かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

アンダーグラウンドで 2

2006年12月30日 | 見 聞
 新宿での一年は浅川マキ5日連続公演で暮れてゆく。
 「昨日はこうだったから、と、頭をよぎれば
  瞬時に歌が遅れをとる
  同じ曲目が、今日は、またひとつ、新しい世界を生む」

 ライブの後、憧れのピアノの渋谷毅さんと話することが出来た。
 今年いちばんのお気に入りCDが渋谷毅『アフタヌーン』。
 よく聞いた。そして生演奏を聞いて一年を締めくくれたことは、この上ない幸せ。
 毎年、年末年始はアンダーグラウンドで

佐野秀喜『籐の丸椅子』

2006年12月23日 | 籐 の椅子
 家具であれ建築であれ、デザイナーの名前は知っていても製作者の名前はあまり耳にしない。職人とは無名の存在だ。それを自覚してなお無名化への強い誇りさえ感じることがある。それはモノに向かう意思の強さに比例するかのようだ。

 剣持勇の丸椅子を作り続ける職人はついに佐野秀喜さんひとりとなった。もう30年以上作り続けて、手がけた椅子は3000脚を超える。山梨にある飾り気のない小さな職場でひとり黙々と作業なされている。構造材も縦芯も座面の皮も全てが籐で編み上げられる。籐は水につけたり、加熱したりしてグイッと曲げる。柱に刻まれるその跡は、手仕事にしかない力を感じる。
 何よりこの椅子には設計図がない。全てが違う曲面で、編み上げながらの微妙な調整は職人の経験に頼るところが大きい。剣持もデッサンだけを携えて工場へ足を運んだらしい。もうこの設計図は佐野さんの手の中にしかないということになる。

剣持勇『籐の丸椅子』

2006年12月21日 | 籐 の椅子
『籐の丸椅子』って? 
 戦後初の本格的な高級国際ホテル「ホテル・ニュージャパン」。そのホテルのインテリア設計を頼まれたのが剣持勇でありました。ジャパニーズモダンを提唱していた彼は、世界中の人々が集まるホテルだからこそ日本のデザインが生かされるべきだと考えたのです。そのホテルの一階メインバーの中央に置かれたのが、この『籐の丸椅子』なのです。

ひかり保育所の棟梁がきたよ

2006年12月15日 | かめ 会
2001年の夏、北海道帯広でのひかり保育所自力建設ワークショップ
全国から集まった仲間たちがずらりと顔をならべた。
かめ含め総勢11人!

当時建築を学び始めたばかりの学生だった私たち。
静かに淡々と手を進める棟梁の背中を見ながら慣れない手で金槌を打ち、ノコを引いた。
そして夜は円になって酒を飲んだ。

5年経った今それぞれ行く道は違っても、いったん集まればあの夏の夜のつづき。

京都から新幹線での参加者をはじめ、集まれたみなさんおつかれさま。
集まれなかった人も、次の機会にはぜひ!

今回のお品書き
・筑前煮
・かきと大根のなま酢
・崎陽軒のシュウマイ
・常夜鍋
・肉じゃがプチコロッケ
・おいものおやき
・焼きリンゴのアイスクリーム添え

持ち寄りのおみやげ品
・千枚漬け、みぶな漬け(from京都)
・豆腐よう
・明太子
・各種お酒

続々・新人所員現場日記

2006年12月13日 | 仕 事
現場の主役はやっぱり棟梁だ。

ここの棟梁は、ちっさくて元気でよくしゃべる。
朝から晩までしゃべっている。声も大きい。
ガキ大将がそのまま大人になったような人だ。
おちゃめで頑固でこまった人だけど憎めない。

おかげで現場はいつもわいわい賑やか。

朝7時すぎに焚き火を燃して1時間程おしゃべり。
そのあと、「やるぞー」と働きだす。
10時半と15時には決まって休憩。
お茶のみ団子食べおしゃべり。
18時になるころに「おわるぞー」 のかけ声で一斉に片付け。

職人の毎日は規則正しく明快だ。
わたしも現場ではそのサイクルに合わせて動く。
朝日も夕暮れも働いた後のおいしいごはんも日曜日も。
単純に繰り返される日常は東京で設計をしているのとは
また違った意味で濃い密度をもっている。

