かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

ダンス白州2006

2006年07月13日 | 見 聞
 この夏、山梨県の白州町に行ってみませんか?
 芸能と工作・大地との共存ー舞踊・芝居・音・美術・物語・建築・映像・農業。
 2006年8月1日~20日。
 孤独は山になく、街にある。ー三木清
 観客としてでなく、スタッフ募集もしております。
 詳しくはこちら。
 Dance Hakushu 2006

高島野十郎展

2006年07月10日 | 見 聞
 今夜の東京には、こんな丸い月が出ている。
 設計という作業は、敷地の中で無限にある可能性の中からたったひとつだけのかたちを選ぶ。これはほとんど不可能な作業のように思える弱気な時もある。100通りの案を描いて満足できるもんでもない。出てきた多くの案を分類し整理しわかった気になるか。他人の意見を聞く。悲観と楽観を繰り返す。取捨選択して前へ進まなくては。そう納得させる。誰を。
 週末、三鷹市美術ギャラリーで行われている高島野十郎展に行った。彼は、月と蝋燭を繰り返し繰り返し描いている。その他を捨て去るように、月と蝋燭に向かっていく。そうでもしなければ描けなかったのかもしれないとさえ思えた。そしてそこに向かい降りていくことでわかる何かがあるんだろう。方法はひとつではないが、人生は長くない。
 「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」とは、彼の遺る数少ない言葉。

26番 楽しさを知るのに大きな理由などない

2006年06月04日 | 見 聞
 目白界隈を中心とした『目白バ・ロック音楽祭2006』が6月2日から25日まで開催されています。東京カテドラル、自由学園明日館、和敬塾本館、立教大学第一食堂、目白聖公会などちょっといい感じの歴史ある建物で、様々なコンサートが行われます。
 夕べは東京カテドラル聖マリア大聖堂でのオープニングでした。普段は〈新宿、横丁、歌謡曲〉路線の僕たちが、〈目白、教会、古楽〉にチャレンジしてきました。いつ、なんどき、教会の設計が頼まれるやも知れませんから。
 「聖母マリアの頌歌」を聞きながら丹下健三の傑作「東京カテドラル」を体感できたことは何よりでした。教会建築は歌とともにあるんだなぁ、という素朴な学習でもありました。

満来

2006年05月19日 | 見 聞
 世田谷線山下駅(小田急線豪徳寺)のすぐ近く、小さな商店街に小さな中華料理の店があります。テーブルは4つで16席、カウンター3席。メニューに注目。圧巻。ラーメン並200円ですよ。なるととねぎとチャーシューとメンマ。醤油ラーメンの王道。店の雰囲気もばっちり。
 別にラーメン通でも何でもありません。ラーメン戦争などと騒いでいますが、まずスタンダードからお願いします。何も足さない、何も引かない。このなつかしの味は、十勝の丸美ヶ丘温泉のラーメン以来か・・・

イエモン

2006年05月06日 | 見 聞
ある日のバス。女子高生の早口会話。
A「何聞いてんの?」
B「イエモン」
A「イエモン?」
B「知らない?」
A「知らねっ」
A「ていうか、お茶なら知ってる」
B「それ伊右衛門じゃん」
A「はははっ、違うの?」
B「イエローモンキー」
A「なにそれ?猿?」
C「カラオケ行く?」
A「イエスイエスイエス」

『それでいいのですか?』

2006年04月25日 | 見 聞
 それでいいのかい?ちゃんと自問自答してくれ
 それでいいのですか?アンタだって気がついてる
 それでいい訳ない コレがその無様な結果
 あぁ、そこで嘆くのかい?なら一生負けちまえ

 より子の『それでいいのですか?』。実施設計を手伝いにきた学生に勧められた。図面に向かっている時にこんな曲はこたえます。小児がんを克服しインディーズからメジャーデビューを果たしているまだ21歳です。おすすめ。

 自分を変えるのは私じゃない アンタ自身さ
 すぐ、どうすればいい?って聞くのいい加減ヤメなよ
 そんなの自分自身で考えろよ最後まで
 時間がかかっても 正しい答えを出せよ

 自分の勝手で答えを選ぶなよ
 もう諦めるのかい?
 それでいいのですか?
 
