かめ設計室*3丁目通信

2005年4月より、西新宿にて一級建築士事務所かめ設計室がはじまりました。3丁目からのかめバー通信。

『どうにもとまらない』

2005年11月29日 | かめ バー
 うわさを信じちゃ いけないよ
 私の心は うぶなのさ
 いつでも楽しい 夢を見て
 生きているのが 好きなのさ  
   (山本リンダ 1972年) 

 「どうにもとまらない」という歌のタイトルは、最初「恋のカーニバル」とつけられていたそうです。楽曲がつけられた後、平凡すぎるなぁと考え直したらしい。これが運命を変えた!と阿久悠は語っています。言葉もやっぱり大切にしなきゃ。

流行建築通信10/ハイブリッド

2005年11月26日 | 流行建築通信
 「ハイブリッド」という言葉もよく耳にする。雑種、混成といった意味だが、建築用語では「ハイブリッド構造」「ハイブリッド都市」なんて言ったりする。木質ハイブリッド構造なんて何かと思えば、梁に鉄骨を入れたり、RC造の3階を木造にしたりする事も含まれるらしい。それなら僕らもやったことがある、なんて胸をはる。
 ハイブリッド化の背景に、実はコンピュータの構造解析技術の向上がある。RCや鉄骨、木などの多種な構造部材が入ってきても複雑計算が可能になってきた。要するに大工の基本原則「適材適所」の現代版と考えればわかりやすい。だけどこういう言い方は本末転倒で、構造計算を待たずとも大工はずっと変わらず適材適所で強度もくせも違う多様な木材を使ってきた。世間を騒がしている構造計算という概念を持ち込まれるようになって、さぞ大工は迷惑なことだろうと思う。
 昨日のテレビで、縄文人はなぜ米を主食としなかったか?というような番組をやっていた。縄文人も稲作を行なっていた事はようやく常識となってきた。それでも縄文人は、狩猟に漁撈、山菜やドングリなど多様な食材を求めた。それは気候条件に恵まれていた事もあるが、リスクを分散したんじゃないかとコメントしていた。食糧源を一つの生産システムに頼らない方がいいという知恵。縄文社会も立派なハイブリッド志向であった。

流行建築通信9/モノコック

2005年11月23日 | 流行建築通信
 流行建築通信2/薄壁でもふれたけれどどうも近頃、「柱」よりは「壁」に流行はあるらしい。鉄やアルミなどを使った箱形の建築が目につく。構造計算技術の向上によるものなのか、その外壁の開口部は自由自在に開けられていく。写真は銀座に近々オープンする伊東豊男設計のミキモト銀座店。2枚の鉄板の間にコンクリートを充填したもので、表参道TOD'S(これはよかった)と同じように内部に柱はなく、外壁が構造を担っている。ギリシア、ローマからロマネスク、ゴシック、近代建築もそして現代も、建築家は柱と壁の建築をくり返し、戯れながら走り続けている。
 「梅林の家」や「ミキモト」のような箱形建築はモノコック建築と呼ぶのだろう。モノコックとは、飛行機や電車あるいは卵や蟹など外皮が構造材を兼ねているものというような意味がある。実はモノコックというキーワードは、住宅メーカーでも大流行りなのだ。これまでの壁構造やツーバイフォー構造よりモノコック構造と言う方が聞こえはいい。耐震的に優れているという意味のキャッチなコピーらしい。もちろん、日本の在来工法はモノコック構造とは言わない。

酉の市・きみまろさん

2005年11月21日 | 見 聞
 そして、夜。また花園神社に足が向かってしまった。
 商売繁盛の熊手を買う多くの人であふれた。今年は酉の日が2回しかなく、最終日だったこともあってすごい人だった。いろいろ有名人も見かけたが、きみまろさんに会えた事がうれしかった。さすがに大きな熊手をお買い求めだった。周りの人もなぜか、「きみまろさん」と、さん付けで呼んでいた。
 ついでに花園神社名物「見世物小屋」に寄った。「寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」のお決まりの口上に、思わず吸い込まれてしまった。どんな見世物があったのか?それは見てのお楽しみ!

