かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

アンダーグラウンドで

2006年01月08日 | 見 聞
 昨年末は、浅川マキでとっぷり暮れた。新宿ピットインの大晦日公演は立ち見まで出る大盛況だった。「人生も終わりそうな頃なのにこんなにたくさんよく来てくれたわねぇ、私もまだまだなのかしら~」美空ひばりのアカペラで始まったライブは、ブルースやジャズのスタンダードを交えながらの2時間半。彼女の中に変わることなく連綿と在りつづける本物のアンダーグラウンドをほんの少し分けてもらった。

 唐突だけど、やっぱりF.L.ライト設計のグッゲンハイム美術館(Guggenheim Museum - New York)はぜんぶアンダーグラウンドに埋めた方がよかったと思うんだが。ぐるぐると螺旋状に降りてくる斬新な展示空間が評価されているが、まず最初にエレベータで最上階まで昇ってから降りてくるという行為がどうにも白々しい。ぐるぐるぐると地下へ潜りたい。その方が螺旋状に降りるという意味もトップライトの効果も増すように思う。もちろん、行ったことは無いんだけれど・・・。

『愛燦燦』

2005年12月29日 | 見 聞
 風 燦々と この身に荒れて
 思いどおりにならない夢を 失くしたりして
 人はかよわい かよわいものですね
 それでも未来たちは 人待ち顔してほほえむ
 人生って 嬉しいものですね
        美空ひばり(1986年)
 
 新幹線で東京から西に向かうとき、そこだけ時代が遡るかのような風景に出会う。天下分け目の関ヶ原から米原に至るあたり。右手に伊吹山を見ながら懐かしき農村風景が続くそこは、どんなにそれまで晴れていても、どんよりと暗く重い雲がかかる。雨が降る。冬ならば雪だ。哀愁の米原駅ホームに降りたち、北陸本線に乗り換えて北へ向かう先に僕の実家はある。この辺りの人は今も電車とは言わず汽車と言う。今も変わらない垂直の背もたれの対面型シートに座り琵琶湖を望むと、故郷に帰る気分は最高潮に達する。故郷とはこの風景のことだと思う。
 変らない米原駅と北陸本線を後に引きずりながら、また東京に戻った。

『鎌田行進曲』

2005年12月17日 | 見 聞
 別にふざけて困らせたわけじゃない
 愛というのに照れてただけだよ
 夜というのに派手なレコードかけて
 朝までふざけようワンマンショーで
      沢田研二(1977年)
 
 先日見に行ったつかこうへいの舞台『鎌田行進曲』の挿入歌に『勝手にしやがれ』が使われていた。ドンピシャだった。偶然だったが、この舞台へ向かう途中の僕はこの曲を口ずさんでいた。穏やかな日常のシーンなど何一つない『鎌田行進曲』や、素直になれずに不幸せに転がり落ちていく『勝手にしやがれ』、な~んて感じがただ好きなだけだったりする。
 だけど、こういう場面(シーン)の良く似合うギラギラの空間(背景)をいつか作ってみたいとチャンスを狙っている。

酉の市・きみまろさん

2005年11月21日 | 見 聞
 そして、夜。また花園神社に足が向かってしまった。
 商売繁盛の熊手を買う多くの人であふれた。今年は酉の日が2回しかなく、最終日だったこともあってすごい人だった。いろいろ有名人も見かけたが、きみまろさんに会えた事がうれしかった。さすがに大きな熊手をお買い求めだった。周りの人もなぜか、「きみまろさん」と、さん付けで呼んでいた。
 ついでに花園神社名物「見世物小屋」に寄った。「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」のお決まりの口上に、思わず吸い込まれてしまった。どんな見世物があったのか?それは見てのお楽しみ!

