かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

流行建築通信34/ジョニィへの伝言/完

2008年06月03日 | 流行建築通信
ジョニーが来たなら 伝えてよ
二時間待ってたと
わりと元気よく 出て行ったよと
お酒のついでに 話してよ
友だちなら そこのところ うまく伝えて

「今日で引越から一ヶ月がたちました。
 この度ブログも引越する事になりました。」

今度のバスで行く 
西でも東でも

「続けるかどうかも迷いましたが、やっぱり始めます。」

ジョニーが来たなら 伝えてよ
二時間待ってたと
サイは投げられた もう出かけるわ
わたしはわたしの 道を行く

「永らく3丁目通信をありがとうございました。   
 それではこちらへ→新ブログ かめ新聞。」

友だちなら そこのところ うまく伝えて
うまく伝えて
(昭和48年 ペドロ&カプリシャス)

流行建築通信33/傘がない

2008年02月07日 | 流行建築通信
 だけども問題は今日の雨 傘がない
      (1972年 井上陽水)

 北京ベルリンダブリンリベリア。ギョーザもマネーも世界を巡っている。いち地方の出来事が束になって輪になって瞬く間に広がり、国際問題にもなる。アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく。事態はもっと複雑で読み切れず、風が吹けば桶屋が儲かるような一直線な動向でもない。今はもう流れでたらアジア。
 冷凍食品も株もやらないからあんまり真剣味もなく傍観しているが、そうも言っていられないかもしれない。ところで日本の対中貿易高はついに対米を上回ったらしい。ギョーザとカタカナ表記でしかもギョウザでもないのは、餃子(ギョウザ)の株を落とさないための工夫だろうか。
 傘がないと歌った人の気持ちにもなる。

[かめ設計室]HP

流行建築通信32/サムライ 2

2007年10月15日 | 流行建築通信
 片手にピストル
 心に花束
 唇に火の酒
 背中に人生を
(1978年 沢田研二)

 1947年、元エジプト国防相サル・ハルプ・パシャがカイロの寺院前を埋め尽くす2万人聴衆の前で演説する。「我々に残されたモノは、この銃とコーランだけだ」、右手にピストル、左手にコーラン、目に涙を浮かべていた。国連決議によるイスラエル国家誕生にアラブ人が反対して、ジハードは始まった。

 沢田研二『サムライ』は、片手にピストル、心に花束、唇に火の酒となる。ここまではいい。最後の、背中に人生、これちょっと阿久悠にしては詰めが甘い。

 ようやく時間ができて、友人からすすめられていた夢枕獏の『神々の山嶺』を一気に読んだ。サムライがエベレストの頂を睨んでいた。

[かめ設計室]HP

流行建築通信31/Paint It Black

2007年09月07日 | 流行建築通信
I see a red door and I want it painted black
No colours anymore I want them to turn back
赤いドアを見る。僕はそれを黒く塗りたい。
他の色はいらない。ただ黒くしたい。

黒は色が無いということ、と中学の美術教師が言っていた。

I see the girls walk by dressed in their summer clothes
I have to turn my head until my darkness goes
夏服の少女たちが歩くのが見える。
僕は顔を背ける。僕の暗闇が行過ぎるまで。

色は光だ、と無口な美術教師が言っていた。
黒は光を吸収して、目に届かないということだと。
これは忘れられない授業のひとつ。

I wanna see your face painted black, black as night, black as coal
Don't wanna see the sun, flying high in the sky
I wanna see it painted, painted, painted, painted black
夜みたいに、石炭みたいに黒く、黒く塗られたお前の顔が見たい。
空高く飛ぶ太陽は見たくない。
黒く、黒く、黒く、黒く塗れ。
(1966年 The Rolling Stones)

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阿久悠への手紙

2007年08月05日 | 流行建築通信
 あなたが歌に時代を重ねたから、その歌はもう一度時代を逆照射できる。建築の立場から、そんなつもりで書いた11枚の手紙。あれから35年、街は今では山本リンダがいっぱいですものね。

かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信1/透明人間
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信3/UFO
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信6/ペッパー警部
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信14/サウスポー
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信15/サウスポー 続編
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信16/S・O・S
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信17/ウォンテッド
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信19/じんじんさせて
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信24/カサブランカ・ダンディ
かめ設計室*3丁目通信 流行建築通信26/バス・ストップ
かめ設計室*3丁目通信 『どうにもとまらない』

流行建築通信30/Bring It On Home To Me

2007年07月29日 | 流行建築通信
If you ever change your mind
About leaving ,leaving me behind
Baby
Bring it to me
Bring your sweet loving
Bring it on home to me

I tried to treat you right
But you stayed out
Stayed out at night
But I'll forgive you
  (1962年 SAM COOKE)

女は去り、男が傷つくのがソウルなら
女を残し、男が去るのがジュリー。
あぁ、青春のスウィートソウルミュージック。
今年も南の浜で、あの歌が聴けるだろうか。

[かめ設計室]HP

流行建築通信29/一本道

2007年07月24日 | 流行建築通信
僕は今 阿佐ヶ谷の駅に立ち
電車を待っているところ
何もなかった事にしましょうと
今日も日が暮れました
ああ中央線よ空を飛んで
あの娘の胸に突き刺され
  (1973年 友部正人)

子どもの頃に聞いた歌に焦がれて、
阿佐ヶ谷に住んだことがあると話してくれました。
それはきっとこんな歌ではなかったでしょうか。
初めて会った時からなつかしい感じのする大先輩。
先日はごちそうさまでした。楽しかったぁ~。

今日も一日が終わろうとしています
しんせい一箱分の一日を
指でひねってごみ箱の中

[かめ設計室]HP

流行建築通信28/PianoMan

2007年07月14日 | 流行建築通信
He says, "Son, can you play me a memory
I'm not really sure how it goes
But it's sad and it's sweet and I knew it complete
When I wore a younger man's clothes"
 若いの、思い出というやつを弾いておくれ
 どんな曲だかよく覚えちゃいないが 
 ちょっと甘くて、ほろ苦い味のするやつさ
 あぁ、若い頃はしっかり覚えてたんだが…
    (1973年 Billy Joel)

 窓の外は一日雨が止まないので、ひとりでレコードを聴く。今夜はちょっと甘くてごめん。
 当時NHK-FMで「朝のポップス」という番組をやっていた。エアチェックには欠かせない番組だった。標茶の住宅のお施主さんとは同じ年で生い立ちも似通っていて,この辺りの話題はぴったり合ってうれしい。DJ若宮てい子で、番組が始まると「マイライフ」がいつもかかっていた。これを聞いてから学校に通う。
 「ピアノマン」という曲には、本人はもちろん、ジョンがバーテンで、ポールは小説家で登場する。ジュリーでしか知らなかった大人の会話をまた見つけては、背伸びしていた。

And they sit at the bar and put bread in my jar
And say, "Man, what are you doin' here."
 客はカウンターに座り 俺の広口瓶にチップを入れて言う 
 「ところでお前、ここで一体何してるんだい?」

[かめ設計室]HP

流行建築通信27/Satisfaction

2007年05月30日 | 流行建築通信
 I can't get no Satisfaction
 I can't get no Satisfaction
 Cause I try, and I try, and I try, and I try
 I can't get no, I can't get no
  (1965年 The Rolling Stones)

 中学に入る頃になるとパタリと歌謡曲を聴かなくなった。80年代に入ったちょうどその頃、歌謡曲のスピリットは坂を転がり落ちていた。
 そしてガキのくせに聴いたストーンズの『Satisfaction 』、かっこよかった。タイトルだけを直訳し、満足!満足!と歌ってるものと思ってた。「I can't get no Satisfaction」なんだとわかった時、それだけでまたひとつ大人になったみたいに、もちろんそっとひとり合点した。
 そして未だに精神は「I can't get no Satisfaction」のままである。
 3年目のブログ、はじめます。

