かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

千年・百年・十年 4

2008年04月18日 | 数の風景
 100年前の建築界はどうだっか。1908年、コルビュジェは21歳でパリに出て、オーギュストペレの事務所で建築実務を学びはじめている。
 2年後にペーターベーレンスの事務所に移ったところで何と、後の近代建築家ビッグ3が勢揃いすることになる。グロピウス27歳、ミース24歳、コルビュジェ23歳。建築界のトキワ荘か。
 この年にベーレンスの名作AEGタービン工場が出来ているから、その現場に3人が立ち会っていたことになる。モダニズムの源泉はベルリンのタービン工場にあるという見方もできるだろう。当時のドイツは工業力も軍事力も伸び盛り、間もなく第一次大戦が始まろうかという頃の勢いがある。
 それから100年、世の中はいろいろあった割に、マンション広告は相変わらずモダン大流行だけれど、本当は飽き飽きしているんじゃないんだろうか。

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千年・百年・十年 3

2008年04月06日 | 数の風景
 タイムマシンがあるのなら過去に行ってみたい。未来より過去の方が面白そうな世界がありそうだから。歴史家の間の常識としては、南北朝時代(600年ほど前)までが今の常識で想像しうる限界なのだそうだ。中世以前になると、とにかく今の常識ではほとんど理解できない想像のつかない世界に入ってしまうらしい。

 2008年は、源氏物語の成立からちょうど1000年がたつと言われている。そんな源氏物語を現代訳できる作家の想像力はいったいどこからどこへ行くのだろうか?時には1000年の時間を前に途方に暮れてみたい。
 写真は現場進行中のRC天井に打込んだ源氏香の図柄。数種の香りの組み合せを聞き分ける香遊びの図柄をあしらえて精一杯の雅。

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千年・百年・十年 2

2008年04月01日 | 数の風景
 振り返らず前だけを見ることがプラス思考だとばかり時間は次々に早送りされる。街角インタビューでは誰もが優等生的発言をすらすらと語ることができるようになった。ほとんどが中流だと思っている社会では、不満をあれこれ言う割りに本音では現状維持を願っている。ずいぶん社会は変わったのだろうか。

 江戸時代が終わったのは、私の生まれるちょうど100年前の事になる。こうして自分の時間に歴史を引き寄せてみれば、少しは触感のある現実として想像も及ぶ。そうしたら100年と言う時間は想像以上に短い。
 江戸時代が終わって100年後にはもう、日本は全共闘運動のさなかである。これだけの激動の時代変化もたかだか100年の事と思えば、昨今の社会変化を速い速いと騒ぐほど大したことでもないだろうか。

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千年・百年・十年 1

2008年03月29日 | 数の風景
 昨日はもう一週間も前のことのようなのに、十年前のことは昨日のことのようだ。こうして過ぎていった時間は不連続で、今だけが明日へ続く確かなものに思えてくる。

 小さい頃は自分が生まれる以前の事に想像が至るなんてあまりなかったように思う。教育された歴史は、時代劇でも見るようで、現代につながる一本の道の上の出来事だとはどこか信じていない(想像が及んでいない)ことではなかっただろうか。
 岐阜と滋賀の県境に伊吹山という山がある。故郷の原風景でもあるが、新幹線の車窓から見えるビジネスマンにはおなじみの山容である。古くから霊峰とされ、日本武尊が山の神との戦いに敗れ傷を負った地とされる。神話も史実として想像すると、目の前の風景も違って見えてくる。そんなこと、桜の木はずっと前から知っているけれど。

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一極集中ホーム

2008年01月24日 | 数の風景
 仕事の関係で駅の事をあれこれ調べている。都市への一極集中を考える時、駅の一日当たりの乗車人員(乗る人のみ)は分かりやすい指標になる。
 全国でも首都圏の駅の込み具合はずば抜けている。JR調べによると、1位新宿(76万)2位池袋(57万)3位渋谷・大阪(43万)5位横浜(39万)といったところ。ここから東京、品川、新橋、大宮、高田馬場、秋葉原と都心が並ぶ。次にようやく名古屋や京都が17、8万で続き、博多や札幌、仙台といった中心都市でさえ10万を切るのに、首都圏では10万以上の駅が30以上もある。
 2007年以降の人口減少が話題となっているが、このままでは都市に人口は相変わらず集中し、地方が縮小していくという図式はきっと何も変わらない。人口減少社会などまったく関係無いことのように、東京の街は建物も道路も地下鉄もどこも新築工事ばかりなのだ。

