かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

人間とスポーツ

2007年04月28日 | 見 聞
 傑出した理論で日本ラグビーを世界に知らしめたと言われる大西鐵之佑。展示会「大西鐵之佑と早稲田ラグビー」が早稲田大学会津八一記念館で行われていた。早稲田大学での最終講義の模様がビデオで流されていて、食いついてしまった。題目は「人間とスポーツ」(1987年)。(以下、記憶に頼る)
「ラグビーは知性的行動なんです」「練習や戦法は徹底的に理論的に考える、そして試合で勝った負けたとやる、負けたら悔しくて反省する、どこがダメだったのか理論的に考えて、そしてまた練習する、その繰り返しを37年間やってきました」
 そしてこう続く。「でもね、理論的にやっても勝てる訳じゃないんです。理論的に優れたコーチが強いチームを作れるとは限らない。世古(マラソン選手)なんか中村監督ですよ、じいちゃんがぼそぼそ言ってる間に、パーって走って勝っちゃう。つまり人間というのは理論で動いてる訳じゃないんです。」
 人間の凄みとスポーツの旨味がいっぱい入っている。相手の戦術・特徴を徹底して分析し,理論を磨きぬいた上で,最後は水盃で選手の感情を鷲掴みにする人、なんだそうだ。スポーツは読み物としても面白い。

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どこかで見た風景 

2007年04月23日 | 
 旅の最中に、亀山の地震にあった。幸い能登と同様、被害者の数は少ない。いずれも地方の小さな町であり、地縁の結びつきが強い地域である。いざという時に一番の力になるのは、やっぱり近所の人、親類、家族、そういう身近な人だと教えてくれた。
 大地震の度、設計基準が厳しくなる事が多い。世間では瓦屋根がいけないなどと短絡的な話ばかりになってしまう。亀山にしても能登にしても災害に強い町というのは、地縁が当たり前にちゃんとあって、一人暮らしの老人がどこにいるかみんな知っている。そういう町はたいがい町も風景も美しい。そこには、様々に行き届いている無理のない暮らしがある。

 どこかで見た風景、というのは故郷の風景でした。「昔を想い出すことが忘れていた今を想い出すことであるような、そういう想い出し方がありそうな気がします」。風景には暮らしや文化、歴史などがあぶり出されています。見た目だけよく繕っても、すぐはがれ落ちる。風景は正直だと思う。そして見る側も試されている。    おしまい


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どこかで見た風景 しま

2007年04月22日 | 
 われは湖(ウミ)の子 さすらいの
 旅にしあれば しみじみと
 昇る狭霧(サギリ)や さざなみの
 滋賀の都よ いざさらば
    「琵琶湖周航の歌」

 琵琶湖を望む時、必ず2山の小さな島が見える。そこは近くて遠く、どこか神秘的だった。
 竹生島。周囲2キロ。西国三十三ヶ所札所めぐり第三十番札所「宝厳寺」のある島として、古来より人々の厚い信仰を集めてきた。
 竹生島は瑠璃の花園、竜宮城かと思うくらいどこもかしこも美しい。
 神社や寺、門、鳥居、階段、廊下、庭などのデザインも百花繚乱である。世の中のほとんどのデザイン要素は既にここにあるのではないかと思う程だ。何かにつけて、枕詞のように何にでも「新しい」をつけたがる昨今に嫌気がさしている方なら、ここは爽快だ。問答は無用だ。

 こうして7日間の旅(記事)もあと一回。もう疲れた~
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どこかで見た風景 かわ

2007年04月21日 | 
 琵琶湖を取り囲むように山々が見える。その伏流水によってもたらされる豊かな営みは、もうひとつの原風景である。滋賀県(近江)と言えば、湖(うみ)と山、それらをつなぐ水である。そして琵琶湖を巡るなら、だんぜん奥琵琶湖をお勧めする。栄えているのはもちろん東海道に面した南側、しかしどうも町自体が大阪や京都といった他所を向いてしまって趣きに劣る。