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散るが花

2007年04月06日 | 流行建築通信
 暖かい春の一日、千駄木の小さな公園での花見だった。ギターをかついで男がやってきた。仲間が集まった。花を見て、酒を飲み、歌を歌った。好きなんだねぇ。
 春一番がほこりの渦を踊らせる頃、名残雪が降る。電車から見るだけになった通学路。桜吹雪が舞い散ると、六本木心中か、ひとり咲き。燃えて散るのが花、夢で咲くのが恋。好きでもない歌も全部歌えてしまうのは歌謡曲世代。子どもにウケる歌を作りながら、子どもにはわからない意味を込めている大人の歌がいい。ならばそんな建築もあっていい。

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流行建築通信26/バス・ストップ

2007年03月04日 | 流行建築通信
 バスを待つあいだに 涙を拭くわ
 知ってる誰かに見られたら
 あなたが傷つく
   平浩二(1972年)

歌謡曲の中の女は、傷つき、下を向いていた。この頃から「時代」は、乗るか乗らないかの二手に別れたかに見える。演歌は年老いたママのいるスナックに置き忘れた郷愁歌でしかなかった。
 
 なにをとりあげても わたしがわるい
 あやまちつぐなう その前に
 別れが来たのね

『メゾン・ド・ヒミコ』の中に、オダギリジョーと柴咲コウが、『また逢う日まで』のダンスリミックスで突然踊り出すシーンがある。何かを吹っ切るように踊るそのシーンはこの映画の見せ場でもあった。

 また逢う日まで逢える時まで
 別れのそのわけは話したくない
 なぜかさみしいだけ
 なぜかむなしいだけ
 たがいに傷つきすべてをなくすから
 ふたりでドアをしめて
 ふたりで名前消して
 その時心は何かを話すだろう
   尾崎紀世彦(1971年)

1971年、阿久悠は明らかに意識的にこの歌詞を書いた。男と女の別れをマイナーからメジャーに、ウェットからドライに変えた。そして時代はこちら側に傾いて今日に至る。今さらダンスリミックスに変えようが、この歌以上の意味も世界も映画の中では生み出してはいないことが気になる。
『また逢う日まで』の1年後に、『バスストップ』はこう歌い続ける。

 バスを待つあいだに 気持を変える
 つないだこの手の ぬくもりを
 わすれるためにも
 どうぞ 顔をのぞかないで
 あとのことを 気にしないで
 ひとりであける 部屋の鍵は重たい

お気づきだろうか。71年、阿久悠がふたりで閉めたドアを、72年、またひとりで開ける。
男性も女性も、男と女を演じるように生きている。回りくどく面倒なようだがそれも何だか面白そうだと、このごろの演出家は今さらに気がついているだろか。

「あなたが森山良子に似ていると、こちらで噂しているんですよ。」
「あら、でも歌ったらばれちゃうわ。」
 照れた顔で女は下を向いた。店の外にバスが止まった。

流行建築通信25/恋人よ

2006年12月12日 | 流行建築通信
 砂利道を駆け足で
 マラソン人が行き過ぎる
 まるで忘却のぞむように
 止まる私を誘ってる
  1980年「恋人よ」

 もう25年以上前の歌詞をソラで歌えてしまう。子どもの頃の記憶力か、ヒット曲のスパンが長かったせいか。紅葉の美しい季節になると、なぜか五輪真弓の「恋人よ」の前奏がよく浮かぶ。今日はそのまま口ずさんでみたら全部歌えてしまった。子どもには早すぎたけどあれはいい曲だった。
 この歌の2番がいい。シャンソンのように「忘却」という言葉もタイトルにはなれどなかなか歌詞では珍しい。「マラソン人」なんて言葉はこれはもうすごい。設計する建物にもこういうすごいディテールがそっとあれば全然違うものだろう。まるで忘却のぞむよに止まる私を誘っている。1980年の僕にはびっくりだ。

 音に音色という色があるように、言葉には匂いがあると思う。音楽は音と色と言葉と匂い。人それぞれにその何かが刺激され、よって人それぞれに記憶の仕方は異なるのだろう。僕は圧倒的に言葉だろうけど、その分聞いている音数はきっと少ない。こうしてブログを書いている傍らで、ピアノを弾いている人がいる。かめ設計室は、建築と音楽と料理にはなかなか一生懸命です。こうして五感を鍛えてまだ見ぬ仕事に備えております。