酉の市・二の酉

2005年11月21日 | 見 聞
 今朝、胸騒ぎがして新宿花園神社に寄った。今年は二の酉までしかなく本日が酉の市最終日だった。
 10年前まで、関西出身の僕にとって東京は馴染めない土地で、東京文化は語源の通り「下らないもの」と見下していた。ところが東京生まれの友人にこの酉の市に連れられて、その偏見は一掃された。東京もなかなかやるじゃん!とうれしくなった。以来、東京にも愛情を持ち、今では新宿ライフをこうして楽しんでいる。

ニッポンイチの風景/富士山編

2005年11月19日 | 
 ニッポンイチの富士山にかかる雲が一瞬きれた。山頂へと向かうルートがはっきり見えた。一般の登山客ならこの富士宮新5合目から5~7時間で日本一高い剣が峰3776mへとたどり着くのだそうだ。
 研修旅行は、ほぼ富士山を一回りする格好になった。中央自動車道を甲府に向かい河口湖から本栖湖へと紅葉まっただ中に、所々に富士山が目の前にドカンと現れた。ぐねぐねと曲がる山みちの真前に真後にとまさに神出鬼没。上九一色村から下部温泉へ出て、富士川を下り富士宮からゆるやかに新5合目を目指した。この南ルートは天気がよければ山頂剣が峰を見ながら登れる最も最短のコースとされる。こうして5合目までは車でも行けるが、その間は樹海が続き、5合目から先は岩場が続く。
 「山は見るもんじゃない、登るもんだ」と諭されそうだが、実は9歳か10歳だった頃に一度富士登山を試みている。御岳山に続く二度目の登山だったが、悔しいかな9合目半で高山病にかかり山頂をほんの目の前に断念している。あの屈辱以来うん十年ぶりに山頂を目の前にしたことになる。思い返せば我が人生、いろんな物事を9合目半で終わらせている気がしないでもないと日本一の富士山に向かって反省してみたり拝んでみたり・・・・・

続・剣持勇と親父の椅子

2005年11月18日 | 籐 の椅子
 かめ研修旅行の途中、ようやくと言っていいのか念願だった剣持勇「籐丸椅子」の日本でたった一人の製作者佐野さんの仕事場を訪れる事ができた。毎月10個程度の丸椅子を製作しているとのことで、伺った時も骨組みの段階や編み始めた段階から完成した椅子までいろいろな制作過程を目にする事が出来た。子どもの頃から見慣れた仕事場の風景だが、佐野さんの表情や仕草までも昔の親父によく似ていて実に不思議な感覚を味わった。
 以前紹介した親父作の丸椅子も見ていただくことができた。本家に真似事の椅子を見せる訳だから心配もあったが、話している間ずっとその椅子を手に取って見て下さり「なかなかよく出来てる」と笑顔で言っていただいた事は何よりもうれしかった。写真のように親子で記念撮影!
 籐職人は日本にはもう数える程しかいない。それもほとんどは高齢者となった。籐自体が日本には生育していないうえに、圧倒的に東南アジアの手間が安いから、残念ながら日本の職人は淘汰されてしまう。微力ではあるが、これから少しずつブログで籐製品を取り上げつつ、籐という素材の可能性を紹介していきたい。家具はもちろんだが、建築の素材としても籐を活かしていく道を探っていきたいと思う。

町のひとと旅人の湯 西山温泉体験レポート

2005年11月17日 | 
山が赤く染まる11月、紅葉を期待しつつ山梨県早川町西山温泉に見学に行ってきました!

図面や模型、現場進行写真で出来上がるまでの姿を追ってきたので実物をみるのを楽しみにしていた。夕暮れの時間を狙って現地に到着。思っていた通り、いやそれ以上にこじんまりとした姿。かわいらしいさくら色の受付の小屋がちょこんとこちらをむいて迎えてくれている。そのうしろには、ぽん、ぽんと配置された、もみじとおんなじ色をした脱衣小屋と洗い場。
これらが放射状に散らばり、その合間をあか色の幕で仕切っている。色づいた山と渓流という贅沢な景色をちょっとお借りしますという感じに。
わたしたちは温泉ですっかり暖まり裸の姿で渓谷をのぞいたり、モミジを愛でたり、芝生にころがったりと楽しんだのでした。

日も暮れてくると地元の人たちが連れ立ってやってきて世間話をしながらこの場所を利用している。もみじが綺麗ネ~、あら去年のほうがすごかったのよ~、なんて。来年も再来年もこの場所で紅葉を見ることができるなんて少し羨ましいです。
なん