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大リーグと地域格差2

2008年01月14日 | 数の風景
「おい、お前まで大リーグかよ?」という移籍が多くなってきたら、大リーグの評価は下がりはじめている。
 高度成長を担った団塊世代の15%は東京生まれ、15%は上京組、合わせて30%が東京に集まったことになるそうだ。これこそが一極集中の実態だが、この集中は世界的にも例のないことらしい。
 そして多摩ニュータウン生まれの大学生に驚いている場合ではない。団塊ジュニア世代になると、東京にはこの世代の33%が集まっていて、この世代のおおよそ「4人に1人が東京生まれ」だと言う。東京一極集中は場所の問題だけでなく、数の論理でも成り立ってしまう。
 とこんなような数字を並べながら「これでは東京でみんなが食っていける訳はない」と下河辺淳さんがもう10年以上前に警告されていたのを思い出している。そんなこんなの間に、団塊孫世代の東京風景がどんどん近づいている。

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大リーグと地域格差

2008年01月10日 | 数の風景
 今年も新たに5人の日本人選手が大リーグに移籍する。黒田、福留のようにチームの看板選手が続々と海を渡る。海の向こうに世界がある、という古くさいが今も変わらない日本の図式がある。
 地方と都市の図式も同じく、育てるだけ育てては働き盛りになると労働力はみな都市に吸い取られてしまう。引き抜かれた側の心情に被害者意識はあるだろうか。東京の大学生に地方出身者が減ったことを見ると、いずれ一極集中は分散するのだろうか。
 高度成長期には確かに、優秀な人材が東京に集まった。しかし今の東京は果たしてそういう求心力を持っているだろうか、と問い続ける必要がある。地方も生き残りをかけて闘っているが、都市にも同様の問題が突き刺さっている。

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超高齢バス社会

2007年10月11日 | 数の風景
 バスの中はキャラクターの宝箱です。席を笑顔で譲れる人、無言でしか譲れない人。眠ったふりのお兄ちゃん。席を譲られても絶対に拒むおじいちゃん。荷物を置いて二人席に一人で座るお姉ちゃん。買い物袋を両手に抱え一目散に優先座席を目指すおばちゃん。その買い物袋からつき出るねぎが気になって何度も無言の抵抗ビームを送る隣のおじさん。席を譲り合っているうちに仲良く立ち話が始まってしまうおばあちゃん。着信音がやたら大きいのはおばちゃん。いろんな状況判断を勝手にしている、またはしていない多くの愛すべきヒト。そして気がつくと、お年寄りがお年寄りに席を譲っています。
 総務省によると、65歳以上の高齢者が総人口の21.5%に達したらしい。超高齢社会に突入したことになる。目の前に高齢者がいてもバスの中はこんなに様々なのだから、目の前に人がいない年金も介護も医療問題もますます始末が悪い。超高齢社会は人間をどこまで育てられるだろうか。

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見えない力 3

2007年06月14日 | 数の風景
 ミスリードが危険因子をどんどん蓄積してしまう話は以前に紹介した。それを逆手に取ったような話がまた数多い。
 建材としてよく使われるベニヤの厚さは、今では2.5、4、5.5、9、12、15ミリとなっている。
 何だろう、この半端な0.5ミリは?
 建築寸法は大概は3の倍数、かつてベニヤの厚さも当然3ミリや6ミリだったはずだ。実際には製品の許容誤差を0.3ミリとしたから、2.7~3.3ミリまでを3ミリベニヤと認めた。ところがメーカーはコスト削減で2.7ミリぴったりの仕上がりを目指す。いつしか実勢寸法は2.7ミリにすりかわる。また許容誤差を認める。こうしたイタチごっこが、ぺらぺらの2.5ミリ厚という結果を生んだ。
 つくってるモノが大量生産であればあるほど微々たる数量も大きなコスト削減につながるのだから、こんな小さな社会で起こっていることは当然大きな社会でも起こっているという、この頃です・・・。
 →橋はなぜ落ちたのか 前編 
 →橋はなぜ落ちたのか 後編