流行建築通信24/翼/伊東豊男 新しいリアル展

2006年10月22日 | 流行建築通信
 風よ 雲よ 陽光よ
 夢をはこぶ翼
 遥かなる空に描く
 「希望」という字を
 人は夢み 旅して
 いつか空を飛ぶ
 (1982年 武満徹詩・曲)

 初台オペラシティで開催中の「伊東豊雄 建築|新しいリアル」展に行った。
 原寸大の曲面ベニアの白い床が敷き詰められた展示室に、石川セリの歌が流れている。彼女の歌声が日曜の白によく合っていた。それだけで上機嫌になってしまった。音に弱すぎる。
 次々とヒット曲を出し続ける建築家のサクセスストーリーも、1971年3人の事務所から始まった。仕事の見込みがほとんどないまま、目の前の住宅設計だけに向かっていた70年代。当時、事務所ではもっぱら演歌が流れていたと言う。中でも森進一のビブラートが時代の空気に合っていた、と本人のコメントが紹介されていた。これが聞けただけで成果だった。

流行建築通信23/ギンギラギンにさりげなく

2006年09月20日 | 流行建築通信
 覚めたしぐさで熱く見ろ 涙残して笑いなよ
 赤い革ジャン引きよせ 恋のバンダナ渡すよ
 雨の中で抱きしめるぜ そっと
   (1981年 近藤真彦)

 この曲がヒットしていた頃、象設計集団が設計した名護市庁舎は完成している。そう思えば近しい時代なのかもしれない。そして今年で4半世紀がたった。リアルタイムでこの頃の建築事情を知らないから、時代の気分だけでも思い出そう。いつもソースは流行歌だが・・・。

 1981年。
 前年の山口百恵引退で歌謡曲時代は終わっていたのかもしれない。空虚で、何となくの80年代の到来である。管理教育への反発から校内暴力が荒れ狂うその傍らで、『なめネコ』人気では不良であることがファッションと化していた。田中康夫の『なんとなく、クリスタル』が象徴する消費社会のその中で、つかこうへいのギンギラギンな『鎌田行進曲』もまた大ヒットした。
 「覚めたしぐさで/熱く見ろ」「涙残して/笑いなよ」「雨の中で抱きしめるぜ/そっと」「ギンギラギンに/さりげなく」そいつがオーレのやりかた。薬師丸ひろ子が、か・い・か・ん、と言い放つ『セーラー服/機関銃』。
 セーラー服と機関銃、そのどちらともを時代は手中に納めようとしていたのだろうか。あい反する価値さえ、利用し享受してしまう器用なるニッポン人。バブルへと向かうその伏線がここに表象してはいまいか。

 さてそんな世の中で希有な存在感を放ちつづける名護市庁舎は、25年たった今も昔もギンギラギンだ。これからも何となくの時代に直球勝負。

流行建築通信24/カサブランカ・ダンディ

2006年08月01日 | 流行建築通信
 ききわけのない女の頬を 
 ひとつふたつはりたおして
 背中を向けて煙草を吸えば
 それで何も言うことはない
(1979年 沢田研二)

 これが新宿の路上だったら、こうはいかない時代になってしまった。傷害罪で訴えられるか、路上喫煙で罰金か。なんとも格好がつかない。法律にも美学は必要だと思う。
 分煙コーナーも、駐車違反取締の二人組のおじさんも絵にならない。最近は自転車で巡回するお巡りさんでも二人組が多い。なんだか穏やかではない。バカボンでも金八先生でも吉本新喜劇でもお巡りさんは頼りなく一人だ。
 清志郎の名曲、たばこと絵の具のにおいの「ぼくの好きな先生」は今もいるだろうか。ダンディとはほど遠い自分だからこそ、アンタの時代がうらやましい。
 
 ボギー
 ボギー
 アンタの時代はよかった
 男がピカピカのキザでいられた