かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

もったいない温泉

2007年03月31日 | 見 聞
 山梨県早川町も合併をしていない。人口1600人の小さな町の決断がここにもある。内実に詳しい訳ではないが、設計に関わった西山温泉・湯島の湯はこうした背景から誕生した小さな小さな公共施設である。
 とにかく維持費がかからない事がこの町の公共施設で一番大切だろうと考えた。小さな温泉ではボイラーをつけるだけで赤字運営は必須となる。当たり前となったシャワーもあれで案外金を食う。そういうものは極力やめた。手前味噌な話ですが、結局かかっているのは電気代と掃除のための水道代くらいかな。
 残念なのは、あまりに山奥の秘湯地すぎて、一般の人にほとんどお披露目されていない事。だからこうして宣伝でもしておこう。しかし登山客と地元に親しまれるならそれが一番である。

 そんな秘湯ですが、建築史家の倉方氏が訪ねてくれています。
 ブログ記事で掲載→建築浴のおすすめ ほんとうの温泉 湯島の湯

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もったいない図書館と本のあふれる町

2007年03月28日 | 見 聞
 今月14日、福島県の小さな町、矢祭町の根本良一町長が引退を表明した。根本町長は、2001年10月全国で最初に「合併しない宣言」を発表。その後、住民基本台帳ネットワーク不参加表明、365日窓口業務、職員の削減など次々と行政改革を実施していった。彼はこう話す。「当たり前のことをやっているだけ。みんな(他の自治体)の方が異常だ」(日経新聞2007.3.26)

 昨年の夏、福島からの帰路、矢祭町山村開発センター(U研究室設計)を見学した。その時、センターの体育館いっぱいに本が山のように積まれていたことを思い出す。町に図書館が無いのだと「家庭に眠る本を送って欲しい」と全国に呼びかけたところ、ものすごい反響があったようだった。 
 それが積もり積もって、32万冊を超えたらしい。今年1月14日、柔剣道場を改装してついにオープン。予定数の10倍以上だから既にスペースも足りない。6つの小中学校、28の公民館、特別養護老人ホーム、喫茶店、レストランなどにも広げる予定らしい。ここでも箱もの建築は作らない徹底ぶり。町のいたる所に寄贈の本が広がれば、ささやかな本の町が生まれる。人口6万9千人の小さな町の話である。

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WOMAN

2007年03月25日 | かめ バー
砂も地球の かけらなんだと
いつかあなたが 話してたね
そんな言葉を 思い出すたび
皮肉ね心 救われるよ

MY NAME IS WOMAN
寂しさを身ごもって 人生がはじまるの
MY NAME IS WOMAN
女なら耐えられる 痛みなのでしょう
  (1989年 アン・ルイス)

桜が咲きはじめる頃に『WOMAN』を歌う。
お花畑はきれいですか。

長崎へ

2007年03月18日 | 建 築
 九州に現場を持っているというのはそれだけで得をした気がします。もう九州の現場も終わってしまうのがとても残念。でも春から北海道の現場がうごきます。

 熊本からの帰り、有明海を渡って長崎に立ち寄る。今井兼次の二十六聖人記念聖堂を見ておきたかった。著名な建築家にも大抵がっかりするようなハズレがあるのに、彼が設計した建物は一度もハズレがない。そしてそのどれもが極上、極旨である。彼の主な設計は60歳を超えてからが多い。この事とハズレのなさは関わりがあるのだろうか、これぞ一球入魂。二十六聖人記念聖堂は67歳での建築学会賞受賞であった。
 スウェーデンの建築家エストベリやアスプルンドの建物が持っている心地よい洒脱さを強く感じる。実用だけでなく、構造だけでなく、美だけでなく、彼の建築はノーベル賞の晩餐会が行なわれるというストックホルム市庁舎に通じている。これらにはある細部の豊かさ、楽しさ、華麗さ、紳士な空気、こういった魅力を建築はいつから忘れたの?晩餐会が催される市庁舎。なんて素敵なことでしょう。

大きな屋根の下の大らかな家族3

2007年03月15日 | 仕 事
 シャンプーがなくなるから明日買ってこないとなという暮らしと、シャンプーも歯ブラシも歯磨き粉も人数以上になぜかいっぱい置いてある暮らしとでは、まるで暮らしの作法が違うんじゃないか。
 手に持ちきれないから醤油を買うのはまた今度にしようかという暮らしと、ワゴンに何でも入れて車で持ち帰る暮らしとも、同様でしょうか。お金に頓着しないというのとは別の話です。小さな声・小さな足音の家族と、大きな声・大きな足音の家族とでも、まるで暮らしの作法が違うんじゃないか。
 いろいろとありますが、前者と後者では随分住宅設計も違ってくるのだと思います。建て主の年齢や体格、職業、趣味の差異よりも大きい事かもしれないなどと、勝手な事を考えてしまいます。後者だから洗面台は大きくとか、台所収納をたっぷりと、とかそういう直接的な話というだけでない判断を、住宅の質のようなものを決める時にどこかでしているんだと思います。もちろん関係ないという設計者も多くいることでしょう。
 そういう直接的な話というだけでない判断。何もうまく言葉にできていませんが、ここの所の判断が程よくヒットすれば、いい設計に近づくような気もしています。ただ設計の一面にすぎませんが。

