かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

3丁目の夕日

2006年06月30日 | かめ バー
 3丁目には、かつて二軒屋と呼ばれ賑わった商店街がある。今では方南通りと山手通りに分断され、やや痛々しい傷跡が町にも住民の心にも残っている。
 それでも新宿からバスで10分の立地からか、若者から年寄りまで不思議な活気がある。小さな店や飲み屋、バー、スナックなども以外に多く、夜も密かに賑わっている。新宿の夜景を遠くに、この密やかな町の雰囲気が妙に気に入っている。
 
 この界隈にお気に入りのお茶屋「花風茶楼」があった。小さな店で中国茶を扱い、女性がひとり店を任されていた。彼女との会話も楽しく、よく通った。かめ設計室のパンフレットも快く置かせていただいた。お茶を飲みながら立ち話で、買わずに帰ったことも何度もある。
 そんなある日、突然店がたたまれていた。連絡してくれてもいいのに、と腹を立てる程の仲でもないのだから仕方ない。そんな程よい無関心、程よい関心が都会での付き合いなんだろうか。住んでいる町が好きになるという理由の一つはこういう店を持っていることだとなくなって実感する。空き店舗は新しいオフィスになったようだが、頭んなかの地図のそこはぽっかり空いたまんま。
 このブログを見てくれていたから、との思いで、おいしい花茶の写真を掲載ッ! 

鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥

2006年06月25日 | 
 以前、小鹿田焼きの集落を紹介したことがあります。小鹿田(大分)と黒谷(京都)の集落の風景がよく似ています。焼物と和紙という違いはあれど、その営みが似通っているせいでしょうか。黒谷の人にその感想を説明したら、うれしそうに喜んでくれました。
 まず山深い澄んだ川沿いに集落は生まれる。
 原料を山から調達する。
 川の水を引き込む。
 その水を利用して、原料をよくタタく。
 (写真上2枚)
 タタく音は集落に響いている。
 不純物を除き、細かな粒子にする。
 (写真下2枚)
 焼物はろくろを廻す、和紙は漉く。
 そして天日に干す。
 焼物なら窯に入れるが、和紙は出来上がる。
 水と木と土と日と風と火と。
 金と月があればほとんど一週間の歌が歌えそうな営みなのです。

 思い出すのは河井寛次郎の言葉。
「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」

 風景と人間の関係の幸せが、小鹿田にも黒谷にもある。

黒谷和紙の集落

2006年06月22日 | 
 仕事柄、ものつくりの現場に足が向かう。
 営みが風景をつくる。都市はいつの時代も消費の風景だから、生産の風景に出会うのが旅の楽しみかもしれない。当然のことかもしれないが、消費の風景よりは生産の風景の方が、場所に対する住まい手の愛情が感じられる。自然が美しいというのとは違う心地がある。
 京都から電車とバスで2時間弱の山中に、黒谷という和紙つくりの集落がある。二条城や桂離宮などの建物や古文書の補修など、京都の伝統を支えてきた。しかしながら、パルプや漂白剤の入った妙に白けた機械漉きの和紙の普及で、後継ぎ問題はここも例外ではない。「昔は和紙は女が漉くもんと決まっていた。木の皮を丁寧に一本一本剥いていくのはおばあちゃんの仕事だった」とうれしそうに話してくれた。和紙に混ぜる糊もすべて天然もの、そうした和紙は、柔らかな白色で、黄ばみも少ない。耐久性について伺うと、千年とは仰らずに「今の技術では800年がいいとこかなあ」と、この正確さと正直さがうれしかった。

かめ会*色つきの男と女

2006年06月18日 | かめ 会
 とても暑い日で、仕事にもならず、夕方4時頃からの来客に、飲みながらの調理でした。6月は小料理屋的なおもてなしとなりました。夕暮れは男たちが、夜は女たちが、艶やかでした。年を重ねながらも、仕事に揉まれながらも、いつまでもこうした手作りの時間は大切にしていきたいです。ボトルキープも受け付けております。

 1 さんまの切り込み
 2 自家製らっきょう
 3 たこときゅうりの酢の物
 4 なすの揚げ浸し
 5 小松菜と油揚げの煮浸し
 6 揚げ出し豆腐
 7 釧路直送ほっけ
 8 わらびの炊き込みご飯

 差入れ・日本代表ポテチ
    ・カブときゅうりの糠漬け
    ・餃子と唐揚げ
    ・アイスクリーム
    ・ビール各種
 ボトルキープ・日本酒(大七)
        そば焼酎(峠)
        泡盛(久米仙)

フォールアウトとテロリスト

2006年06月14日 | 建 築
 ゆれゆれ、建築界。エレベータ、構造計算偽造、アスベスト・・・建築はどこまで安全か。もちろん建築は決して万能万全ではない。シックハウスも露呈しているが、建材メーカーも軒並み自社製品の安全をうたっている。問題点がはっきりしている時は対処しやすいのだろう。むしろ問題は見えないところで進む。この方が怖い。(参照→橋はなぜ落ちたのか 後編
 世界貿易センタービルの崩落には学ぶべきもうひとつの教訓があった。
 環境の視点だ。鉛は、ごく微量でもその粉塵を長期間吸い込むと脳に障害を生む。崩れたビルの中にあった大量のパソコン、そこにはおそらく90~180トンの鉛が含まれていたと言われている。高温になれば空気中に飛散する。鉛だけじゃない、ダイオキシンや水銀、揮発性有機化合物(VOC)など有害物質だってオフィスビルにはいっぱいある。建材だけをいくら規制しても、まだまだ危険因子は多い。なんだって凶器になってしまうのが高層化する都市の現実だろう。死の灰とも訳される「フォールアウト」という言葉には、副産物、後遺症という意味もあるらしい。
 また、超高層という建築行為そのものが、周辺環境へのテロみたいなもんだって、松山巌さんは言っていた。気をつけて!