 水、とにかく湧き水が多い、井戸が多い。至るところ水路が巡っている。丁度都市にU字溝が巡っているように、家の周りをぐるぐる水路が回っている。
 琵琶湖の西、高島に針江という集落がある。生水の郷(しょうずのさと)と呼ばれるその集落は、湧き水が絶えない。水路のあちこちからボコボコと湧いている。口を開けた鯉がその水路を悠々と泳いでいる。上屋がかかった井戸は家々にあり、覗き込むと鍋や洗面器、歯ブラシもある。ここにも鯉がいる。いっぱいいる。残飯を食べてくれるからだ。また隣の井戸に引込まれ、また水路に返っていく。水を通して近所同士がつながっているので、決して汚したりはしないそうだ。この井戸の事を「かばた」と呼ぶ。川端の意味らしい。水路を掃除していた80歳を超えたつるつる顔のおじいちゃんがニコニコと案内してくれた。
 水洗便所などの下水や汚水は都市生活の目に見えないところで水に流す。汚れたものは隠蔽する。まるで無かったかのように水に流す。せめて溝や水路や川には蓋をしない方がいい。なるべくなら水は目に見えるところで使うのがいい。建築の水処理のディテールはきっと同じ理屈だ。
 
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どこかで見た風景 ゆめ

2007年04月20日 | 
 むかし今浜、いま長浜。今浜と呼ばれていた長浜はかつて水の都であった。水の都として栄えた大阪は長浜を手本にしただろうと勝手に考えている。
 つい130年程前までは陸運より水運が主流であった。そんな時代、本州において(都にとって)太平洋と日本海を結ぶには琵琶湖と若狭湾を結ぶことが都合がよかった。太平洋からの舟が最も日本海に近づける地であって、陸路は最短距離で結べる。こうしてこの地は、水路と陸路の交通拠点として繁栄してきた。
 現存する日本最古の駅舎も見ることができる。鉄道が初めて新橋横浜間に開通して間もなく、長浜敦賀間を開通させたことからも、日本の近代化にとってこの地は重要であったようだ。

 はるかに時代を遡り、稲作が日本に伝来した時も、同じように渡来人は九州から瀬戸内を筏で上がり、大阪湾から琵琶湖へ、そしてここまでたどり着いた。琵琶湖を往来する数多の舟が目に浮かぶようだ。どこかで見たような、アジアの記憶をとどめるこの風景は、ゆめではなくこうして現前する。
 
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どこかで見た風景 おとこ

2007年04月19日 | 
 子どもは町の宝である。春の訪れとともに休みなく練習が繰り返される。その間は学校も休む。眉毛も剃る。この町ではどんな有名人よりも多くの客を呼ぶ。町をあげての行事である。その舞いの集中は手先まで行き届き、その声は観客の涙まで誘う。
 演じるは5歳から12歳までの子ども歌舞伎。以下は今年の常磐山(呉服町組)外題とあらすじです。子どもが演じるところに迫力があります。

 『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)熊谷陣屋』
 平敦盛が、熊谷次郎直実に討ち取られたことを知った敦盛の母、藤の方は、直実が守る生田の森の陣屋において、仇を討とうとするが、直実は押し留めて、敦盛が武士らしく潔く死んでいった様を語って聞かせる。やがて陣屋にやってきた源義経の前で、敦盛の首の実検が行なわれる。義経は確かに敦盛の首であると認めるが、実はそれは直実の息子小次郎直家の首であった。実は後白河法皇との間の子である敦盛を救うため、義経と直実が仕組んだ芝居であった。
 忠義のために自分の子を犠牲にすることに世の無情を感じた直実は、妻の相模とともに出家し、名も蓮生と改め、密かに助けた敦盛を、今は石屋の老人として世を忍んでいる平宗清に託し、静かに戦場を去って行く。

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どこかで見た風景 やま

2007年04月18日 | 
 しゃぎりの音が聞こえる。町中にある12の蔵から曳山が次々とくり出してきた。大きな木車が路面を引っかきながら、町の人は路面の傷などまったく気にしたふうもない。曳山が細い路地の軒先ぎりぎりをかき分けながら通る様子を見送っている。町の子どもたちが、曳山の後を御遣り(おひやり)を囃しながら通る。
 神社の昇格を祝うために90年ぶりに12基の曳山が出揃った。城主秀吉の男子の誕生を祝い、町人たちが曳山を建てて神社を曳き回したのが曳山まつりの始まりらしい。いつしか曳山の上で子どもが歌舞伎を演じるようになった。
 しゃぎりの音はお神楽に変わっている。一番山で三番叟が始まった。

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どこかで見た風景 うみ

2007年04月17日 | 
 どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
 鍬を立てかけ 籠を置き
 男も女も大きなジョッキをかたむける

 どこかに美しい街はないか
 食べられる実をつけた街路樹が
 どこまでも続き すみれいろした夕焼けは
 若者のやさしいさざめきで満ちる

 どこかに美しい人と人との力はないか
 同じ時代をともに生きる
 したしさとおかしさとそうして怒りが
 鋭い力となって たちあらわれる
      『6月』茨木のり子