来週が最後の現場行きになる。
完成は楽しみだけど、家ができてあの現場の空気が無くなるのは
すごくすごく寂しい。

流行建築通信25/恋人よ

2006年12月12日 | 流行建築通信
 砂利道を駆け足で
 マラソン人が行き過ぎる
 まるで忘却のぞむように
 止まる私を誘ってる
  1980年「恋人よ」

 もう25年以上前の歌詞をソラで歌えてしまう。子どもの頃の記憶力か、ヒット曲のスパンが長かったせいか。紅葉の美しい季節になると、なぜか五輪真弓の「恋人よ」の前奏がよく浮かぶ。今日はそのまま口ずさんでみたら全部歌えてしまった。子どもには早すぎたけどあれはいい曲だった。
 この歌の2番がいい。シャンソンのように「忘却」という言葉もタイトルにはなれどなかなか歌詞では珍しい。「マラソン人」なんて言葉はこれはもうすごい。設計する建物にもこういうすごいディテールがそっとあれば全然違うものだろう。まるで忘却のぞむよに止まる私を誘っている。1980年の僕にはびっくりだ。

 音に音色という色があるように、言葉には匂いがあると思う。音楽は音と色と言葉と匂い。人それぞれにその何かが刺激され、よって人それぞれに記憶の仕方は異なるのだろう。僕は圧倒的に言葉だろうけど、その分聞いている音数はきっと少ない。こうしてブログを書いている傍らで、ピアノを弾いている人がいる。かめ設計室は、建築と音楽と料理にはなかなか一生懸命です。こうして五感を鍛えてまだ見ぬ仕事に備えております。

続・新人所員現場日記

2006年12月07日 | 仕 事
ようやく終盤にさしかかった熊本の住宅現場。
はじめての現場監理でわからないこと、とまどうこと、山のようにでてくる。
壁の厚み、巾木、廻り縁、水切り、見切り、枠、どれをとっても。
現場で大工さんたちが1本の材からひとつひとつ作り上げていくのを見ることでやっと1本の線の意味を知る。
そしてその意味を考える。寸法や納まりといった基本以前のところで考える。
本当に必要なのかと疑ってみる。疑ってやっとこ結論がでてくる。

しかし現場ではそんな悠長なことは言っていられない。大工さんの手の早さにわたしの頭が追いつかない。
棟梁には理解のおそい新人にずいぶんじれったい思いをさせたことだろうと思います。
もうあらかた大工仕事は終わって現場に行けるのもあとわずか。あとひとふんばり。気合いをいれてまいります。

日曜の昼下がり

2006年12月05日 | 見 聞
 大学ラグビー伝統の早明戦、正月以来の国立競技場。
 自由席上段、新宿の街を普段とは違う視点で望みながら、30人の戦士が戦う様にうっとりしていた。都市のど真ん中にぽっかり空いた聖地。ノーサイドになれば、余韻をつまみに飲み明かす。やや西洋的ではあるが、騒がず気張らず、都市生活もこうしてみるとたいそう味がある。

 我が世代のヒーロー・神戸製鋼の平尾誠二氏は、ラグビーのすばらしさをこんなふうに話してくれる。
「この前、僕がイギリスに行っている時に面白い話を聞いたんです。ワスプスという、日本でいえば社会人のAリーグにあたるチームの試合を地方でやっていたんです。試合中に観客席の老人がパタッと倒れた。心臓発作だったらしくて、まわりの観客が大騒ぎしまして、ひとりの女性が「ドクター!」と叫んだんです。ちょうどラインアウトの場面だったんですが、メディカルトレーナーという、ケガをしたら水をやりに行く役割の者が各チームに一人いて、彼がダーッとスタンドまで上がってきたというんですね。それからさらにひとりの選手が上がってきて「俺はドクターだ」と言って、マッサージをはじめた。彼はスコットランドのキャプテンで軍医なんです。結局、試合はワスプスが大量リードしていたんですが、中止になったんです。再試合になっても文句ひとつ出なかったらしい。いい話だったんです。こういう話はものすごく大事なことなんです。」
 この冬、ラグビー三昧もいい。