梅酒とらっきょう

2006年06月12日 | かめ バー
 今年も梅酒を仕込みました。一緒にらっきょうもつけました。梅酒は、焼酎とスピリッツとコーンウィスキーと。らっきょうは本漬けと浅漬けと。
 偶然ですがぴったり一年前もこうでした。この一年前につけた梅酒を今夜解禁して、ワールドカップ観戦(対オーストラリア)といこう!
 これで暑い夏の準備ができました。

橋はなぜ落ちたのか 付録

2006年06月11日 | トータル アーキテクト
 新しい空間、新しい構造、新しい提案、新しいコンセプト。
 新しい、という言葉にそれほどとらわれない方がいい。
 新しい○○というのに限って、もう古い。
 橋はなぜ落ちたのか 前編で取り上げた図に、日本語訳をつけてくれているものがありました。面白いので日本語版で再び掲載させてもらいます。
 →参照ITプロジェクトの実態とは!

自画像と自邸

2006年06月09日 | トータル アーキテクト
画家はなぜ自分を描くんだろう?

たいがいの画家は自画像を描く。
それも若い時、中年、晩年と三度描く。
若い時は自分を格好よく描き、
中年の頃は自分のありのままを描き、
晩年は自分の中身を描く。
と言った人がいる。

建築家ならば自邸を建てる。
名作と言われている住宅の多くは自邸だろう。
他人の言うことを聞いていては名作は出来ないのだろうか。
だとしたら建築家は勘違いされても仕方がない。
他人の家をいいものにしたい。
ありのままを、暮らしの中身を描きたい。
自邸を建てる甲斐性のないかわりに・・・がんばろっと。

東へ西へ

2006年06月06日 | 仕 事
 花見の駅で待ってる君にやっとの思いで逢えた
 満開花は満開君はうれしさあまって気がふれる
 空ではカラスも負けないくらいによろこんでいるよ
 とまどう僕には何にも出来ない だから
 ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ
            (1972年 井上陽水)

 陽水にしか歌えない作れない独壇場的『東へ西へ』である。
 そして同じように東京で、とまどう僕たちはまだ何にも出来ない。だから。
 熊本で、棟梁ひとりを抱えて、のろのろ住宅現場が進みはじめた。
 北海道で、小さな住宅の設計がはじまることになった。

 ガンバレみんなガンバレ月は流れて東へ西へ
 ガンバレみんなガンバレ夢の電車は東へ西へ
 ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ
 ガンバレみんなガンバレかめもうさぎも東へ西へ

 写真:10年前に担当した釧路芸術館を訪問。感慨深すぎっ。

26番 楽しさを知るのに大きな理由などない

2006年06月04日 | 見 聞
 目白界隈を中心とした『目白バ・ロック音楽祭2006』が6月2日から25日まで開催されています。東京カテドラル、自由学園明日館、和敬塾本館、立教大学第一食堂、目白聖公会などちょっといい感じの歴史ある建物で、様々なコンサートが行われます。
 夕べは東京カテドラル聖マリア大聖堂でのオープニングでした。普段は〈新宿、横丁、歌謡曲〉路線の僕たちが、〈目白、教会、古楽〉にチャレンジしてきました。いつ、なんどき、教会の設計が頼まれるやも知れませんから。
 「聖母マリアの頌歌」を聞きながら丹下健三の傑作「東京カテドラル」を体感できたことは何よりでした。教会建築は歌とともにあるんだなぁ、という素朴な学習でもありました。

橋はなぜ落ちたのか 後編

2006年06月01日 | トータル アーキテクト
 ヘンリー・ペトロフスキー著『橋はなぜ落ちたのか 』の中に、ある科学者の分析を紹介している。
 大きな崩壊に至った橋と場所、年、その構造を記したものだ。
 ディー橋(イングランド)1847 トラス桁
 ティ橋(スコットランド)1879 トラス
 ケベック橋(カナダ)  1907 片持ち梁
 タコマ海峡橋(アメリカ)1940 吊り
 ミルフォード港橋(ウェールズ)1970 箱形桁
  「シブリーとウォーカーのパターンからの推定」

 驚く事にほぼ30年周期で大きな橋梁事故が発生している。そしてその場所も構造も皆違うという。単なる偶然とやり過ごす事もできるが、著者はこの事実を設計者への教訓として啓示する。
 「失敗の回避ではなく、成功のモデルに基礎を置いたことが大きな事故を招く」のだと著者は言う。失敗のない--過去の成功モデルは、設計が完全であることを証明しない。これは肝に銘じておいてもいい。
 設計者はもっと軽く!もっと経済的に!もっと格好よく!もっと!もっと!という宿命を背負ってしまう。
 流行建築のディテールを矢継ぎ早に真似ていないか。僕たちの建築は大丈夫か。
 目に見えないままにミスは蓄積していってはいないか。