久田子の集落 秋の小旅行レポート

2005年11月17日 | 
早川に沿う道をはずれて山を越え谷を越え、さらに深い山の奥を進んでいくと、すり鉢のようなお椀型の土地に小さな集落があった。この集落へ行くためには「久田子四十七曲がり」と呼ばれているらしい絶壁の山に沿う細い道だけ。
周りをぐるりと山に囲われた小さな小さな盆地にわずか数件のトタン屋根の家がポツポツと存在する。集落の大きさはおよそ直径が100メートルほど。

先祖代々耕されただろう畑に家族必要なだけの野菜の種を撒き茶の木を育てて暮らしているようす。完全に自給自足は無理だろうけどこのお世辞にも便利とは言えない土地で彼らなりに暮らしが丸く納まっているのかな。家の周りにはその家族のための小さな畑があって家族の食べる分だけの白菜やお茶やネギやキャベツ、いろんなものが植えられていた。ちいさなおばあちゃんがせっせと畑を耕している。こうやって春や夏や秋や冬が回っているんだろう。

どうしたってこの山奥で暮らしていくのは不便だろうし過酷に思うのだけどなぜだか惹かれるものがある。
勝手だけどここでの暮らしはいつまでも変わらないでほしいと思ってしまう。
なん

流行建築通信8/うそ

2005年11月17日 | 流行建築通信
 折れた煙草の 吸いがらで
 あなたの嘘が わかるのよ

 子どもだった頃、この歌の世界が、僕にとってのあこがれの大人そのものだった。中条きよしの名曲「うそ」(1974年)の歌いだしである。こうして時代は徐々にさかのぼっていってしまう。
 JIA(建築家協会)主催の「かつて住宅には思想があった・大高正人が語る前川國男の住宅(自邸)」を聴講した。前川國男は戦中戦後を生き抜いた数少ない本物の建築家である。この歌と同じように、この時代の建築家にも大人の世界をいつも感じる。別にノスタルジーではない、ロマンティックなのかと言えばよくわからない。
 このあこがれは何だろうと思う。僕がその時代を知らないというどうしようもない事実。自分の知らない世界、体験できない世界はどうにも魅力的なのだから仕方ない。
 この講演会のタイトルに反して、大高さんの次の言葉が印象に残った。「前川自邸は前川さんそのものなんです」。これには進行役の阿部仁史氏も言葉を失った。つまり前川自邸は思想なんぞではなく、前川自身なのだと。これはよかった。以前、忌野清志郎が「清志郎さんにとってロックとは何ですか?」と聞かれた時に「俺そのものです」と答えていた。そう言い切れるだけの人間や建築がひとつの到達点かもしれないし、その態度にあこがれを感じているのかもしれない。

かめ研修旅行・秋

2005年11月12日 | 
 夏に続き、秋のかめ研修旅行に行きました。スタッフ3人に友人が参加し、4人での1泊2日の旅でした。新宿~本栖湖~下部温泉~西山温泉~富士山5合目~新宿と、秋の紅葉を楽しみつつ、人と風景を巡る旅となりました。
 A 念願!剣持勇「籐丸椅子」のルーツをたどる
 B 早川町の世にも珍しい集落を訪れる
 C 夏に竣工した「西山温泉湯島の湯」に入る
 D 温泉現場の棟梁の家にみんなで泊まる
 E  富士山をぐるりと巡り、5合目に立つ
では、研修レポートをおおくりしていきます。
なんちゃん、はじめましょう。

グッドデザイン賞

2005年11月09日 | 見 聞
 今年も1000件を超えるグッドデザイン賞GOOD DESIGN AWARDが発表されました。世界遺産登録のように受賞作品が増えれば増えるほど当然賞の価値は薄らぐ。薄らいだ頃にはそのものの価値が一般化されたのだと納得すればいいのでしょうか。

 さて、自分の身の回りに長く愛用している持ち物はありますか? 実家で暮らしている人には多いかもしれません。漫画や小説、レコードなら押入や本棚に、そうじゃなく、いつも身の回りにあって使っているようなものの話です。
 そう考えて見回してみると、あるある。結構物持ちがいいのかもしれない。
 1位)目覚し時計(SEIKO)これはたぶん23年
 2位)レコードプレーヤー(DENON)これは21年
 3位)電気シェーバー(TOSHIBA)これは19年
 これまで何度も引っ越しをしていますが、その度よくついてきたもんです。シェーバーに至っては、刃も一度も換えた記憶がありません。刃の掃除だけはかかさずやっていた気はします。TOSHIBAに話したら喜ぶだろうな。
 同じ機器でも、今身の回りには携帯電話やデジカメ、パソコンなど愛用の物は増えた。でもそれらを20年後まで使い続けているとはとても思えません。なんだか、わざわざ新機種を出し、買い換えをせかされているような時代です。まぁ、安いヒゲそりを20年も使われては、企業は商売にならないんだろうけど・・・
 エコロジーなどと騒がしい世の中ですが、「リサイクル」よりは「リユース」がいいし、できれば「リペア(手入れ)」がいちばんいい。でもやっぱり「修理するより買った方が安いよ~」なんて店員に言われると考え込んでしまいます。