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大きな屋根の下の大らかな家族2

2007年03月13日 | 仕 事
 低く抑えた軒から、4寸5分勾配で瓦屋根が三角に突き上がっています。
 南に向かって屋根は低くなります。軒の出を1mとして、軒先では手が届きそうな高さまで抑えています。居間から南の庭への視線は低く、窓は掃き出しでなく低い腰壁をつけて、居間の落ちつきを優先しています。
 東に向かって天井は高くなり、道に面した食堂では高さ5mまでになります。そこは天井いっぱいまで高窓を設けて、朝の光は食堂から居間にまで差し込みます。道からは高窓がこの家のシンボルです。
 西には居間とつながる和室があり、山の向こうに沈む西日を障子越しに柔らかく映します。
 どちらを向いても空と山の木々。
 東から南そして西への抜けが、この家にとっての時間と空間の骨格です。
 プランや素材についてもいろいろとありますが、Mさんのにぎやかな生活が始まれば、「あとは好きにどうにでもどうぞ!」と言えるように様々に気を配ったというところでしょうか。

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大きな屋根の下の大らかな家族

2007年03月11日 | 仕 事
 熊本県小国町M邸の住宅竣工検査のため、しばらく九州へ行ってきました。
 M邸に関わり出したのは4年以上前、かめ設計室設立前にさかのぼります。小国町は、まだまだ昔ながらの慣習と風景が残される美しい田舎町です。立派な漆喰の蔵を持つ母屋の隣に建てる新居とあって、特段急ぐ様子もなく、こちらもそのペースに乗っかっていたら、いつしかこんなに時間が経ちました。
 Mさん一家はとても楽しい。居間の日めくりカレンダーは1月1日で終わり、家中の掛け時計は全て止まったまま何の不都合もない。焼き肉と黒豚の角煮と馬肉の刺身が同時に出てくる愛すべき食卓。おとうちゃんが糖尿だと早朝の散歩を始めたかと思えば、次ぎに行けば大酒をくらって何の気にもしていない。じいちゃんがコタツで寝てしまう横で、親子の健全な会話と笑い声とテレビの大音量はいつまでも響いて、夜が更ける。
 工事が始まってもそのペースは何ら変らない。棟梁は64歳のご近所、左官屋は真向かいの家、同級生の建材屋、親戚筋の塗装屋、建具屋と板金屋は70歳を超える大先輩、馴染みの親父たちが次々と集まり、田舎風下ネタ現場トークが次々と飛び交う。
 親戚から古い欄間を使えと送られてきたり、じいちゃんがここは俺の部屋にすると突然言い出したり、行く度母屋に知らない人がいたり。何とも大らかで、どこまでが家族でどこまでがご近所か、もはやそんな区別なんかどうだっていい。
 こういう事も長く付き合ってみてわかってくる所もあり、その度怒ったり、笑い飛ばしたり、悩んだり、どさくさとなんだかんだとで、こちらも建築の勉強やら人生の勉強やら、これら全てが設計ではないかと、そうであれば何とも素晴らしい職業ではないかと改めて振り返っています。そんな中の初めての夜の景。

熊本は小国まで小国通信続々・新人所員現場日記ほか現場報告あり

流行建築通信26/バス・ストップ

2007年03月04日 | 流行建築通信
 バスを待つあいだに 涙を拭くわ
 知ってる誰かに見られたら
 あなたが傷つく
   平浩二(1972年)

歌謡曲の中の女は、傷つき、下を向いていた。この頃から「時代」は、乗るか乗らないかの二手に別れたかに見える。演歌は年老いたママのいるスナックに置き忘れた郷愁歌でしかなかった。
 
 なにをとりあげても わたしがわるい
 あやまちつぐなう その前に
 別れが来たのね

『メゾン・ド・ヒミコ』の中に、オダギリジョーと柴咲コウが、『また逢う日まで』のダンスリミックスで突然踊り出すシーンがある。何かを吹っ切るように踊るそのシーンはこの映画の見せ場でもあった。

 また逢う日まで逢える時まで
 別れのそのわけは話したくない
 なぜかさみしいだけ
 なぜかむなしいだけ
 たがいに傷つきすべてをなくすから
 ふたりでドアをしめて
 ふたりで名前消して
 その時心は何かを話すだろう
   尾崎紀世彦(1971年)

1971年、阿久悠は明らかに意識的にこの歌詞を書いた。男と女の別れをマイナーからメジャーに、ウェットからドライに変えた。そして時代はこちら側に傾いて今日に至る。今さらダンスリミックスに変えようが、この歌以上の意味も世界も映画の中では生み出してはいないことが気になる。
『また逢う日まで』の1年後に、『バスストップ』はこう歌い続ける。

 バスを待つあいだに 気持を変える
 つないだこの手の ぬくもりを
 わすれるためにも
 どうぞ 顔をのぞかないで
 あとのことを 気にしないで
 ひとりであける 部屋の鍵は重たい

お気づきだろうか。71年、阿久悠がふたりで閉めたドアを、72年、またひとりで開ける。
男性も女性も、男と女を演じるように生きている。回りくどく面倒なようだがそれも何だか面白そうだと、このごろの演出家は今さらに気がついているだろか。

「あなたが森山良子に似ていると、こちらで噂しているんですよ。」
「あら、でも歌ったらばれちゃうわ。」
 照れた顔で女は下を向いた。店の外にバスが止まった。