酉の市・二の酉

2005年11月21日 | 見 聞
 今朝、胸騒ぎがして新宿花園神社に寄った。今年は二の酉までしかなく本日が酉の市最終日だった。
 10年前まで、関西出身の僕にとって東京は馴染めない土地で、東京文化は語源の通り「下らないもの」と見下していた。ところが東京生まれの友人にこの酉の市に連れられて、その偏見は一掃された。東京もなかなかやるじゃん!とうれしくなった。以来、東京にも愛情を持ち、今では新宿ライフをこうして楽しんでいる。

グッドデザイン賞

2005年11月09日 | 見 聞
 今年も1000件を超えるグッドデザイン賞GOOD DESIGN AWARDが発表されました。世界遺産登録のように受賞作品が増えれば増えるほど当然賞の価値は薄らぐ。薄らいだ頃にはそのものの価値が一般化されたのだと納得すればいいのでしょうか。

 さて、自分の身の回りに長く愛用している持ち物はありますか? 実家で暮らしている人には多いかもしれません。漫画や小説、レコードなら押入や本棚に、そうじゃなく、いつも身の回りにあって使っているようなものの話です。
 そう考えて見回してみると、あるある。結構物持ちがいいのかもしれない。
 1位)目覚し時計(SEIKO)これはたぶん23年
 2位)レコードプレーヤー(DENON)これは21年
 3位)電気シェーバー(TOSHIBA)これは19年
 これまで何度も引っ越しをしていますが、その度よくついてきたもんです。シェーバーに至っては、刃も一度も換えた記憶がありません。刃の掃除だけはかかさずやっていた気はします。TOSHIBAに話したら喜ぶだろうな。
 同じ機器でも、今身の回りには携帯電話やデジカメ、パソコンなど愛用の物は増えた。でもそれらを20年後まで使い続けているとはとても思えません。なんだか、わざわざ新機種を出し、買い換えをせかされているような時代です。まぁ、安いヒゲそりを20年も使われては、企業は商売にならないんだろうけど・・・
 エコロジーなどと騒がしい世の中ですが、「リサイクル」よりは「リユース」がいいし、できれば「リペア(手入れ)」がいちばんいい。でもやっぱり「修理するより買った方が安いよ~」なんて店員に言われると考え込んでしまいます。

赤ちょうちん横丁

2005年11月07日 | 見 聞
 酒場の迫力という意味で、北海道の道東に残る小路は身も心にもしみる。冬の寒さがさらに客の気分を盛り上げる。迫力というのは、生活の迫力である。店の人はどこか孤独をかかえながら、明るい、哀愁なんて安っぽいものでもなく、そんな雰囲気がとても好きだった。憧れかもしれない。
 もう8年がたつ。建設現場に常駐していた頃の話になる。釧路に「赤ちょうちん横丁」という横丁がたぶん今もある。70歳を超えた現役のママがいたりもした。横丁の入り口に「赤天狗」という焼き鳥屋があった。店は2坪あったかどうか。トリケラトプスにそっくりな80歳を超えた親父だった。
 「摩周の水」という謎なカクテルが名物だった。グラスの底でカウンターをダンと叩く、大きく叩く。そうしないと親父は注いでくれない。この仕草の気恥ずかしさに慣れた頃に常連となる。これを飲むとなぜか1、2杯でフラフラになる。現場の帰りにひとり足が向かった。あの親父は今どうしているだろうか。そろそろ釧路はシバレルね。

横丁か市場か商店街か

2005年10月30日 | 見 聞
 東京の魚河岸として有名な築地市場にも横丁にも似た活気がある。場内市場と場外市場があり、もちろん誰でも気軽に買い物が楽しめるとても豊かな空間がある。
 そんな中に気になる珈琲店を見かけた。店にはたいした奥行きも無く、どうやら小路の飲み屋よりもせまい。幅一間、奥行二間程度あるかないか。感じのいい喫茶店はいくらもあるがこれは言わば利休好みか。興味深気に覗いていると、店主のおばあちゃんがアルミのドアを全開にして笑顔で迎えてくれた。折り畳みカウンターを延ばせば路地にはみ出す格好のオープンカフェになる。なんとも手際の良いスケールの小さな小さな珈琲店。この店舗面積なら、珈琲一杯だけでも生計が成り立ちそうな気になってくる。商売は何も拡大思考である必要はないのだ、と勇気づけられる。肩の力を抜いてみる。

