚を覚えます。

手を振り返したところ、僕に笑顔を向けてくれました。きっと僕のことが大好きなのでしょう。


そして、そのゴンドラの下を通り抜けるとちょうど前方が開けてきます。

いよいよ本格的に走り始めることになるのです。

 


つづく

 


サンフランシスコ一人旅

2011-03-01 17:53:31 | 日記

224 () から27 () までサンフランシスコでAACR (American Association of Cancer Research) Special Conferenceがあり、当科から小生が参加させていただきました。当初は矢野教授のカバン持ちという軽い気持ちでの参加予定でしたが、急遽矢野教授が参加できないことになり、一人での参加となりました。海外は今回が4回目で、学会に限ると2回目でしたが、今まではいずれも連れがいましたので、少々不安な出発でした。 

まず、サンフランシスコ国際空港に降りて、入国する際に書類を計4回も繰り返してcheckされたのには正直面食らいました。テロ対策の一環で致し方ないのでしょうが。 

到着翌日にはほぼ1日自由時間があったので、市内観光を楽しみました。サンフランシスコの天候はほとんど晴れていて温暖とのイメージで行ったのですが、当日はあいにくの曇り空で、時に雨もぱらつく天候でした。当日は約10kmを徒歩で移動し、フィッシャーマンズワーフ、ゴールデンゲートブリッジを見学しました。ゴールデンゲートブリッジは1937年に建てられたサンフランシスコ随一の観光名所で、日本の瀬戸大橋と姉妹橋になっているそうです。 

さて、肝心の発表は225 () にありましたが、DrドネブのClinical Cancer Researchに最近掲載された内容についてポスター発表を行いました。質問にその場で答える形式でしたが、多くの質問をいただきました。自分の片言の英語では十分理解してもらえなかったところもあり、論文のコピーを渡して何とかしのぎました。また、30部用意したポスターの縮小コピーはすべてなくなり、当教室の研究成果を少しは世界に広められたかなと思っています。 

最後の夜は当地で知り合った日本人の先生方計5人と韓国料理店で食事をし、大変楽しいひと時を過ごしました。いずれの先生も面識のいない先生でしたが、今回の学会を通じて知り合いになれたのは大きな収穫でした。 

以上、わずか3泊の短い期間ではありましたが、異国の文化に触れ、また世界の一流の先生の講演を直に拝聴することができ、大変勉強になりました。当教室では今後も積極的に海外での学会発表を行い、世界に向けて多くのものを発信してゆきたいと考えています。 

文責:大坪公士郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポスター会場にて。

ちなみに今回の学会では正装の必要はなかったようで、ネクタイ姿は周りを見回しても自分だけでした (海外の学会では、基本的にはそのようです)

 

 

 

 

 

 

ゴールデンゲートブリッジにて。

サンフランシスコ随一の観光名所には感動しました。

 

 

 

  

朝陽に映えるベイブリッジ。

ゴールデンゲートブリッジができる1年前の1936年に建てられたそうです。ホテルの一室から撮影しました。