赤ちょうちん横丁

2005年11月07日 | 見 聞
 酒場の迫力という意味で、北海道の道東に残る小路は身も心にもしみる。冬の寒さがさらに客の気分を盛り上げる。迫力というのは、生活の迫力である。店の人はどこか孤独をかかえながら、明るい、哀愁なんて安っぽいものでもなく、そんな雰囲気がとても好きだった。憧れかもしれない。
 もう8年がたつ。建設現場に常駐していた頃の話になる。釧路に「赤ちょうちん横丁」という横丁がたぶん今もある。70歳を超えた現役のママがいたりもした。横丁の入り口に「赤天狗」という焼き鳥屋があった。店は2坪あったかどうか。トリケラトプスにそっくりな80歳を超えた親父だった。
 「摩周の水」という謎なカクテルが名物だった。グラスの底でカウンターをダンと叩く、大きく叩く。そうしないと親父は注いでくれない。この仕草の気恥ずかしさに慣れた頃に常連となる。これを飲むとなぜか1、2杯でフラフラになる。現場の帰りにひとり足が向かった。あの親父は今どうしているだろうか。そろそろ釧路はシバレルね。

ところで、住宅は余っている

2005年11月04日 | 数の風景
 日本に建っている住宅の数は、世帯数よりも多いという事実をご存知だろうか。 
 総務省統計局は5年に一度国勢調査を実施しているが、土地・家屋についても5年に一度調査を行なっている。これによると、2003(平成15)年10月1日現在の総世帯数は4,716万世帯、総住宅数は5,387万戸とある。つまり住宅の数は世帯数の1.14倍、空き家の数は約670万戸ということか。空き家の数が総住宅数に占める割合(いわゆる空き家率)は12.5%にもなるから驚きだ。仲間同士で身銭を切れば、好きな田舎に別荘のように一軒家だって持てるかもしれないぞ。
 それでも新築工事はあとを絶たない。近所では、コンクリートの大邸宅が壊されたかと思ったら、そこに強引に5棟のハウスメーカー建売住宅が建った。こんな調子だから住宅は余るはずだ。でも庭の一つも取れないこんな建売では売れるわけないよ、と思っていたが、最近とうとう5棟全てに明かりがともった。量から質の時代へ、なんてどこ吹く風?日本人のセンスを時々理解しきれなくなる。

流行建築通信7/六本木心中

2005年11月02日 | 流行建築通信
 だけど こころなんて
 お天気で変るのさ
 長いまつ毛がヒワイね あなた

 メールだって、だ、で終わるか、だよ、で終わるか、消したり付けたりするじゃないか。いい歌詞は一字一句吟味され、尽くしている。限られた言葉数の中で伝えきるためには、聞き手の想像力を利用するし、言葉を限るほど、読み違えを許してしまうこともおこるんだろう。あえて、いろんな解釈を取れるように作られた歌もある(太田裕美の「木綿のハンカチーフ」はその典型か)だろうが。言葉を気安く並べる説明的な歌詞には想像力も働かないし心は動かない。ただ、読み違えるギリギリまでも言葉を落とし残った言葉には力がある。

 「だけど」
 このいかにもな唐突、せわしなさこそが、時代の気分だったろう。
 「ヒワイ」
 この言葉にこの曲の全てがある。ピッタリだ。つまりこの言葉があると無しでは、曲が違ってくるということ。

 建築はディテールで決まる。たった言葉一つが、曲の全体を左右してしまうのと同じように、ディテール(部分)が、建築(全体)を決定することが起こるだろうし、その逆に、建築(全体)を台無しにする事もあるだろう。これしかないっ!というディテールまで詰めきれていない自分に帰り、今夜も酒を少々、浅川マキを聴き、歌から建築を学んでいる。