 より子:よりスタ|ホーム|

柳橋と花柳界

2006年04月23日 | 見 聞
 以前書いた、柳橋と鉄つながりです。桜座チラシにこんな記事がありました。
 『江戸には吉原や深川、そして柳橋といった花柳界が名高かった。戦後もその賑わいを保っていたのだが、平成2年に最後の料亭が休業して200年の歴史に幕が下りた。80数軒あった料亭も、沢山の芸者衆の姿も今はない。柳橋の芸者さんは遊女と違い「芸」で立つことを誇りにし、とてもプライドが高かったという。唄でも踊りでも芸者は自腹を切って稽古をする、発表会には100万単位のお金がかかる、そんな世界は遠い過去のものとなってしまった。』
 写真は、橋のたもとの記事と見比べてみて下さい。

『風を見た女』

2006年04月20日 | 見 聞
 つかこうへい原作の芝居『風を見た女』、千秋楽を観てきました。普通の芝居の3倍はありそうな台詞量に脳みそやや疲れ気味。
 1970年と現代を行き来する時間設定。学園紛争とテロを重ねるテーマ設定。闘争と逃走。いつでも誰でも裏返る人間。なんだかんだとごちゃ混ぜ、歌も踊りも下ねたもごちゃ混ぜ、よかった。
 風とは、貿易センタービルに突っ込む時の向かい風か?イスラム世界に吹く血なまぐさい風か?現代日本に吹く生温い風ではなさそうです。ラマダンという行いは、貧しい人の気持ちを知るために食事をしないというイスラムの教えだといいます。ならばどうしてテロに走るの?いつでも大真面目に面白おかしいつかこうへいです。 

橋のたもと

2006年03月17日 | 見 聞
 神田川が隅田川に流れ込む、その最後に架かるのは柳橋という小さな橋。東に隅田川を望み、西を振り返ると写真のような屋形船が浮かぶ。日が沈む。その柳橋の両たもとに「小松屋」という小さな建物が向かいあって建つ。かたや船宿、かたや佃煮屋、今も変わらない佇まいとスケールがとてもいい。佃煮屋のガラス戸を開けると、江戸時代の両国橋と柳橋あたりの繁栄が描かれた絵が飾られている。このすぐ近くに、ヤマカワラタンのショールームはある。

北田英治写真展「ル・コルビュジェのインド」

2006年03月06日 | 見 聞
 明日から北田英治写真展「ル・コルビュジェのインド」がGallery A4で始まる。その準備を手伝った。場所は東西線東陽駅すぐの竹中工務店東京本店内にある。今月23日にはシンポジウムも開催される。会期は4月14日までで、入場は無料。
 コルビュジェは生涯で一度だけ来日している。1955年11月、上野にある西洋美術館の設計者としてやってきたことになっている。でも本当はインドへ向かう途中に立ち寄った程度かもしれない。それくらいこの時期、彼はインドへ傾倒している。インドへの渡航は23回に及んだという。今回の写真展はそんなコルビュジェが見たインドと建築への再訪の記録である。
 話は戻るが、コルビュジェが来日した際、吉阪隆正が連れ添っているのだが、その様子を書き留めた日記が遺されていて面白い。「東京は一寸も小鳥がいない都市だが、どうも焼き鳥屋が多いところをみると、みんな食ってしまうのではないか、とかと冗談のひやかしも云っていた。」鳥しげという焼き鳥屋に連れて行ったそうだが、まさか渋谷の鳥重だったりしないか。

「自分の感受性くらい」

2006年03月04日 | 見 聞
ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

 詩人茨木のり子さんが先月79歳で亡くなりました。この詩集をさし上げた友人から聞いて知りました。強い詩人でした。70歳の時に出した「倚りかからず」は詩集としては異例のベストセラーだそうです。「もはやできあいの思想には倚りかかりたくない」