見えない力 2

2007年06月05日 | 数の風景
 世の中の仕組みには全く疎いんだけど、はじめて青色申告をしてみて驚いたのは減価償却資産。減価、つまり価値が減るスピードが速すぎはしないか、ってこと。
 表によると木造住宅で22年、車で6年、パソコンなら4年で減価償却されてしまう。国までが買い換えを進めているとしか思えない数字。建売り住宅の評価額は、買った時にすでに70%に落ちると聞く。住宅ローンを払い終わる頃には、その住宅の価値はとっくになくなっている。それでは資産でもなんでもない。
 減価償却期間に合わせるかのように、作り手も使い手もここまでもてばいいという発想にすりかわる。住宅は10年保証が義務づけられたら、10年もてばいいという発想に裏返る。メーカーのコストダウンはこうしてその一点に向かって突き進む。

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見えない力

2007年06月01日 | 数の風景
 愛用のiBookが壊れた。5年前に買ったのだが、5年を経過したものは修理さえ受けつけないと言われた。アンプが壊れた時もそうだったが、修理対応(部品生産)義務の期間は法律で決まっているらしい。でもそれを逆手にとってどうする。

 町へ出るといたるところ、建て替え・買い換え・使い捨てを促している。なんでも売ってしまえば勝ちみたいに、売りっぱなす。マンション、自動車、服、携帯、カメラ、次々と新商品が並び、昨日の機種は古いのだと宣伝マンが叫んでいる。
 日本製ラジカセやテレビは東南アジアやアフリカで今でも活躍している。日本の電気製品はデザインはさておき、壊れない・簡単に直せることが何よりの自慢だった。それがいつの間にか、メーカーは機種変更に躍起になって、修理より買い換えを勧める。型落ちの部品生産より新製品開発に傾いていく。気がつけばどこもスタンダードデザインを持たなくなった。新しいことだけが価値だとは、せわしないかぎりだ。

3丁目の夕日

2006年09月18日 | 数の風景
今日はただ夕日がきれいです。
西の窓から中野の夕日。
時おり空気が澄むと富士山だって見えます。
クレーンがあるところ、またマンションが建つのでしょう。

東の窓から新宿の都庁。
時おり霞にかくれて都庁山頂が見えません。
祝日は当然真っ暗なオバケです。

1年前にこんなこと書いてます。
ニッポンイチの風景/中野編
ニッポンイチの風景/新宿編

ロジスティック曲線 下

2006年07月21日 | 数の風景
 ショウジョウバエと違って人間には、環境に手を加えて状況を打破するという裏技がある。縄文後期から弥生時代に至る農業革命。土地生産性が限界に達した14世紀頃の市場経済への移行。そして19世紀の産業革命。その度に、飽和に達したかに思われた人口が飛躍的に増えてきたと言う。
 しかし次なる情報化社会は人口増にはつながっていない。情報革命とは言うものの工業化社会の延長であって、価値観の変革を伴っていないという何よりの証かもしれない。

ロジスティック曲線 上

2006年07月20日 | 数の風景
 牛乳瓶にひとつがいのショウジョウバエを餌と一緒に入れておく。初めはゆっくりと、そしてだんだん増殖速度は加速する。ある密度に達すると次第に増殖速度は落ちていき、ひと月もするとほぼ一定数を保つようになる。この現象は、飽和数が決っている携帯やテレビなどの普及にも例えられる。飽和状態では、ショウジョウバエの生息密度過多による環境ストレスがかかり減少するケースもあるらしい。これが21世紀日本の減少社会と重なる。
 ロジスティック曲線は、スポーツや建築設計などの習熟度にも言えそうだ。最初はスポンジのように吸収するが、そのうちルーティンワークに陥る。頭打ちになるか、突き抜けるか。

420人にひとり

2006年07月17日 | 数の風景
 2005年国勢調査の抽出速報が総務省から出た。人口動向や就業動向はここに明らかになる。人口構成は図のように当にピラミッドではない。ダルマ落しだったら、あと20年もすれば崩れ落ちてしまう。
 建設業就業者人口は、543万3千人。これは就業者全体の8.8%にあたる。かなり多い。ちなみに今話題の一級建築士は約30万人。(亡くなった方も含まれるから約としか言えない)日本の人口1億2776万人とすれば、一級建築士は約420人にひとり。町の風景に対する責任は重い。建築士の引く一本の線の意味は大きい。心してかかれ。