今夜、すべてのバーで 2

2005年09月15日 | 見 聞
 ブログを始めて100日が過ぎた。書いた記事は50件。ブログを始めて世の中が変わった訳でもないが、ブログ見てますよ、なんて言われるとうれしくなる。
 最近のかめ設計室は、季節の変わり目のせいか、ついつい眠くなってよく寝ている。そろそろ、耳をつけて、かめウサギに変身して、ぴょ~ん、と飛ぶぞ、と気合いをいれ直しつつ、こんなダレたブログを書いている。

『猫額洞』

2005年07月16日 | 見 聞
かめ設計室からほど近い中野区の川島通り商店街に、よく立ち寄る『猫額洞』という古本屋があります。名前の通りの小さな店に入った時の,店主と客との距離感が何とも言えない。本屋に行く時は欲しい本があって行く事が多いが,古本屋に行く事にそういう意味での目的は無い。実にふらりと入るのだ。その体内空気と時間を楽しむだけで出て行く事も多い。失礼な話です。
ここの店主の世界観に近しいモノを感じていましたが、このたびひょんな事から中野区の古書『猫額洞』のホームページとリンクさせていただく事になりました。この中の、『猫額洞の日々』というコラムに象設計集団に関するコメントいただいています。
ドーモアラベスカ(象設計集団設計の住宅)の住人は多くの本と多くの猫に囲まれて暮らしています。しばらくの間そこから象の東京事務所に通っていた時期がありました。多くの教養と多くの猫に驚いた事を思い出します。本好きは猫好きなのかな。

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甲府/桜座6月

2005年07月02日 | 見 聞
6月25日、桜座柿おとしを迎えました。洗い流した砂利敷きの上、古在の木を磨き椅子として並べる等の準備が行われました。チンドン屋が街を練り歩き、立ち見満員御礼の中、武田朋子さんの能管・篠笛、藤井弘樹氏指揮のコーラス、ジンタらムータのチンドン、田中泯氏の舞踏、中沢新一氏の講演や地元の方の昔の桜座話等、様々なジャンルで刺激的でした。
ほとんどがマイクを通さず生音のままで、お客さんも耳を大きく開いて集中しながら演じ手と客の間にも緊張感のある空間です。これぞ芝居小屋!

田中泯独舞『赤光』

2005年06月07日 | 見 聞
また泯さんを見に行った。興味の尽きない人です。『赤光』とは斎藤茂吉の処女歌集。
松岡正剛が8首を選歌。太鼓の大倉正之助。能管の一噌幸弘。田中泯の独舞。

斎藤茂吉と言えば、
「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」
「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり」
が有名ですね。大正2年、茂吉は母の危篤の知らせをうけて山形に帰郷、その死を歌って『赤光』は生まれています。
日本語はとても豊かで「しんしんと」などのオノマトペがとても多い。男は「うじうじ」して、女は「さばさば」し、太陽は「きらきら」光り、雪は「しんしん」降る。梅雨は「じとじと」して、雨は「しとしと」降り、「ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらん 」となる。去年こんな話を、桃花村で泯さんと話した事がありました。舞台の泯さんは、日本語が音にならない音を言葉にするように、音にならない言葉にならないところを、身体が踊っているのかもしれません。

メゾンドヒミコ試写会

2005年06月03日 | 見 聞
この秋公開の映画、犬童監督の『メゾン・ド・ヒミコ』の内覧試写会に六本木に出かけました。田中泯さんが出演している関係で招待いただきました。製作にあたったアスミックエースの小さな試写室でしたが、映画製作の舞台裏にほんの少し近づけた気がしました。主演のオダギリジョーにも会えたし。
主演は、オダギリジョー/柴咲コウ/田中泯ですが、舞台となったゲイの老人ホームの人たちもよかった。
そして、この映画のプロデューサー小川さんのこんな言葉が印象的でした。
「人生がそうであるように、その道程でさまざまなことを体験するうちに何かがわかってくる、そんな映画づくりがあってもいいのではないかと思います。わからないものに触れようとすること、他者とその場所にいっしょにいること、経験をすること。それがこの映画のテーマとも重なると考えます。」