山田脩二展

2006年02月28日 | 見 聞
 荒川静香だけが見せた別次元のパフォーマンス、その残像が焼きついたまま、兵庫県立美術館【山田脩二の軌跡ー写真、瓦、炭】に向かった。山田脩二はいわば多次元パフォーマー。その日は安藤忠雄と山田脩二のトークショーの特典付きだった。この内容はほとんど活字化不可能。
 脩二さんとお会いする時は酒の席、あるいは酒を飲まれていることが多い。坊主頭をさすりながら下らないダジャレを連発する。そしてみんなの反応を見回すように視線が宙を泳ぐ。こちらが笑うとすごく満足そうなお顔。こんな愛くるしさでいつも接していただき、偉ぶるところ微塵もない。篠山紀信や磯崎新、伊東豊雄、安藤忠雄を向こうにまわしても変わることもない。3月17日には田中泯さんが展示会場で踊るという。
 さて脩二さんの活動の軌跡を眺めては感心するばかりだった。早熟な視線と決断。判断の早い人に多い飽きっぽさもない。普段接する脩二さんと写真、言動と制作は完全に一致しているんだということを改めて感じることが出来たように思う。脩二さんは「この世に建築家なんかいらない」と冗談だかなんだかわからないように仰る。これもパフォーマンスだろうが本音だろう。

展覧会図録に多木浩二さんがとてもいい文章を書いておられます。購入可能です。
山田脩二の軌跡-写真、瓦、炭...展 図録申し込み

河井寛次郎

2006年02月22日 | 見 聞
 京都の東山にある河井寛次郎記念館を訪ねた。柳宗悦らと民藝運動を進めた人だ。陶芸家にも関わらず自ら設計した住宅兼仕事場が記念館になっている。最近触れていなかった、やわらかい光が注ぎ込む空間がとてもとても印象に残った。写真でうまく伝わるだろうか。この光を忘れてはいけないのだと確信を持って帰ってきた。

 お孫さんが学芸員をされていて受付にいらっしゃった。河井は、人間国宝も文化勲章も断っている。その理由を聞かれて、彼女はこんなふうに話している。
 「一つは、人間が人間をランク付けすることのナンセンスさ。二つ目は、自分ひとりでやっている仕事ではないということです。陶器は分業で、土を調達する人、薪を調達する人、窯を焚く職人さん、割った破片の後処理をする人など、いろいろな人々の力で成り立ちます。ましてや土を自然界からいただき、木や火のおかげで仕事をしているのだから、自分ひとりが賞をいただくわけにいかないと思ったんでしょう」

 河井らしい言葉が残っている。
 整った物の物足りなさ
 行き届かない物の救い
 人に見られない喜び
 誰にも知られない自由

4000回のダンス

2006年02月09日 | 見 聞
H・あなたはいったいどこからきたの?
T・いつも誰かに憧れている、だから主体性なんてありません
M・主体性なんて持っちゃダメ
T・私が私にとっての例題
T・私は劣っているんです
T・自信が根拠になったことはありません
M・よくも整理しないまま踊ってきました
M・句読点やセンテンスで分けたくないのね
T・分裂したい
H・本当にこの花が美しいと思った時、ありがとうって言える?
M・環境は引用じゃない、あるから踊ってる
T・踊りだって言える踊りは何?
H・田中くん、あっちに行くの?

T・田中泯
M・松岡正剛
H・土方巽

松岡正剛講演「日本人の面影」が桜座であります。
桜座公式ページ

T・人の振り見て我が振りなおせ

セクシーフットボール

2006年01月09日 | 見 聞
 国立競技場で行われた高校サッカー決勝戦を観戦してきました。故郷、滋賀県の野洲高校が初優勝することができました。いい試合だった。気持ちのいい華やかなチームだった。バックスも見事でした。やっと滋賀県も日本一です。
 高校サッカーのピラミッドの底辺で国立競技場を目指していた若くて遠い遠い日々を思い出した。もちろん予選敗退の僕たちは、この国立決勝戦は練習のため見ることさえできなかった。テレビ見る暇があれば練習しろ!という体育会系のノリがあった。あれからうん十年、夢を捨てれば、国立は案外近かった。

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