 幻の街にはかなわないかもしれない。それに劣らぬ風景は見つかるだろうか。忘れられた風景でなく、今もある当たり前の風景。今日から7日間連続でいってみます。
 うみのように広いうみ。海の向こうに大きな山、海の上には小さな島が見える。
 あの山の見える町へ行こう。あの小さな島に渡ろう。

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幻の街、キラクへ

2007年04月12日 | 
 野付半島の外海は、江戸時代には鰊の漁場だった。最盛期には50~60の番屋が並んで建っていたらしい。この北の地に「幻の街キラク」という言い伝えがある。国後との行き来も盛んで、鍛冶屋や歓楽街もあり、遊女もいたらしい伝説の街をキラクと言う。
 最果てとはいえ、さらに北へと人の暮らしはつづく。想像力ならもっと遠くまで行くことができる。

 いじけることだけが 生きることだと
 飼い馴らしすぎたので 身構えながら話すなんて
 ああ おくびょうなんだよね
  
 写真は野付崎の内海。いわば花鳥風月、白砂青松といった日本人の自然美観を拒絶する。置き忘れた砂時計みたいに、もう二度と動かないかのような砂の海。不毛なエネルギーが堆積して、音もない。

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そして、北へ

2007年04月11日 | 
 標茶町から東へ、一時間ほど車を走らせると、前方に大きな青いオホーツクの海が見えた。休日を利用して、お施主さんが野付半島へ連れて行ってくれた。左に知床半島、前方に国後島、右に根室半島を望む、異国につながる海。遠い道。

 わけのわからないことで
 悩んでいるうち おいぼれてしまうから
 黙りとおした歳月を
 ひろい集めて暖めあおう
   「襟裳岬」(1974年)

 この先には何もない無音の世界を、北の心情に重ね合わせ、歌は言い当てている。

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東へ西へ 後半戦

2007年04月09日 | 仕 事
 ガンバレみんなガンバレ月は流れて東へ西へ
 ガンバレみんなガンバレ夢の電車は東へ西へ
 ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ
           (1972年 井上陽水)

 熊本の住宅が竣工するや、グッドタイミングで北海道の住宅が着工した。乗り込んだ釧路行きのJAL機内では、どうしてか行きも帰りも熊本日々新聞が置いてあった。縁はここでもつながっていた。

 場所との出会い、人との出会い、中でも棟梁との出会いはいつも刺激的だ。建物の善し悪しに関わる一大事だ。だから誠心誠意、意中の相手を口説くことに似てなくもない。ここから学ぶことがある。

 地鎮祭は工務店の仕切りで簡易に行なわれた。敷地の四隅に米と塩と酒をまく。順番は歌の通り、東から西へ。これは太陽や月が流れる一日を巡ることでもあるが、命の一生でもあると、棟梁が話してくれた。

 ここでは敷地はあってないようだ。さぁ、スタート。

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散るが花

2007年04月06日 | 流行建築通信
 暖かい春の一日、千駄木の小さな公園での花見だった。ギターをかついで男がやってきた。仲間が集まった。花を見て、酒を飲み、歌を歌った。好きなんだねぇ。
 春一番がほこりの渦を踊らせる頃、名残雪が降る。電車から見るだけになった通学路。桜吹雪が舞い散ると、六本木心中か、ひとり咲き。燃えて散るのが花、夢で咲くのが恋。好きでもない歌も全部歌えてしまうのは歌謡曲世代。子どもにウケる歌を作りながら、子どもにはわからない意味を込めている大人の歌がいい。ならばそんな建築もあっていい。

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百万個のみかん 3

2007年04月02日 | かめ バー
 春の便りは、愛媛は無茶々園の柑橘です。
 甘夏と土佐文旦とレモン、それから名前も分からないみかん。色も大きさも柔らかさも手触りもみんな違いますが、みかん箱全体から香りでる甘酸っぱいにおいが、部屋中に広がっています。いつも本当にありがとう。

 無農薬でみかんをつくるのはとても大変なんだそうです。
 地球環境の変化を刻々と感じているのは、にちにちのこととしてみかんと格闘されているこうした生産者の方々であって、私たちが到底及ぶ所ではありません。東京で一汗もかかず、おいしいね、とみかんを食べさせてもらっている自分たちが、何だかだらしなくて恥ずかしい気持ちにもなるくらい、それはそれはおいしいです。

 発送希望はこちら→無茶々園(愛媛県西予市明浜町)

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